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落語(60)妖精雛祭り

女の子の健やかな成長を願うひな祭りーー。立派な雛壇には豪華な雛人形がずらりと並び、なんとも華やかな雰囲気。桃の花が甘い香りを放つ中、菱餅やひなあられ等の甘いお菓子に、これまた甘味の白酒…あれ?これっていわゆる『妖精さん』の好物ばかりじゃなかったでしたっけ?

父「(雛壇の飾りつけをしながら)えーと、後はこの辺りに桃の花を飾れば…と。よし、出来た。完成だ。うん、なかなか上等じゃねぇか。…おう、かかあ。今、俺が引き**でもって全体の絵を見るからよ。おかしなところがあったら言うから、そのつど調整してくれや」
母「あいよ」
父「(やや後ろへ下がり)…うーん、男雛がもう気持ち右だな」
母「(男雛を掴んで)え、こうかい?」
父「いや、行き過ぎだよ行き過ぎ。気持ちでいいんだよ」
母「こう?」
父「うん、そうそうそう。んでもって、女雛はもう三寸ばかり左だな」
母「三寸ばかりってぇと…この辺かい?」
父「うん。でもって、そっから二寸ばかり戻ってくれ」
母「なんだい、また戻んのかい。だったら、最初から左に一寸って言やぁいいじゃないか」
父「お前、そういう横着をしちゃいけないよ。こういう手間暇をかけてこその、娘に対する親の愛ってもんじゃないか」
母「なんだか良く解らないけどさ、そういうもんかねぇ。…で、次はどうすんだい?」
父「おう、ちょいと菱餅の角度がわりぃなぁ。もっとこう、角がちゃんと正面向くように…」
母「こうかい?」
父「おう、いいな。ついでに草餅の皿も少しだけ回してくれ」
母「こう?」
父「おう、いいなぁ。美味そうに見えらぁ。えるよ。シズルってやつだ」
母「また訳の分かんないこと言ってるよ、この人は。ったく、どこで覚えてくるんだろうね、そういう言葉を」
父「おう、かかあ。おめぇ、よく見てみりゃあ、男雛と女雛の位置が逆じゃねぇか」
母「え?…あら、ほんとだ。今の今まで全く気付かなかったねぇ。向かって右側に女雛が来ちゃって、向かって左側に男雛が来ちゃってるよ」
父「ったく。本来人間ってぇのはな、自分の心臓の左側に立たれると、その相手には何となく萎縮ちまうもんなんだ。今の立ち位置じゃ、いずれ女雛のかかあ天下になっちまうじゃねぇか」
母「そうだねぇ。…まあ、あと五十年もすれば自然と女の方が強くなるんだろうけど、今はまだ江戸時代だからねぇ…(人形の位置を入れ替え)…はい、こうでいいかい?」
父「おうよ。今の時代はまだ、男の方が強くなくちゃいけねぇんだ。よし。…おお、なかなかいい眺めだなぁ。これで今年もめでたく雛祭りが迎えられるな」
母「そうだねぇ。なんたって、一年に一回のお祭りだもんね。おめでたいことだよ、本当に」
父「よし。めでたくお祝いが済んだところで、じゃあ早速片付けるぞ」
母「ええ、もう片付けんのかい!?」
父「おうよ。だって、雛人形は早く片付けた方が、娘も早く片付くって言うだろうに」
母「そりゃそうだけどさお前、まだ今の今出したばかりじゃないか」
父「じゃあ、何かい?おめぇは、みことが嫁に行き遅れてもいいってのかい?」
母「そりゃ、もちろん早く行ってほしいさ。だけど、主役のみことがまだこれを見てない時分から片付けるってのは、ちょいと話が違うんじゃないのかい?」
父「みことは、いつ帰ってくるんだい」
母「暗くなる前には帰ってくるように言ってあるから、もうそろそろ帰ってくるよ」
父「じゃあ、帰ってきてこれを一目見せた途端に、すぐ片付けるぞ」
母「途端にって…それじゃ、あまりに味気ないじゃないか。一応、桃の節句の翌日までは飾っておいてもいいってことになってんだからさ。大体お前、みことが早く嫁いじまったら、それはそれで淋しいんじゃないのかい?」
父「ま、まあ、確かにな…」
母「だろ?お前なんか昔からあたしよりも、みことのこと猫っ可愛がりしてんだからさ」
父「よし、わかった。やっぱり、さっきの発言は撤回だ。これからは一年中、ひな人形を飾っとけ」
母「また、どうしてそうなるかねぇ。そんな年がら年中ひな人形を飾ってるうちなんて、六十余州探したってありゃしないよ。まったく両極端なんだから、この人は」
娘「ただいまーっ」
