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静岡県浜松市岩水寺 裸足で歩くと色々と認知できる


雪のちらつくこの日に裸足で歩いてきた。
写真のとおり、ダウンのズボンを履きつつ、裸足&草履のスタイル。
アンバランスさは否めないのだけど、この格好が俺にとってとても合っているのだから仕方ない。

裸足であるくと、地面の状況が足裏を通じて伝わってくる。
地面の冷たさ、硬さ柔らかさ、草木があるない
などなど。
その認知レベルは「なんとなく」「うっすら」という感覚が正しくて、言語化できるレベルではない。
ほんとうに薄くてペラペラな“膜“のような感じ。
しかし、この膜は僕にとってとても重要なものなんだ。
呼吸のための横隔膜とでも例えられるだろうか。

仮に靴下を履いてしまうと、この感覚がなくなり、膜もなくなる。
となると、横隔膜がなくなって息ができなくなってしまうのだ。
もちろん、実際には呼吸はできているのだけど、自分の根底にある何かが息苦しさを感じてしまうのだ。

最近、こういうほんの僅かに感じとれる不快感をキャッチする能力を獲得できるようになったかもしれない。
その原因もなんとなくわかる。
今は、食事を摂りすぎて胃腸がめちゃくちゃ不快だ。
むしろ空腹の時のほうが幸福だ。
ならば食事など要らないのでは?
いや、本当の意味のでの空腹を僕は知らないのでは?
次の課題は空腹を認知することだろうか。

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