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大阪市の神社と狛犬 ➎福島区①海老江八坂神社~和泉屋源兵衛の明和狛犬~

大阪市福島区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。淀川のすぐ南側には5つの区がありますが、福島区は此花区と北区に挟まれる位置にあり、大阪都心6区の一つになっています。かつてはこの辺りも難波八十島と呼ばれる地域でした。福島天満宮の社伝によれば、平安時代に菅原道真が九州大宰府に配流になった際、当地の里人徳次郎が旅情を慰めたことを喜んで、「餓飢島」と呼ばれていたこの辺りの名称を「福島」に変えたといいます。
福島区には、神社が6社あります。(地図参照)
海老江八坂神社は、阪神電車「野田駅」から北方向に歩いて12分ほどの、淀川に近い所に鎮座しています。

海老江八坂神社

■鎮座地 〒553-0001 大阪市福島区海老江6-4-2
■主祭神 素盞嗚尊
■由緒  海老洲と呼ばれた砂州が開拓された折に創建された古い神社で、かつては牛頭天王社と呼ばれていたが、明治元年の神仏分離令により、八坂神社と改称した。

浪華往古図(宝暦6年・1756)

狛犬1

■奉献年 明和七庚寅年九月吉日(1770)
■石工  大坂 和泉屋源兵衛
■材質  花崗岩
■設置  東南側鳥居手前

海老江八坂神社 明和7年銘狛犬(阿形)
海老江八坂神社 明和7年銘狛犬(吽形)
海老江八坂神社 明和7年銘狛犬(阿形・斜め後方)

「明和七庚寅年九月吉日」「石工  大坂  和泉屋源兵衛」の銘がある狛犬。拝殿の正面ではなく、拝殿に向かって左手の入口の鳥居前に安置されている。明和年間は1762年から1772年までの約8年間で、大阪府では12対の紀年銘のある狛犬が残されている。そのうち11対が砂岩製で、唯一の花崗岩製狛犬が、この海老江八坂神社の狛犬である。
阿形は保存状態がよいが、吽形は阿形の対とは思えないほど摩耗が激しい。
浪速狛犬としてのタイプは、いわゆる「上宮型」で、四角い獅子舞顔で、上唇が山型に鼻の方に切れ込んでいる。阿形の背中にかかる流れ毛が美しく、尻尾も量感がある。吽形は表情が読み取りにくいが、頭上には大きな角がある。
なお、背後の鳥居にも、同年の「明和七庚寅年九月吉祥日」「石工  和泉屋源兵衛」の銘が刻まれているので、同時期の奉納であったことがわかる。

狛犬2

■奉献年 昭和十五年十一月吉日(1940)
■石工  不明
■材質  花崗岩
■設置  拝殿前

海老江八坂神社 拝殿と狛犬

拝殿前には昭和15年(1940)奉納の狛犬が置かれている。この年は皇紀2600年に当たり、たくさんの狛犬が奉納された年でもあった。
写真は夏祭りの直前で、山車や太鼓が盛大に出るので、狛犬の周囲が保護されていた。その後も何度も参拝しているのに、残念ながら写真が見当たらない。かくれんぼしながら、頭だけ出しているように見える。

囲いで守られた狛犬(阿形)
囲いで守られた狛犬(吽形)

ゑびす神社前の中国獅子

境内末社の「ゑびす神社」の鳥居前に、小さな中国獅子が置かれている。もとからここに安置されたわけではなさそうだ。北方系の獅子像である。

ゑびす神社と中国獅子

稲荷神社

稲荷神社

こちらも境内社の稲荷神社。向かって左側には、たくさんのお狐様が整列している。ながらく稲荷信仰が篤かった証拠だろう。

たくさんの狐像

特殊神事 宮座

海老江八坂神社 由緒書

境内に掲げられた由緒書に「特殊神事 宮座 十二月十五日」と書かれている。「宮座」というのは、神社の祭礼を行うために、地域の氏子などで構成された組織のことだ。明治時代になると国家神道の制度が確立され、神社の祭礼は神職中心の規格化されたものとなり、宮座は急速に解体していった。海老江八坂神社は、都会でこの宮座組織が残っている数少ない神社である。
12月15日に行われるのは、「御火焚おひたききょう神事」と呼ばれるもので、「御饗おきょう」と呼ばれるお供え物を用意して神に供える。

御饗

15日の夜には、神饌や御膳を担いで神社周辺を巡る「出立の儀」が執り行われる。

御火焚の饗神事1
御火焚の饗神事2
御火焚の饗神事3
御火焚の饗神事4

これらの写真は、2016年に行われた宮座神事を見学した時のものです。

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