父「おお、噂をすれば何とやらだ。おみこ帰ったか、おけぇり。ジャジャーン!見ろ、今年もおめぇの為に雛人形出しといてやったぞ。今年は貝合わせのはまぐりも飾っといてやったからな。去年よりも、より一層豪華になってるぞ。喜べ」
娘「わあ、本当だ。お父つぁん、おっ母さん有難う」
父「なぁに。おめぇは俺の命だからな。大体、それで『みこと』って名前を付けたぐれぇだ。おめぇの喜ぶ顔を見る為なら、お父つぁんは何だってしてやるぜ」
娘「じゃあさ、お父つぁん。うちのお雛様にも、三人官女と五人囃子が欲しいなぁ」
父「え、何なに?…三人カンジョ?」
娘「うん。今さっきさあ、おかよちゃんちで遊んでたんだけどね。おかよちゃんちのお雛様、すごく賑やかなんだ」
父「へえ。するってぇと、人形がピーチクパーチク喋くんのかい?」
娘「違うよ。別に喋りはしないけど、うちみたいな男雛と女雛だけじゃなくって、その下にもいくつもお人形さんが並んでるんだ」
母「ああ。おかよちゃんったら、あの小間物屋のお嬢さんかい。そりゃ商家の娘だから、あたしらみたいな長屋住まいの庶民とは違って、お雛様もさぞかし豪華なんだろうねぇ」
父「へえ、よく分からねぇけど、その何人カンジョってのがいると豪華なのかい?」
娘「三人官女。あと五人囃子ね」
父「え、何なに…五人バヤシ?なんでぇ、お雛様の結婚式には、林って名字の奴が五人も集まってくんのかい?珍しいねぇ」
娘「違うよ。五人囃子っていう、楽器を演奏する人たちのこと」
母「だから、お前さ。ハヤシってのはほら、お囃子の囃子のことだよ」
父「ああ、お囃子の囃子ね。じゃあ、五人がお囃子を演奏して、三人がそれに合わせて舞でも舞ってるわけだな。そりゃあどうも、賑やかな結婚式だねぇ」
娘「それだけじゃないんだよ。男雛も女雛も、ちゃんと台の上に座ってるんだから」
母「へえ、やっぱりねぇ。おかよちゃんみたいな良いとこのお嬢さんは、うちみたいな立ち雛じゃなくて座り雛なんだねぇ」
父「座り雛?ああ、最近流行ってるってあれか。だけどよぉ、ありゃいかんせん、少しばかり値が張るんだよなぁ」
娘「ねえ、お父つぁん。うちのお雛様はどうしてずっと立ったままなの?」
父「え?…そ、それはまあその、つまり何だなぁ…何かやましいことでもやらかしたんじゃねぇのか?例えば、密通とかさ」
娘「ええ、密通?それで二人とも罰としてずっと立たされてるの?」
父「お、おう、そうだな…こりゃ、きっと双方が密通をはたらいたんだろうな。女雛の方は別に本命の男がいてよぉ、男雛んとこに嫁ぐ前日にそいつと密会してるところを関係者に見つかっちまったんだろうなぁ。でもって男雛は男雛で、女雛との結婚が決まってるってぇのに、どっかの人妻にでも手ぇ出したんじゃねぇのかい?」
母「ちょいとお前、口から出まかせで無茶苦茶なことばかり言うんじゃないよ」
父「(小声で)いいんだよ。これで下手に座り雛が欲しいなんて言われてみろ。あんな物、高くて手が出ねぇよ…(娘に)…な、そういうわけでな、みそぎが済むまでは、もうしばらくこうしてずっと立ってるみてぇだ」
娘「ふぅーん、もう何年も立ってるのになぁ。うちのお雛様さま、よっぽど悪いことしたんだね…あっ、見て。そこに誰かいる」
父「え?どこだい」
娘「ほら、そこのはまぐりのザルの裏」
父「え、はまぐりの?…て、誰がそんなとこにいるってぇんだい。人形じゃあるまいし。鼠でも出たか?」
娘「違うよ。鼠なんかじゃない。ちゃんと着物着てまげを結った、小さいおじさんみたいな人がいたんだから」
母「まあ、みことったら。親をからかうんじゃないよ、まったく。もう、お父つぁんが口から出まかせばっかり言ってるから、お前まで影響受けちゃったのかい?」
娘「本当なんだってば。ついさっきまで、あのザルの陰から小さいおじさんがじっとこっちを見てたんだから」
父「おいおい、みこと。嘘つくんなら、もう少しマシな嘘をついたらどうだい。小さい花魁おいらんてぇならまだしも、小さいおじさんじゃおめぇ、お父つぁんちっとも嬉しくねぇじゃねぇか」
母「なんだよ、お前。花魁おいらんならいいってのかい?まったく呆れたねぇ。…ささ、こうしちゃいられないよ。あたしゃ、これから夕げの支度しなきゃならないんだからさ。いつまでも馬鹿っ話に付き合ってる場合じゃないんだ。はぁ、忙しい忙しい…(台所へ行く)」

