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斑鳩の神社巡り(前編)

「斑鳩の里」観光マップ

秋も深まった一日、JR法隆寺駅を出発点として、斑鳩の神社を巡りました。
これまで斑鳩といえば、法隆寺を初めとする古代の寺々を訪れたことは何度もありましたが、今回は神社と狛犬を目指して歩いてみました。
下調べもなく、早朝に出発して法隆寺駅に降り立ちました。駅の観光案内所はまだ開いていませんでしたが、「斑鳩の里」の詳しい観光マップがありました。

この地図を見ながら、実際に歩いたのは次のコースです。

法隆寺駅が出発点と到着点になるので、実際は10kmぐらいでしょうか。所要時間は7時間でした。

①素盞嗚神社(牛頭神社)

素盞嗚神社は、法隆寺駅を北側に降りて、西へ600mほど歩いた村の中に鎮座します。鳥居には「牛頭天皇」と書かれていました。木の葉に埋もれて神さびた、静かな神社です。

割拝殿の前には、「大正七年三月」奉納の石造狛犬。

扉の向こうの本殿前にも、個性的な狛犬がいました。台座に紀年銘があるのですが、読み取れませんでした。

②伊弉冊命神社

素盞嗚神社から細い水路沿いに400mほど北に向かいます。突き当たりに築地塀に囲まれた杜がありました。伊弉冊命いざなみのみこと神社です。この神社は、かつては白山大権現とも称し、また、明治には白山神社と呼ばれていたようです。

割拝殿の前には、「嘉永四年辛亥十二月建之」(1851)の紀年銘がある石造狛犬が安置されていました。江戸時代末期の誇張型の狛犬です。

狛犬はこの一対だけで、本殿前には置かれていませんでした。
この辺りは、本殿と拝殿が離れている割拝殿が多いようです。

伊弉冊命いざなみのみこと神社から畑の間の道をさらに北へ進むと、斑鳩大塚古墳があります。5世紀前半に築造された円墳です。なぜかここにも狛犬が置かれていました。新しいものです。

地図を見ながら次に目指したのは菅神社です。ここから西の方角にあるのですが、畑の向こうなので道がありません。斑鳩小学校と斑鳩町役場の前をぐるっと回って行きます。

③菅神社

この辺りの地名は龍田南。寂しい村の中の小さな神社です。

創建由緒などは不明ですが、石灯籠に「牛頭天王」という刻銘がありました。かつては牛頭天王社であったのが、明治の廃仏毀釈で素盞嗚命を祀る「須賀神社」になり、それが転訛して「菅神社」になったのでしょう。
割拝殿の前の狛犬は、平成9年の奉納でした。奉納者の名前が「高麗家一族」と彫られていました。かつての渡来系の人たちがこの付近に住んでいることがわかります。

ここからもう一度斑鳩町役場の前の道路に戻って、東に向かいます。1kmほど行くと、法隆寺の参道に出ます。
松並木のある長い参道の突き当たりが南大門。さらに進むとそこは西院伽藍です。仁王像に守られた中門が正面にあります。

しかし今日の目的は神社巡り。法隆寺は外から参拝して、東の東院伽藍の横の道を北に抜けます。次の目的地は斑鳩神社です。

④斑鳩神社

斑鳩の里には、ところどころに貯水池があります。法隆寺の北にも、天満池・天満上池という人造のため池がありました。
この池の東側にある天満山に鎮座するのが、斑鳩神社です。法隆寺の北東にあたるので、鬼門を守る守護神となっています。祭神は菅原道真です。社号標には「天満宮 斑鳩神社」と刻まれています。

階段を上ると、正面に立派な拝殿がありますが、ここには狛犬はいません。

正面の扉から、本殿を望み見ます。いました。本殿手前の鳥居のこちら側に、一対の浪速狛犬が置かれています。割拝殿の内部の神域もかなり広いようです。

台座の側面や背面を見ることができないので、紀年銘などはわかりませんが、江戸時代の石造狛犬と考えて間違いないでしょう。

斑鳩神社の北側は極楽寺墓地で、たくさんの石造物がありました。

ゆっくりと探索すれば、古い石仏に出会えそうですが、今回は先を急ぎます。
斑鳩神社をあとにして東に向かうと、片野池という貯水池があります。池の西側を巡って北に抜ける道をゆくと、正面に見えるのが法輪寺です。

三重塔は、もとは7世紀末頃に建立された貴重な建造物でしたが、昭和19年(1944)に落雷に遭って焼失し、現在の塔はその後再建されたものです。
こちらも外から眺めるだけで、法輪寺の東側の道を進みます。

⑤三井神社(素盞嗚神社)

法輪寺の東側にある小高い丘の上に、三井神社があります。三井というのはこの辺りの地名で、神社はこの地の産土神です。祭神は素盞嗚尊で、素盞嗚神社とも呼ばれています。この付近には、素盞嗚尊をお祀りする神社が多いようです。

入口には石灯籠が二基並んでいましたが、鳥居はありません。階段を上ると、途中に鳥居がありました。割拝殿には扉がなく、そのまま本殿に参拝することができます。
期待通り、本殿手前の階段の下に、一対の石造狛犬が置かれていました。

そばに近寄って見ると、誇張型の浪速狛犬です。口元の切れ込みが大きく、眉も大きく盛り上がって釣り上がる顔立ちです。

台座には、「天保十己亥年十一月吉日」(1839)という紀年銘が彫られていました。誇張型としては早い時期の作品です。
うれしいことに、石工銘もはっきりと記されていました。

「大阪西横堀 石工小島屋半兵衛」と読めます。小島屋半兵衛の狛犬は大阪だけでなく、この奈良県でも多数見ることができます。
斑鳩にも半兵衛さんの狛犬があったのですね。

斑鳩の里の狛犬巡りは、まだ続きます。
後編をまたご覧くださいね。

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