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何の為のバカンスか



今週に入ってから気温が一気に低下し、
現在朝10時で外の気温はマイナス3度。

寒すぎて午前中の買い物の予定は午後に延期。
代わりに今週読み始めたこの本を読んでいる。


『休暇のマネジメント 28連休を実現するための仕組みと働き方』高崎順子著




著者はフランスでのご経験が長く、
なぜ日本とフランスではこれほどまでに休暇に対する捉え方、取り組み方が異なるのか、
その背景や仕組みの違いを説明されている。



法律上では企業が従業員に最低2週間の連続休暇を、企業が指定した期間に取得する権利を付与することが義務づけられており、
これを利用して多くのフランス人は夏に3週間から4週間のバカンスを取得する。

国全体が夏に仕事をする人が少ない前提で回っており、夏の間に相手が仕事をしなければならないような仕事の進め方はしないし、取引先のサービスが低下することに文句を言う人も非常に少ない(自分も休んでいるから)。


私も雇用契約等から最低2週間のバカンスルールの恩恵に預り、毎年夏は2週間という、日本であれば奇跡的なお盆休みと土日の組み合わせでもない限り実現できない大きな休みを堂々と取得できるし、それでもフランス人同僚からは『短すぎてかわいそう』と言われます。


同僚の中には、庭の手入れや家の修繕・改築(フランスでは大工に頼まず、自分でやる人も多い)、別荘で家族で過ごすなど地元でバカンスを満喫する人もいれば、
休みの半分程度は国内外に旅行に行くなど人によってさまざま。
ちなみに、統計によるとバカンスで旅行に行く人のうち、フランス国内を旅行するのは7割くらい。
JTBの調査によると、同じく日本人のお盆休みの海外旅行比率は9.7%とのこと。
他国と陸続きなだけあり、海外に行く人が日本より多いようです。




このような幸運に恵まれ、私も赴任以来3度、夏のバカンスを過ごしているのですが、
知るのとやるのは大違いとはまさにこのこと、
バカンス(休暇)というものに対する考え方が少しずつ変わってきた。


日本では旅行するにせよ、家族と会うにせよ、
常に課題として感じていたのは、
この期間に

・体力を回復させる(たっぷり休む)
・なにか経験する(旅行など)

このどちらを優先するかを常に考える必要があった。
なぜなら、時間が短いから。

時間がないと、バカンスに対して求めるものを制限せざるを得ない。




では、バカンスは何のために存在するのか。


本によると、それは、

《[生きる喜び][人としての尊厳]を知るためという、生き方の根本に関わる狙いがあった》p24


これを捉えるニュアンスは人それぞれでしょうし、私は日常の仕事から一旦離れ、十分な休息と新しい知見を得ることによって、再び仕事に戻った時に更に生産性を高めるサイクルを作るようなバカンスを過ごしたい、と思います。

2週間なんの計画もせず、家でのんびりするだけのバカンスを過ごして、それが幸せな人もいるでしょう。その過ごし方を否定する理由はないです。

私としては、
実際にバカンスというものを経験してみた結果、
身体の休養・回復という実利的な役割はバカンスという仕組みの核心ではなく、
バカンスという仕組みを自分にとって真に活用するために、それをどのように使うのかを真剣に考え、行動するということ、つまり与えられたことに満足するのではなく、それをどう活用するかを考えることが大事だと思います。
なぜなら、その思考と行動の結果が、
それぞれの[生きる喜び]に寄与すると思うからです。





本を読んで分かったことは、元々フランス人もバカンスありきの生活をしていた訳ではない、ということです。
現在のバカンス制度が生まれ始めたのはほんの90年前。どうすれば国民に休息の文化を根付かせることが出来るか。現在のバカンスが国民に根付くまでの政府の様々な努力やその背景が説明されているので、ご興味があればご一読ください。