 なんてんで、ふた親は娘の言うことに全く耳を貸しません。ところが、その明くる日…。

父「(戸を開けて)たでぇま、今けえったよ」
母「あら、おかえり。今日も早かったんだねぇ。今ちょうどお茶が沸いたとこだから、すぐ淹れたげるね」
父「おう、わりぃな…(座る)…いやぁ、いま帰りに十軒店じっけんだなの雛市見てきたんだけどよぉ、座り雛ってのはやっぱ高ぇなぁ。なんであんなに高ぇんだろう。ただ座ってるってだけで、一両二両取られるんだぜ。これじゃおめぇ、ちょいとそこいらの高級料亭と同じだぃ」
母「えぇ、そんなに違うのかい?じゃあ、やっぱりうちは当分は立ち雛だね。みことには可哀想だけど、我慢してもらうしかないよ」
父「ああ、そのうち質流れ品で出回ってくりゃあ、いくらか安く買えることがあるかもしれねぇけどよぉ。それも、都合よく今年来年ってわけにもいかねぇだろうしなぁ。俺が早く出世して棟梁とうりゅうにでもなれれば、すぐにでも買ってやれるんだが…まあ、これっぱかりは仕方ねぇやな。…さて、茶菓子に雛さんの草餅でも失敬するか…(雛壇を見て)…あれ、おかしいな。一つしかねぇや。昨日確かに二つ置いたはずなんだけどなぁ」
母「(茶を持ってきて)えぇ?何が一つしかないって?」
父「いやさ、昨日間違いなく皿の上に草餅二つ置いたじゃねぇか。それが見てみろ。一つしかねぇや…あ、さてはかかぁ。おめぇがつまみ食いしたんだろ」
母「馬鹿言ってんじゃないよ。草餅ならまだいくらでもあるんだから。食べるんなら、あたしゃそっちを食べるよ」
父「えぇ?じゃあ、いってぇ何で失くなってんだい。まさか、みことが今朝、手習いに行く前に食ったってわけじゃねぇだろうし…(雛壇を見て)…あっ。おいかかぁ、見たか。今、そこに誰かいたろ」
母「えぇ?『そこに』ったって、雛壇じゃないか。そんな所にいったい誰がいるってんだい。なんだよ、お前まで、みことと同じようなこと言いだすのかい?」
父「違うんだよ。本当にそこに居やがったんだよ。ちょうどその雛人形と同じぐれぇの尺のよぉ…そうだよ、まさに昨日みことが言ってた『小さいおじさん』ってやつだよ」
母「んな馬鹿なことがあるわけないじゃないか。えぇ?小さいおじさん?そんな雛人形と同じくらいのおじさんがいたら、あたしも一目見てみたいやねぇ…(雛壇に顔を近づけ)…きゃあっ!…(のけぞる)…ほ、本当だ。小さいおじさんがいるよ。今、そこを小走りで横切ったよ」
父「ああ、俺も見たぃ。町人の格好した、雛人形みてぇな大きさの奴が、こっちからそっちへ駆けていきやがったぃ。じゃあ、みことが言ってたことは嘘じゃなかったってことか」
母「ああ、そうだよ。このうちには本当にいるんだよ。その『小さいおじさん』ってのが。それにしても、何者なんだろうねぇ。妖怪か何かかい?まだその辺にいるはずだよ」
父「よし、やかんの煮え湯ぶっかけてやる(取りに行く)」
母「ちょっとお前、駄目だよそんな乱暴なことしちゃ。そんなことしたら、せっかくこさえた雛壇だって台無しだよ」
父「そ、そうか…じ、じゃあ、どうしろってんだ」
母「大丈夫さ。きっと妖怪だって話せば解るよ。…あのぅ、ちょいと妖怪さん。うちに何か用かい***?」
