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ロシアによるウクライナ侵攻が続く今、思うこと~サンクトペテルブルグのグラフィティ・ウォールとニコライの思い出

 2022年2月24日のロシア軍によるウクライナ侵攻以降、予想しえなかった現地の戦闘の模様を伝えるニュースを世界中の多くの人が注視しています。
かつては連邦の一部であったとはいえ、現在は独立した隣国を意のままにならないからと武力で攻め入るというロシアの暴挙は非難を浴びており、それはもっともなことですが、ロシアやロシアの一般の方への謂れのないヘイト言動が、さまざまな場面でちらほらと目に付くようになっています。
 そんな中、アメリカ在住の写真家の柳川詩乃さんが、以前訪れたロシアのサンクトペテルブルグでの思い出を共有してくれました。グラフィティ・アーティストの青年との出会いで目にした壮大なグラフィティ・ウォール。ロシアにもしっかりと根付いたヒップホップ・カルチャーの一端を知るとともに、ロシアの若者たちの日常を感じ取れる、小さなストーリーです。

ヒップホップが繋いだあるロシア青年との出会い


 仕事で行ったロシアのサンクトペテルブルクで、撮影の合間にグラフィティのメッカのような場所を地図で見つけた。そこは鉄格子のゲートに大きな鍵がかけられ閉まっていたが、1人の男の子が中にいたので彼に向かって「中を見たい」と大声で伝えると、「閉まってる」の一言。
「NYから来て、ヒップホップが好きなんだけど!」それだけ伝えると、私の方へやってきて、「だったら入れてやる」と、がちゃがちゃとその鍵を開けてくれた。

 クイーンズにあったファイブ・ポインツ(5 Pointz *1) は消滅したが、そこにはそれを思い出させる勢いで、落書きが上から下まで埋め尽くされていた。

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 ニコライはそこにあるグラフィティを、事細かに説明してくれた。これは誰、これは誰々、これは俺が描いた。そのあと街を案内してくれ、ストリートで活躍するアーティストたちを紹介してくれた。またこの街に帰ってくるからと約束し、彼と別れた。
 ニコライとはそうして出会った。

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 2回目のサンクトペテルブルクでも、同じく撮影の合間にニコライと会った。彼はとっておきの場所へたくさん案内してくれた。
彼の運転は正確だがとても荒く、法定速度を恐ろしく超えたスピードでサンクトペテルブルクの街をぐいんぐいんと走り抜けていく。

 ある日、仕事が早めに終わり、ニコライとの待ち合わせ場所へ行くと「いい景色を見せてやる」と言う。恐る恐る着いていくと、それは川沿いのアパートメントビルだった。たまたま開いた入口のドアから中へ入り込み、6階の屋上へのドアへ到着すると、ニコライは振り向いて「昨日鍵を壊しておいたから大丈夫」とにっこり笑った。ニコライはグラフィティ・アーティストなのだ。グラフィティとはそういうものでもある。

 おかげでドアは見事に開いた。そこには屋根裏部屋があり、床という床はなく、ぎしぎしと音を立てながら柱の上を歩いた。
「下の住人にバレたらやばいから静かにして」という彼の忠告は理解できるが、何しろ私はカメラを3台も持っているのだ。途中悲鳴をあげながら、それでもなんとか次の扉へ到着し、その扉を開くと、そこには見事な景色が広がっていた。

ニコライは権力に中指を立てるような男だったが、そこではプーチンや政府の話にはならず、街が夕闇に包まれる中、私たちは屋根の上にそれぞれ座り、その光景を眺めていた。私の言葉にならない言葉に、ニコライはおそらく満足しているようだった。すると、眼下のどこかで結婚式が行われていたのか、無数の風船が空へ飛び立った。

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これが、彼との最後の時間になるとは思いもよらなかった。

 ここ数週間の出来事に、ニコライのことを思い出し、久しぶりに連絡したが一切返事がない。
 Instagramで彼のページへいくと、コメント欄に「R.I.P(Rest In Peace)」とある。彼は、半年間肺がんと闘ったが、最後は脳を侵され、4日前にこの世からいなくなってしまったのだ

 ニコライとは数回しか会っていない。だけどこんなにも悲しい。そしてニコライに何にも恩返しができていない。

 ニコライは天国で、現在のこの様子をどうみているんだろう。きっとプーチンのことをえらくディスったグラフィティを、スプレー缶で描いているに違いない。

 ロシアやロシア人のことを嫌いになれるわけがないのは、ニコライのように、ウクライナのことを想い、心を痛めるロシア人を知っているからだ。またね、ニコライ。

I will never forget about you.
Я никогда не забуду о тебе.

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グラフィティ・アーティスト&キュレーター、ニコライ(コーリャ)a.k.a. "Super 158”。ニコライとの会話やサンクトペテルブルグの街の様子を捉えた動画。街頭でターンテーブルを操る青年、スケボーに勤しむ少年……ロシアの若者たちの姿が見えてくる。





*1 ファイブ・ポインツ
…アメリカのニューヨーク市クイーンズ区ロング・アイランド・シティにあった屋外芸術展示空間のこと。グラフィティを中心としたストリートアートが展示されていた。別名ファイブ・ポインツ・エアロゾル・アート・センター。アーティストや開発業者による運営を経て、2014年にメインの建物が解体され、閉鎖された。


文・写真:
柳川詩乃

著者プロフィール
柳川詩乃…写真家。東京都品川区出身。スペインのアンダルシア、米・ニューヨークを経て、2017年からオレゴン州ポートランド在住。ニューヨーク市の低所得者団地、いわゆる”プロジェクト”の住人たちをインタビューした”We The People”という企画で個展を開催、その写真すべてがスミソニアン博物館に寄贈される。一昨年、同ウェブでの連載「ブラックカルチャーを探して」の3回目に寄稿。
公式HP http://www.shinoyanagawa.com/
インスタグラム https://www.instagram.com/shinocou






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