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『海外駐在』の動機



初回の記事を読んでくださった方が30名もいらっしゃると分かりました。

何もしなかったら0名だったものが
30名になった。
その事実にとても嬉しくなりました。
ありがとうございます!
30名と言えば、クラスメート全員の前で教壇で話しているくらいの規模感がありますね。
そう想像したらワクワクしました。


今回は、なぜ
【若いうちに、責任あるポジションで海外駐在】
がしたかったのかついて整理していくために、
まずは就職活動(10年前)を振り返ります。
当時の気持ちをなるべく思い出しながら、
書いてみたいと思います。

海外駐在はずっと目標だった

今から10年前、リーマンショックによる急激な
就職氷河期がようやく少し落ち着き始めた頃、
私も就活をする時期にありました。

私は、残念ながら就活を楽しむという感覚は持つ
ことはできずに就活を終えました。
むしろ、大変で、苦しいものというのが正直な感想です。
自分なんて全然ダメだ、、、と惨めな気持ちになったこともありました。
唯一の救いは、結果に納得できたという点です。

なぜ大変で、苦しかったと感じたのか。
それは、多くの方と同じように、
自分ができること、自分がやりたいことを
言語化するのに非常に苦労したからです。
『どうしてもこの会社に入りたい!』というような、自分の中でのお気に入り企業ランキングのようなものも頭に描けませんでした。

そんな中で、
最終的に私が面接で馬鹿の一つ覚えで言い続けた『入社後にやってみたいこと』。
それは「海外に工場を建ててみたい」でした。

壊された生活と将来


学生の私が縁あって仲良くしていた外国人たち
(これについてはまたいつかの機会に)の多くは
私よりも3つか4つ程度年上で、
彼らは自国でリーマンショックによる就職大氷河期をもろに受けた世代でした。
彼らはみな大卒でしたが、若者の就職先は全くないと言ってよく、
やむを得ず大学院に進学し就職を延期する人、
しばらく実家の家業を手伝う人、
何もできずにただ時間だけが過ぎる人、

と様々でした。
正直彼らと遊んでいた時は、私が無知だったあまり、また彼らの天性の明るさにも助けられ、
そういう苦しみにはあまり気付いてあげられなかったのですが、そういう選択をする場面は見ていました。

そんな彼らのことを振り返って思ったことがあります。


ひとつは、産業があることの価値について。
彼らが住む街には、恐らく地元の雇用を大きく支えていたであろう工場がありましたが、
リーマンショックの煽りで瀕死の状況。
市内から市外に向かって走るはずだったトラムは建設途中で計画が棚上げされ、
延長された線路の上に雑草が生い茂る。

これを振り返った時、ひとつの場所に産業や工場があることがその街に大きく影響を与え、従業員やその家族、周辺住民、その街といったたくさんの人の生活を支える力を持っているのだと感じました。

もうひとつは、私と彼らの関係はあくまで友達
ですが、もし私が彼らと仕事仲間として向き合った時、彼らを動かすために自分はどう行動するだろうか、と。
友達と仕事仲間では全然違うのだろうな。
でもどう違うのだろうか。


そんなことを考え始めた私がイメージしたのは、
工場の広い生産現場に手組み生産ラインが縦一列に整然と並び、
たくさんの工員がそこで仕事をしている姿です。
私はその工場を建てた、海外経験豊富で信頼された人物で、私が声をかけると、
彼らは笑顔で挨拶をしてくれる。

これが、私が『海外に工場を建ててみたい』
言葉に出来た瞬間でした。
私の知っていることと想いがやりたいことに
昇華された、まさにその瞬間です。


そしてその逆算として、既に海外赴任を経験済みの、知見も経験も十分な人というおおよその自分像も固まりました。




………






いや、待て待て。


いま『知見も経験も十分な人』と見て、
おじさんになった自分を自動的に想像した自分がいたぞ。


違う違う。人生は短い。
知見も経験も信頼も早く得て、早くやりたいことが出来るように(やらせてもらえるように)動くにはどうすればいいのかを考えるのが大事なんじゃないだろうか。
おじさんになるまで待つ理由はないぞ!

そのためにはどうしたらいいだろうか。


だったら、
若いうちに海外に出してもらえる方法を考えよう。

世の中の会社には、人事制度の一環でトレーニーとして海外に数年程度、若手を派遣する素晴らしい制度を持つ会社がたくさんあります。

ただ、あくまで私の将来像からすると、
トレーニング目的の海外派遣ではなく、
現地で成果を求められるシビアなポジションにつき、現地スタッフを動かす実力をつける必要があります。
よって、(羨ましいけど)私にはこういう制度は合わないだろうなという割り切りもしました。

トレーニー制度は私が働く会社にも存在します。
そして、実際に同期がこの制度を活用して海外に行った際は、結局羨ましいと思ったのもまた事実です。
『お前は海外に行くことだけが目的なのか』と自分を諌めていました。欲深いものです。