父「馬鹿。くだらねぇ洒落なんか言ってんじゃねぇよ、おめぇは」
母「誰が洒落なんか言うもんか。たまたま言葉が重なっただけさ。…あのぅ、妖怪さん。あたしらは何もお前さんに危害を加えようってわけじゃないんだ。だから、ちょいと出てきとくれるかい?お互い、腹割って話そうじゃないか。ねえ」
妖精「…(物陰からひょっこり顔を出す)…」
母「あっ、ほら、お前見て。出てきたよ、ほら。桃の一輪挿しの陰から、こっち見てるよ」
父「たまげたねぇ…本当に小さいおじさんてぇのがいるんだなぁ…」
妖精「(ひょっこり覗きながら)…ほんまに何もせえへん?」
母「あら、上方の方かい。…あ、ああ、勿論さ。あたしらは、お前さんに対して何の敵意もありゃしないよ。だからさ、こっちへ出てきて、ゆっくり話そうじゃないか」
妖精「よっしゃ。ほんなら、その言葉信じましょ…(出て行き)…よっこいしょ…(座布団に座り)…どうも、小さいおじさんでおま」
父「驚いたねぇ。まるで人形が喋ってるみてぇだよ」
妖精「いやいやいや。わて、決して人形なんかやおまへんで」
母「じゃあ、何かい。やっぱり妖怪なのかい?」
妖精「妖怪やなんて、また人聞きの悪い。ちゃいますで。わては妖怪やなしに、妖精です」
父「ヨウセイ?…なんだい、そのヨウセイってのは」
妖精「ああ、ご存知ないでっか。まあ、無理もないですわなぁ。わてら、基本的には人目を忍ぶ存在でっから。ほなら、ご説明いたしましょ。まあ、簡単に言えば、わてら植物の精霊でんがな」
父「植物の精霊?するってぇと、おめぇさん幽霊かい?」
妖精「そんな、けったいなこと言いないな。そら霊には違いないですさかい、あんな陰気なもんとはちゃいます。わてら精霊は、もっと陽気なもんで」
母「じゃあ、怖くない幽霊なんだね。ああ、良かった」
妖精「…ちょっと、人の話聞いてます?せやから、わてらは幽霊やなくて精霊…もうええわ。こらもう、説明するだけ無駄やわ」
父「で、精霊の幽霊が、なんでまた急にうちに来たんでい?」
妖精「いや、これには理由わけがありましてな。実はわて、妖精の世界で役者をしておりますねん。まあ一応、大坂で小さいながらも一座を率いておりまして。それで全国を巡業しながら、土地土地の妖精に芝居を見せては飯を食うとるわけです」
母「へえ、妖精の世界にも役者なんて稼業があるんだねぇ」
妖精「あります、あります。役者どころか、妖精は皆おのおの仕事を持ってはりますわ。それこそ武士もおれば商人もおる、百姓もおる。言うたら、人間の世界と何ら変わりおまへんで」
父「ほぉ。それじゃ、俺たちの目に触れねぇ所で、もう一つの江戸があるってわけだな?はははっ、そいつぁ面白ぇや。…ときに、どうしてまた、うちに上がり込んできたんでい?」
妖精「それなんですわ。いえ、ちょうど十日ほど前に江戸入りしましてね、深川八幡の鎮守の森で七日間連続興業しましたねん。おかげさんで、連日大盛況のうちに無事千秋楽まで終えることが出来ましてん。さて、ほんだら後は座員たちとのんびり江戸見物でもしてから、また次の土地へ移ろかぁなんて考えとった矢先ですわ。町中あっちゃこっちゃで、雛市を開催しとるやないでっか。あっ、せや。気ぃ付いたら、もう二月も半ばやったなぁ。ほんだら、もうすぐ雛祭りやで。こらぁ、いっちょ今年もお呼ばれに預かっとかなあかんなぁ言うて」
