知的障がい者

『「世界一受けたい授業」にも取り上げられた「虹色のチョーク」ができるまで』

 今年5月に出版した「虹色のチョーク」は、日本理化学工業というチョークの会社に密着して書いたノンフィクションだ。
 日本におけるチョークシェア50%以上を担うこの会社で、チョークを作り続けている社員の皆さんには知的障がいがある。

 全従業員81人中60人が知的障がい者(内27人が重度の障がい者)であるチョークメーカーが、日本最大のチョーク生産を誇るまでになった経緯は“シナリオのないドラマ”としか言いようがない。

 私が何より心を射貫かれたのは、知的障がい者がチョークメーカーのエースであり最前線の戦力になる黎明期の物語だ。
 
 昭和12年に創業されたチョークの老舗工場が、知的障がい者を雇用したのは昭和35年のことだった。
 養護学校の先生の「人生にたった一度でいいから、知的障がいのある子供たちにも働くことを体験させたい」という熱意に押され、当時専務だった大山康弘会長が2人の少女を“奉仕の精神”で雇用した。

 大山会長はふり返る。

「知的障がいのある子供たちに仕事などできるはずがない、と頭ごなしに考えていた私は、何度も断りました。けれどそれでも諦めない養護学校の先生の熱心さにほだされ、先生の気持ちに答えられれば、という気持ちで期間限定の職場体験実習ならと受け入れました。2人の少女は日々楽しげに工場へ通い、実習の期間は無事に終わりました。これで役目は果たした、と思っている私に、工場の社員たちが私の所へやって来て、こう言ったのです。『自分たちが面倒を見るから、この子たちを雇って欲しい。辞めさせないで欲しい』と」


 驚いた大山会長は、今度は社員たちの懇願を聞き入れ、その少女2名を正社員として雇用した。やがて毎年、知的障がい者を雇い入れるようになっていく。
 そこには、禅の教えが関わっていた。

「私が知的障がい者の雇用の継続を目指したのは、ある法事で臨席した禅寺のお坊さんの言葉がきっかけでした。そのお坊さんは『人間にとって究極の幸せは4つです』と言い切ったのです。私はそれを書き留めました」

 お坊さんが語った人間の究極の幸せ。それは、

1つ目は愛されること、
2つ目はほめられること、
3つ目は人の役に立つこと、
4つ目は人に必要とされること。

 チョーク工場の若き経営者は、障がい者であっても、福祉施設で大事に面倒をみてもらうことが幸せなのではなく、働いて役に立つことが幸せなのではないか、と考えた。

「社会から閉ざされ、働く機会など与えられることもなかった知的障がい者にも4つの幸せを感じて欲しい。そう思うと、これこどが私の天命なのだ、と考えるようになっていきました」
 
 以後、日本理化学工業の壮大なチャレンジがスタートする。
 知的障がい者が働く幸せを実現するため、工場のラインを劇的に変えた。マニュアルも時計も読めず、計算ができない彼らのために、そうした者が必要ない作業工程を作り上げるのである。
 3種類の色と型を合わせることで原料を計り、ひっくり返せば時間を計れる砂時計を使うことで正確な工程時間の厳守を実現した。

 彼らが製造ラインでチョーク作りに着手すると、そこには想像を越えたドラマが起こっていった。

「まず、彼らの生産意欲に舌を巻きました。良いチョークを量産しているというプライドが喚起され、さらに良いチョークをたくさん作ろうという気持ちを高めていったのです。健常者の社員が掲げるチョークの目標本数を絵や文字にして張り出し、掲げていくと、それを実現するために、彼らは特別な集中力を発揮していきました」

 さらに、驚きは続く。

「チョークの製造工程はほとんどが手作業で、職人の技が際立って必要なのです。彼らにはその能力がありました」

 常人では15分、30分が限界な作業でも集中力を持って数時間続けることができる。常人なら見逃してしまう、チョークの小さな気泡やひび割れ、欠けを見つけ出し、取り出すことができるのだ。

「チョークはJIS規格が厳密で、そこから逸脱すると出荷を停止されることもありますが、彼らの精密機器のような目が、正しいチョークを製造する上で不可欠になっていくのです」

 知的障がいのある社員たちは、生活面でも鮮やかに規律を守り、挨拶や感謝の言葉を普通のこととして繰り返すようなった。

 日本理化学工業に起こったイノベーション。

 それまで誰かのサポートがなければ暮らしていけず、仕事など持てるはずもなく、施設で障がいを過ごすしかない、と考えられていた知的障がい者たちが、チョーク製造でトップに立つ日本理化学工業では、先頭に立つ技術者であり職人となった。



 大山会長の長男で日本理化学工業の現社長・大山隆久さんは次のように語る。

「彼らがいなければ、日本の多くの学校からチョークが消えてしまいます。この会社だって、すぐに倒産してしまうでしょう。彼らの技術を仕事への意欲で経営が成り立っているのです」

 日本理化学工業で働く知的障がい者の社員たちは、皆正社員で、年金にも、健康保険にも入っている。ほとんどの社員が60歳の定年まで勤め上げ、65歳までの雇用延長を申し出る。
 本人が希望し、また健康であれば70歳までの延長することも可能だ。

 大山社長は、働く社員に家族のように話しかける。

「頑張っているな、ありがとう、と顔を見ると声をかけていますね。知的障がいがあるからではありません。我が社のエースたちに日々、感謝せずにはいられないからです」

 今でも時々訪れるチョーク工場の窓には、大きな虹が描かれている。私にとって、日本理化学工業は青空にかかる虹を見上げる豊かな草原のような場所である。



『虹色のチョーク 働く幸せを実現した町工場の奇跡』
著者:小松成美 定価:1300円+税 幻冬舎・刊
「彼らこそ、この会社に必要なんです」 社員の7割が知的障がい者である
チョーク製造会社・日本理化学工業(株)の、福祉と経営の軌跡を、会長や社
長、社員、その家族への取材で描いたノンフィクション。

 
 これからも「虹色のチョーク」についての取材秘話・原稿には綴らなかった想いなど、エッセイを記していきます。

 本日よる7時56分から8時54分までオンエアされる「オンエアされる日本テレビ「世界一受けたい授業」で先生になりました。
 
「世界一受けたい授業」
 働く人の約7割が知的障がい者…チョーク業界シェアナンバー1の会社に潜入! http://www.ntv.co.jp/sekaju/


 伝えたのは“日本でいちばん大切にしたい会社”のこと。
 私が受け持った特別授業のテーマは、著作「虹色のチョーク」で描いた日本理化学工業です。
 現在、日本のチョークシェアNo. 1のチョーク会社の社員の皆さんの活躍と、この会社の歴史を解りやすく解説しました。
 堺正章校長も上田晋也教頭も学級委員長の有田鉄平さんも、生徒の皆さんも、真摯に、時には涙しながら、私の講義に耳を傾けてくれました。

 皆さん、ぜひ、ご覧ください!!

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