こうして私の海外への出方は、
研修や出張ではないことも決まりました。

結果、こういった考えにより
【若いうちに、責任あるポジションで海外駐在】という私のキャリアのひとつのマイルストーンが確定しました。


これ以降、これらの言葉は、

私のやりたいこと
「海外に工場を建ててみたい」

そこに向かうのに必要なこと
【若いうちに、責任あるポジションで海外駐在】

を自分の言葉で表現するフレーズ(理由も含めて)として大活躍してくれたのです。

壁打ちに助けられた


さて、ここまでの言語化の作業を具体的にどうやったのかについても少し書いておきたいと思います。

私は、大学で仲良くしていただいていた先輩が非常にサポートしていただき、
自分の芯を言葉にする壁打ち作業をとことんやってくださいました。
ご本人も就活に大変苦労されており、その大切さを私に伝えようとしてくださいました。
この先輩とは現在に至るまでご縁が続き、
お互いの結婚式に呼び合ったり、
偶然にも現在お互いの勤め先からフランスに駐在しています。

私もせいぜい34年の人生ですが、自分の人生に大きな影響を与えた方、救ってくださった方というのが何人かいらっしゃいます。
この方はそのうちの1人です。
上記でお世話になった先輩をはじめ、
就活で出会った企業の方からいろいろな刺激を受け、勉強になった思い出が残っています。
これらを通して、私自身は就活を通して明らかに成長したと感じることができました。


しかし、やはり苦しみの時間も存在します。

就活は自分の弱さと向き合う時間も出てくると思います。私もそうでした。
西野亮廣さんの『時計の針が重ならない11時台』の話をご存知でしょうか。
この話に要約されますので、よろしければご覧になってください。

https://youtu.be/x2EXQ7VLyUI?si=vkT_NTNJS5nvHW5y


完璧な人間などいないこの世界で、
みんなが背伸びをして頑張る行事という側面が
就活にはあります。
必ずしも居心地が良いとは言えません。
しかし、それで良いとも思っています。

何故なら、
出来ないことがあることは悪いことではない
からです。
出来ないことを出来るように行動すること
が良いことであり、
出来ないことに言い訳をしてやらないまま放置すること
が悪いことだと思います。



とはいえ、
お祈りメールが連続着信すれば平常心を保てなくなるのは当然ですし、
そういう方が求めていらっしゃるのは慰めではなく至極具体的なアドバイスであることは痛いほどわかります。
私があの当時だったらそう思ったでしょう。

なので、僭越ながら私ができる最も具体的なアドバイスはこれです。


手足を動かし、たくさんの人と言葉に触れましょう。そして、触れた言葉が自分にしっくりくるか、いちいち丁寧に考えましょう。
これ以外に近道はありません。


就活をしていると、自分の考えを端的に分かりやすく言葉にするのが簡単ではないことに気づかれると思います。

人の想いは真似できませんが、
言葉は真似できます。

ここに書く私の言葉を真似て、誰か1人でもお役に立つことができたら、最高に嬉しいです。


また昨今、新卒一括採用のネガティブな側面ばかりが強調されます。
変えなくてはならならないものもある一方、
私はこれらの意見を全面的に支持することもしません。

この行事を宇宙から眺めるような大きな気持ちで見てみるとどう映るでしょう。
日本というひとつの国の中で、人生の先輩たちが、これから働こうという若人たちの考えや意気込みを受け止める壮大な壁打ち大会をしているように見えませんでしょうか。

つまり、全日本人のビジネス戦闘力の合計値(非常に曖昧な表現で恐縮です)の引き上げのために、
日本の全先輩たちが後輩たちを鍛える場。
そんな状況にも見えてくるのです。

こういうのは、自分の隣の人がやっているのを見て焦ったり、比較してしまうデメリットもありますが、
一方で、それによって集団にある程度の緊張感が維持され、全体の成果の質が保たれていく効果もあるように思います。

もちろん、誰もこんな意識で就活・採用面接をやっているわけではないでしょう。
自然にそうなっていると感じる、という私の感想ですので、ご容赦ください。

私が働くフランスでは、人を育成するという感覚、および業務の引き継ぎをするという行為への責任感が非常に希薄だと感じます。
引き継がれるのはあくまで役割とポストであり、育成を仕事として与えられていない、
ジョブディスクリプション=職務記述書や雇用契約書等で明確に合意されたものでない限り、それを自分がやるべきこととして認識する人は非常に少ないです。
(良い悪いという判断をしているのではないことをご留意ください。あくまで日本と比較するとそうだ、ということです。)

まがりなりにも外の世界を見てみると、ひとつの事象をいろいろな側面から観察するようになります。
こういう力は人の気持ちを理解したり、
重要なことを捉えたりするのに必要な力だと思います。
これは、ただ海外に出ればつく能力ではありません。また、日本にいても十分身につく能力だと思います。
ただ私のような凡人には、海外に出るくらい物事と価値観が極端に変わる環境変化を経験した方が気づきやすい、というのが本当のところだと思います。

今回はこのあたりまで。
来週は就活の総括について書きます。

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