父「ん?なんでぇ、毎年雛祭りの時期になるてぇと、おめぇさん達ゃどこかにお呼ばれされんのかい?」
妖精「そうなんですわ。雛祭り言いましたら、どこのうちでも桃の花に甘いお菓子に甘いお酒、それから一家の楽しげな雰囲気というんは定番でっしゃろ?実はこれら全部が、わてら妖精にとっての大好物なんですわ」
母「へぇー。それでうちに来たってわけかい」
妖精「へ」
父「ときに、一座の他の連中ってのは今ごろどうしてんだい?」
妖精「へえ。皆それぞれ散り散りになって、一人一軒ずつ家庭訪問しとりま。なんせ、わてら妖精は人目についたらあかんもんやさかい、あまり大勢で行動するよりも、個別に行動した方がええやろう言うて」
父「へぇー。それでおめぇさんたち、いってぇいつまで江戸にいるつもりなんでい?」
妖精「え。一応、明朝の六ツ半にまた皆で集まって、それから江戸を出る予定になっておりま」
母「あら、明日には出てっちゃうんだねぇ。もう次の公演が決まってんのかい?」
妖精「いやいや、別にそういう訳やおまへんが、そうかてあまり江戸に長居する理由もおまへんで」
父「おまへんで?そんなこたぁ、おまへんで。取り立てて急ぐ旅でもねぇってんなら、せめて雛祭りが終わってから江戸を経ったって、決して遅くはねぇんじゃねぇのかい?」
母「ちょいと、お前。そりゃ、一体どういうことだい?」
父「いやさ。俺、今いいこと思いついたんでい。この妖精とやらの役者連中にいくらか持たせてよ、せめて今年のうちだけでも我が家で座り雛を演じてもらったらどうかと思ってな」
母「あ、なるほどね。役者だから、きっとそれなりの衣装は持ってるだろうしねぇ。ついでに、三人官女と五人囃子もやってもらったらいいわ」
父「だろ?…おう、妖精さんよ。ときにおめぇさん達ゃ、今どんな芝居をやってんだい?」
妖精「へ。今回は『仮名手本 忠臣蔵』を引っさげての全国巡業となりま」
父「忠臣蔵か。だったら丁度いいや。由良之助とおかるに座り雛やらせよう」
母「ああ、いいねぇ。そりゃ、名案だ」
父「だろ?そんでもって、一力茶屋の仲居に三人官女やらせて、囃子方を五人並べりゃ五人囃子の出来上がりだ。どうだい、妖精さんよ。出来るかい?あ、もちろんタダでたぁ言わねぇよ。いくらか給金も支払うぜ。もちろん三食と寝床付だ。どうだい、悪くねぇだろ?」
妖精「はぁ、そらもう身に余る光栄っちゅうもんですが…残念ながらわてらの世界じゃ、そもそもお金っちゅうもんを使わへんのですわ。せやさかい、なんぼもろても『妖精に小判』ちゅうもんで、何の価値もあらしまへんで。それやったらいっそのこと、甘いもんでももろてた方がなんぼ役に立つか分からへん」
父「あ、そうかい。だったら、こちとら有難ぇや。甘菓子でいいんなら、いくらでも食わしてやらぁ」
妖精「さいでっか。ほな、明日から雛祭りの当日まで、一座でこちらにご厄介になります。何卒、宜しくおたの申します」
父「おう、こちらこそ宜しくな。しっかり頼むぜ。よっ、妖精屋っ!小さいおじさんたちっ!」
娘「ただいまーっ」
父「おっ、いけねぇ。みことが帰ってきた。…おい、妖精屋。隠れろ隠れろ。ほら早く、行け行け」

