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高麗美術館「あつまれ!朝鮮王朝の動物クリム 展」~展覧会#15~

国内唯一の朝鮮美術館

ずいぶん久しぶりに高麗美術館を訪れました。1988年に開館したこの美術館には、在日一世の実業家・鄭詔文(チョン・ジョムン)氏が40年に渡って収集した、高麗・朝鮮王朝を中心としたコレクション約1700点が収蔵・展示されています。朝鮮美術専門の美術館は、日本で唯一ここだけです。

高麗美術館は京都市北区紫竹上ノ岸町の閑静な住宅街にあります。堀川通りから入ってすぐ、賀茂川の近くです。上賀茂神社も歩いて10分ほどで行けます。道路をはさんで、美術館と高麗美術研究所があります。
瓦屋根と自然石がはめ込まれた塀のある建物が高麗美術館で、入口の石人が訪問者を迎えてくれます。

朝鮮半島の石造物

入口の石人は、兜をかぶり剣を持っているので武官でしょう。門を潜ると美術館の建物の入口の前には、二頭の石羊が置かれています。石羊は魔除けであり、「羊」は「祥」に通じることから縁起の良い動物と考えられています。前庭の右手には、笏を持った3人の石人がいます。

たくさんの石像が置かれているのは、左側の一画です。

アーチ型の石門を潜ると苔むした庭があります。石門のすぐ内側には武官の石人が庭内を守っています。

正面には石の長明燈と五重塔があり、その左右に文官が控えています。

右手の美術館の建物の前に、一対の「ヘテ」が置かれていました。「ヘテ」は中国の「獬豸かいち」が朝鮮半島に伝わって生まれた聖獣です。

中国の獬豸かいちが一角を持つのに対し、ヘテには角がありません。ヘテは、魔除けとして建造物の門前などに置かれることが多いようです。
なお、美術館の中に、立派な一対の獬豸かいち像がありました。館長さんにその由来などを伺ったのですが、よくわからないとのことです。館内は撮影禁止なので、残念ながらここに載せることはできません。
最後に、ヘテ像の後方、美術館の建物の壁の裾部分にはめ込まれた十二支像を紹介します。

十二支の動物たちは、からだをほぼ正面に向け、顔は右を向いています。昔、韓国慶州の掛陵けりょうに行ったとき、陵墓の周囲に十二支神像を刻んだ護石がありました。高麗美術館のものは、もっと新しいものだと思われます。
これらの石造物のほとんどは、貴人の墓を守っていたものでしょう。
朝鮮半島は、日清戦争の後、李氏朝鮮から大韓帝国になりますが、日本の影響力が強く、1910年にはついに日本に併合されてしまいます。この頃から、たくさんの文化財や美術品が、あるいは略奪され、あるいは安価で売却されて海外に流出しました。

高麗美術館の創設者である在日朝鮮人一世の鄭詔文(チョン・ジョムン)氏は、日本の骨董屋や古道具店を通じて、長年に渡って故国の石造物や生活用品、美術品を収集されたわけです。その数は1700点にのぼります。
1988年に開館したときの初代館長は林屋辰三郎氏、二代目館長は上田正昭氏。どちらも地元京都大学出身の有名な歴史学者です。現在は、同じく京都大学出身の井上満郎氏が三代目館長として就任しておられます。

美術展の前置きが長くなりましたが、ここまでの石造物は、入館する前に見学できるので無料です。高麗美術館に行かれることがあったら、ぜひゆっくりと味わってほしいものです。

朝鮮王朝の動物クリム展

「クリム」とは何? 「クリム」(그림)とはハングルで「絵」の意です。この展覧会では、朝鮮王朝時代の動物が描かれた絵を中心に、動物をモチーフとした館蔵の美術作品が展示されていました。

入館料は大人500円。65歳以上は400円です。安いですね。
館内に置かれていた展覧会のチラシには、次のような説明がありました。

朝鮮半島では龍や鳳凰など国の守護神とされる四神が王室の紋章に使われました。朝鮮王朝時代の民画では栗鼠(りす)などの身近な動物を子孫繁栄のモチーフにしたり、虎や猿を山の神として描きました。また長寿を願う十長生の図案として鶴、鹿や亀が屏風、陶磁器、家具や刺繍に取り入れられます。動物たちを大胆愉快に描くまなざしが特徴といえるでしょう。生活の身近にあった動物クリムを通して、その地に暮らした人々の希望や祈りの世界をご覧ください。

購入したチケットにもかわいい動物絵が描かれています。

この絵は、「華角かかく箱」と呼ばれる装飾箱の絵柄です。「華角」とは透明度の高い牛角を薄板状に加工したもので、背面から彩色絵付けを施して角板を箪笥や箱の木の素地に貼り合わせた朝鮮独特の工芸品です。
館内は撮影禁止なので、高麗美術館のHPのコレクション紹介ページから、数枚の写真をお借りします。

華角三層チャン

これは、「華角三層チャン」と呼ばれる工芸品です。「チャン」とは箪笥のこと。このチャンには、華角が159枚も貼られています。とても手の込んだ作品ですね。実際に使用されていたと思われます。

鵲虎じゃっこ

|虎とカササギを描いた図です。鵲虎図は吉兆を意味したおめでたい図像で、新年に家々で飾られたそうです。もとは中国から伝わったもので、中国では虎ではなく豹でした。その名残が虎の斑の毛皮に表れています。

鉄砂帆船魚文壺

ろくろ目が粗く、素朴で力強い壺です。片面に漁に出る帆船を描き、反対側には、大魚が追手から逃れるように描かれています。

ほかにも、長寿や吉祥を願う図柄の工芸品や絵画が多数ありました。長寿を願う絵としては「十長生図」がよく描かれたようです。「十長生」とは、「日、山、水、石、雲、松、不老草、亀、鶴、鹿」の十種を指します。鹿が長寿の動物になるのが不思議ですが、七福神の寿老人は鹿を伴っていますね。他に、朝鮮通信使の資料も展示されています。

美術館の2階には、朝鮮王朝時代の男女の部屋が復元されています。
男性の部屋は「舎廊房」(サランバン)といい、玄関近くに位置しました。趣味に親しむだけでなく、接客や仕事など日常の大半をここで過ごしました。一方女性が普段起居する部屋は「閨房」(キュバン)と呼ばれ、夫婦が寝食を共にする私的な空間でした。こちらは長生文様や瑞祥文字の施された箪笥や鏡台、裁縫箱などが置かれ、華やかな部屋になっています。

2階のテラスには、たくさんの壺がありました。酒や水だけでなく、いろんな食品を保存するのに利用されました。

館内はそれほど広くなく、来館者もほとんどいないので、一つ一つの作品をゆっくり鑑賞することができました。私が滞在した1時間あまりの間に、ほかの来館者は一人だけでした。
場所が不便だからでしょうか。すぐ近くにバス停がありますが、電車の駅からは離れています。私は地下鉄の北大路駅から20分ほど歩きました。ちょっと遠回りになりますが、賀茂川の河原を歩いて行くのもいいと思いますよ。


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