見出し画像

大阪市の神社と狛犬 ➌西淀川区①田蓑神社~大阪最古の石造浪速狛犬~

大阪市西淀川区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。西淀川区は淀川の北側にある三つの区の西側に位置します。
西淀川区には、神社が9社があります。(地図参照)
9社のうちの5社が海の神を祀る住吉神社ですが、他の神社もほとんどが住吉大神をお祀りしています。
田蓑たみの神社は、神崎川の中州に鎮座する神社で、この地は佃島と呼ばれています。田蓑神社の祭神も、住吉三神と神功皇后です。

田蓑神社

■鎮座地 〒555-0001 大阪市西淀川区佃1-18-14
■主祭神 底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后
■由緒  創建は貞観11年(869)と古く、当初は田蓑嶋神社と称したが、江戸時代に住吉神社と改名し、明治元年(1868)に田蓑神社となる。
天正年間、徳川家康がこの地に立ちよった際、田蓑嶋の漁師が神崎川の渡船を勤めた縁で、「全国どこで漁をしても良し、税はいらない」という特権を与えられた。また、「漁業の一方、田も作れ」と命じられ、それ以後「田蓑嶋」を「佃島」と改めた。境内には、徳川家康公を祀る東照宮がある。

狛犬1

■奉献年 「壬元禄十五年」「午正月十七日」(1702)
■石工  不明
■材質  花崗岩
■設置  瑞垣内 本殿脇

田蓑神社拝殿

田蓑神社拝殿 狛犬は昭和62年(1987)奉納

田蓑神社はこの拝殿の奥に、底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后の住吉四神を祀る本殿が四社並んでいる。

田蓑神社本殿

ここは神社でもっとも神聖な領域で、周囲は瑞垣で囲まれている。狛犬は、この本殿の両脇に離れて安置されている。瑞垣の外からわずかにその姿を垣間見ることができるが、中に入ることを許されない。
3年近く前のことになるが、Facebookの同好グループ「狛犬さがし隊」のメンバーの取り次ぎと宮司様のご厚意で、特別にこの狛犬との対面がかなった。

元禄15年(1702)奉献の狛犬1
元禄15年(1702)奉献の狛犬2
元禄15年(1702)奉献の狛犬3(顔)
元禄15年(1702)奉献の狛犬4(尾)

本殿の両脇に置かれた二体の狛犬は、それぞれ中央を向いて坐している。阿形の第一台座に「壬元禄十五年」、吽形の第一台座に「午正月十七日」という奉献年が彫られている。元禄15年(1702)は、大阪では最も古い石造浪速狛犬ということになる。

元禄15年(1702)奉献の狛犬(阿形)
元禄15年(1702)奉献の狛犬(吽形)

花崗岩製だが、阿形のほうが赤っぽく見える。雨に濡れたために、余計に違いが目立つ。像高は50cmほどで、やや釣り上がった太い眉の下に棗型の目がある。鼻孔は正面を向き、阿吽ともに垂れ耳。吽形には短い角がある。尾は楕円形の根元に毛房が7本立つ。
浪速狛犬とはいうものの、次に古い住吉大社の元文元年(1736)の狛犬とは、様式もサイズもまったく異なる。田蓑神社の狛犬は、江戸時代前期に突然完成形で大坂に出現した謎多き狛犬である。

狛犬研究者の中森あゆみ氏は、丹波や福知山で発見された同型の狛犬を比較して、田蓑神社の狛犬の成立について論じておられる。これらのうち、兵庫県丹波市青垣町の高座たかくら神社の狛犬については、次の写真が参考になる。

高座神社の貼り紙から
高座神社の貼り紙から

高座神社の狛犬は、元禄元年奉献で、田蓑神社のものよりも14年早い。
左右の位置が逆だが、写真の吽形はたてがみの先が巻いている。一方、阿形は直毛である。全体の形や、前肢の付け根にある大きな走り毛はよく似ている。田蓑神社の狛犬は花崗岩製だが、こちらの石材は「戸室石」。戸室石は、石川県金沢市の戸室山などで採石される、角閃石安山岩(火山岩の一種)である。
田蓑神社の狛犬について考えるとき、これらの兄弟狛犬との比較が重要である。同一または同門の石工の作の可能性も十分ある。もしそうだとすると、これを浪速狛犬と定義していいのかという疑問も生まれる。

なお、徳川家康公を祀る境内社の東照宮前には、この元禄狛犬を模した昭和2年(1927)建立の狛犬が安置されている。

徳川家康公を祀る東照宮と狛犬

狛犬2

■奉献年 天明七丁未三月吉日(1787)
■石工  大坂 西川屋
■材質  砂岩
■設置  公園側鳥居横

神社から公園に抜ける参道の鳥居と狛犬
天明7年(1787)奉献の狛犬(阿形)
天明7年(1787)奉献の狛犬(吽形)
天明7年(1787)奉献の狛犬(阿形後ろ姿)

田蓑神社の正面参道から拝殿にお参りし、本殿の横を抜けると公園に出る。この公園側にも鳥居があり、鳥居の横に砂岩製の狛犬が置かれている。
台座に「天明七丁未 三月吉日」「大坂石工 西川屋」「長谷川講中」「山田屋常次良 油屋庄左衛門」などの文字が刻まれている。「大坂石工 西川屋」とは、西横堀の石工「西川屋五良兵衛」と思われる。
西川屋五良兵衛の狛犬は大阪で5例あり、他に灯籠も残っている。
人間の目のような瞳のある目の上に、ねじれた巻き毛の太い眉がある。獅子舞のような顔つきで、顔の周囲は巻き毛が取り巻く。巻き毛や流れ毛には毛筋がはっきりと刻まれている。この様式は、高槻市の上宮天満宮の狛犬に始まる「上宮型」である。
上肢の付け根と後肢の大腿部には、ごつごつとした筋肉を表すような饅頭紋がいっぱいある。

田蓑神社の狛犬の紹介は、以上の江戸時代の2例にとどめます。
補足として、境内の石碑の写真を掲載します。

田蓑神社境内の石碑

■「佃漁民ゆかりの地」

天正14年(1586)、徳川家康が住吉大社から摂津多田神社へ参拝した折りに、神崎川の渡船を佃漁民が務めた縁で、家康が江戸幕府を開いたのちにも、佃漁民には特別な権利が与えられた。

■「紀貫之の歌碑」

雨により 田蓑の島を けふゆけば なにはかくれぬ ものにぞありける
  『古今和歌集』紀貫之
阪神淡路大震災で倒壊した標柱と記念の歌碑

最後になりましたが、貴重な狛犬の見学・調査に応じてくださり、このnoteへの狛犬の写真の掲載についても快く許諾してくださった田蓑神社の宮司様に、お礼を申し上げます。 




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?