 翌日、妖精の座長は朝早くに出ていきますてぇと、座員たちを引き連れ再び長屋へと戻ってまいりまして…。

父「いいか、おめぇさんたち。よく聞いてくれよ。うちの娘は、でぇてぇ今時分になるてぇと、手習いから帰ってくるんだ。だから、これから毎日八ツんなったら芝居に入る。八ツが開演時間だ。解ったな?よし、じゃあ早速持ち場に付いてくれ。…(雛壇を見ながら)…そうさなぁ、まず二段目に由良之助とおかるだ…おう、由良之助が右だぞ…いやいや、右ってなぁこっちから見て右ってことで、そっちから見たら左だ…おう、そうだ。で、二人は座っててくれよ…よし、それでいい…でもって、一段目にはまず三人官女が並んでくれ…うん。で、その手前に五人囃子が座る…よし。で、両端にそれぞれ随身が立つ…うん。あとは空いてる所に仕丁が座ってくれ、と言いたいところだが、場所があまりねぇな…よし、じゃあ仕丁は畳の上だ。横並びにずらっと…うん、いいだろう。これで完成だ。おお、こりゃまた座員が多いから、思った以上に豪華な雛壇になっちまったなぁ」
母「本当だねぇ。仕丁なんて十人くらいいるよ」父「こんな物、人形屋で買ってみろ。一生働いたって支払い切れねぇほどの銭、取られちまわぁ」
娘「お父つぁん、おっ母さん、ただいまーっ」
父「あっ、帰ってきたぞ。…(小声で)…いいか、妖精屋。ちょいと大変だけど、娘が寝るまではどうにか雛人形になり切っててくれよ。頼むな。…おう、みことお帰り。今日はなぁ、おめぇに一つ見せてぇもんがあるんだ。いいか、驚くなよ。…ジャジャーン!…どうでい、おめぇが欲しがってた座り雛だぜぃ」
娘「わぁ凄い、本当だ!お父つぁん、買ってきてくれたの?」
父「あったぼうよ。盗んじゃいねぇよ」
娘「わぁ、ありがとう。お父つぁん、お金持ちだね。これなら、おかよちゃんちのお雛様よりもずっと立派だよ」
父「だから、言ったろ。お父つぁん、おめぇの為なら何だってしてやるって。おめぇは目の中に入れても痛くねぇほど可愛い一人娘なんだからよ」
娘「やだ。お父つぁんは痛くなくても、あたいは痛い。おっ母さん、助けて」
父「馬鹿、冗談だよ。本当に入れる奴があるかい。喩えだよ、喩え」
娘「ああ、よかった。あたい、ほんとにあの細い目の中に入れられちゃうのかと思った。…それにしても、お父つぁん。このお雛様、まるで生きてるみたいだね。なんか瞬きしてるように見えるけど、気のせいかなぁ」
父「お、おう…もちろん気のせいさ。人形が瞬きなんかするわけねぇじゃねぇか…。でもよぉ、上等な人形ほど、まるで生きてるように見えるってもんだぜ」
娘「そっかぁ。じゃあお父つぁん、あたいの為に一番いい人形を選んできてくれたんだね」
父「もちろんよ。見てみろ。五人囃子なんざ、まるで今にも演奏しそうだろ?」

 と、お父つぁんがこう言いましたところで、それを間に受けました五人囃子がここで、一斉に各々の楽器を鳴らし始めました。

娘「わあ、凄いっ。本当に演奏が始まったよ。あたい、動く雛人形なんて初めて見た」
父「お、おう、そうか?…まあ人間、人生五十年のうちにゃ、何度かこういう人形に出くわすこともあるってもんだ…い、いい人生勉強になったな…?」

 なんてんで、お父つぁんも予想外の展開にもう冷や汗ダラダラで。そこへ今度は、お囃子に反応しました三人官女が歌を合わせます。
 由良鬼ゆらおにゃ〜まだえ〜 手の鳴る〜方へ〜♪♪
 こうなってきますてぇと、もうすっかり歌舞伎の『忠臣蔵 七段目』の世界で。ついには最上段に鎮座ましました男雛の由良之助までもが立ち上がり、三人官女の元へと下りていこうとします。そんな中、唯一冷静だったのが、座長扮する女雛のおかる。待てよ待てよ、これは忠臣蔵の芝居じゃない…あくまで自分たちは今、座り雛を演じてなきゃいけないんだ…てぇんで、慌てて自分も立ち上がって由良之助を止めに入ります。

おかる「(小声で)こらっ、落ち着けちゅうに。今は忠臣蔵とちゃうねんで。わてらはここの家主から座り雛ちゅう配役を仰せつかっとんのじゃ。せやさかい、絶対に立ち上がったらあかんねん。ほら、はよ座りぃて」
由良「(千鳥足で)とらまえて〜とらまえて〜 とらまえて〜酒飲まそ〜♪♪」
おかる「(引っ張りながら)『酒飲まそ〜』ちゃうねん。ええか、ここは一力茶屋の場面ちゃうねんで。雛段なんや。ほれ、はよ大人しゅう座りぃや。わてらが妖精てバレたら、甘〜いお菓子が全てわやになってまうねんで。ほら、はよ座らんか、このど阿呆っ!」

 こうなりますてぇと、もうしっちゃかめっちゃか。これを見ておりました娘のみことが、お父つぁんの袖を引っ張りながらこう言いました。

娘「ねえ、お父つぁん。なんだかお雛様が騒がしくなってきちゃったね」
父「あ、ああ、そうだなぁ…こ、こりゃあ、いささか稽古不足だったかな…」
娘「ねぇ、せっかく座り雛を買ったのに、また立ち雛に戻っちゃったよ」
父「あ、ああ、とんでもねぇ欠陥品だなぁ…。こりゃあ、人形にちょいと罰を与えなきゃいけねぇ…。まあ、今年はいいとしても、来年からまたずっと立たせとくか」










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