バカンスという恩恵に預かる身として、
今年の夏のバカンスに求めていたのは『新しい文化に触れる』でした。具体的にはイスラム文化。

様々な候補から選んだ国はボスニア・ヘルツェゴビナ。
欧州の国でありながら、イスラム教の文化が根付いてるとても珍しい国の1つです。


クロアチア、モンテネグロと近隣のキリスト教国の後にボスニアに入ったため、これかのバルカン半島諸国の違いや歴史を知るのもとても勉強になった。




そんなボスニアに向かう道中で出会った1人の女性がいます。

クロアチアからボスニアに向かう長距離バスの車内。
私たち夫婦がバスに入った時には既にほとんどの席は埋まっており、最後尾にしか空席はありませんでした。(チケットに席の指定はなく、自由席)


最後尾には、サングラスをかけた40代くらいの女性が1人。
私たちが席に座った直後、彼女はズボンのポケットをゴソゴソ。
出てきたのは袋に入っている訳でもない、手に散らばる生身のハーブ。




『これ、さっきあそこに見える島を散歩したときに見つけた野生のタイムなの。匂いを嗅いでみて。すごく良い匂いなの』



なんだかヤバい人か、、
と一瞬身構えたものの、
聞けば彼女はボスニアから週末を使ってクロアチアに遊びに来ており、私たちがこれから向かうボスニアの街出身。

『こっちの席の方が景色が断然いいから席を変わってあげる。私は何回も乗ってるから。』

そういうと彼女は、海沿いを走りバスの海側の席を私たちに譲ってくれました。
また、そのあとの道中の3時間、お互いの紹介に始まり、立ち寄る先々のクロアチア、ボスニアの土地の名産品や紛争時の悲しい歴史、当時まだ小学生だったご自身が覚えていることなどを話してくださった。


驚いたのは、彼女はボスニアの放送局で働いており、ボスニア・ヘルツェゴビナでの慈善事業についてNHKにプレゼンするために何度も来日し、
当時の天皇陛下(現在の上皇)に謁見して記念の杯をいただいたそう。

立ち寄るサービスエリアで買ったスナックをシェアしてくれたり、周りの乗客のボスニア人に私たちを紹介してくれたり、お子さんの写真を見せてくれたり、とにかくサービス精神の塊のようなすごく温かい方でした。

自分が日本で同じような状況になった時、
自分も観光客を積極的に助けてあげたいなと思わせてくれました。


ボスニアの人々は、(この女性は例外として)ちょっとシャイで最初はとっつきにくいけど、結局は何かしら気遣ってくれているような心の優しい人ばかりでした。
ご飯も非常においしく(野菜と肉の旨みがすごい)、夜中でも子どもが大人と外を歩いており治安の問題も全く感じず。
おまけに欧州で随一の物価の安さ。
歴史にあまり興味のない妻も『もう一度来たい』と言うほど私たち夫婦がこの国が好きになりました。



ボスニアを見て思うのは、
国がどこにあるかで、そこにいる人々を大きく変えてしまうのだな、ということ。
ボスニアはイスラムとキリストの交差点として、そして中世の物流の要衝として重要な土地であり、そのために奪い合いや宗教・民族・言語の違いによる他者の排斥が続いてしまいました。

世界全体では、ボスニアのように陸続きで外国と接することのほうが普通で、日本の地理的特徴とその影響というものを改めて感じます。
そういった背景があると、
日本で同質性を求める空気感が生まれやすいことも分かる気がするし、欧州で移民受け入れに反対する政治家グループが各国にいることの理由が、そのロジックややり方に同意するかは別として、そういう感情が生まれる背景は理解できる。


それぞれの国の特徴が良い悪いという議論ではなく、より大事にしたい視点、つまり、
1人の人間としてどう生きれば良いだろう、自分とは違う他者を受け入れるとは具体的にどういうことなんだろうという答えに落ち着けたらよいなと思います。




街の歴史的建築物にも内戦時の銃痕が残る
ボスニアンコーヒー。トルココーヒーの影響を受けていて味が濃くておいしい。必ず砂糖菓子がつく。


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