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20代→30代の価値観アップデート(備忘録)

 20代を振り返ったときに、勢いでなんとかやってきた感がある。
 それは当然といえばそうなのかもしれない。なにしろ、仕事についたのが初めてなのだから、企業取引の慣習や仕組みそのものすら全く知らなかったわけで。
 だからこそ、日々目にすること、耳にすることが新鮮であり未知の世界で好奇心をとても刺激してくれる、と感じていたのだと思う。

 それゆえに、わからないことをわからないなりに浅い知識で遂行するには勢いが必要で、というより考えることができないわけだから動くしかできなかったんだろう。今となっては、ある程度の”型”も自分の中に作ることができき、核となる思考・判断ベースでこなしている感覚がある。これもこれで単調さの一因となっているわけですが。

 そんなこんなで気づけば30代、そして会社員生活も早いもので8年目に突入するらしいので、会社員生活を送るにあたってここのところ考えていることを価値観の変化を含めてまとめてみようと思います。


1.やる気(テンション)に左右されずにこなすべし

 やる気スイッチわたしのどこにあるんだろ~♪
 と毎朝歌いたくなるような、今日も明日も来月も来年も大きく変わることのない反復業務の中、やる気でないな、気乗りしないなと感じる場面が増えてきた。とはいえ終わらせずに帰るのも翌日以降がつらい。

 だとすれば、やる気は関係ない、終わらせるか残すかどうするか。
 どんなテンションでもこなす以外にないのである。

2.人間関係は自分のためにもフラットに

 わたしの勤める会社には全体で約200名の従業員がいる。その中で踏み込んだ相談などをできる人がおよそ6名。残念ながら口を利きたくない人が数名。
 どうやらパレートの法則は間違っていないようだ。
 たとえば、私のことを全体の1割の人は好意的に見てくれていて、1割の人は嫌だと思っている。残りの8割は可もなく不可もなく。それに従えば、上記、私の社内的人間関係もおおよそ説明がつく。
 業務上のあれこれを考えたら、会社用の顔をもっておくことも必要だ。

 とある人に聞いた「職場の人間関係とプライベートの人間関係は別だよ」という言葉がようやく、この年になって実感できた。もちろん、人と人なわけだから、何かのきっかけで友人になることだってある。それはそれだ。

3.自分の感情をしっかり捉える

 人間なので、ご機嫌な時もあれば不機嫌な時もある。
 業務上の理由、体調、プライベートの事情など、感情が揺さぶられる原因はさまざまであるが、いつでもフラットにできないのが人間である。
 調整が難しいからこそ、いま、自分がどんな状態か?というのは冷静に捉えられるようにしていたい。
 それは自分のためでもあり、いちばんは一緒に仕事をしている人たちへの配慮だ。

4.ここぞという場面のために日常は6割程度で

 通常期・繁忙期の見定めもできるようになってきた中堅社員は、時に繁忙期出動要員となる。休日ってなんでしたっけ?
 とはいえ、なさねばならぬ業務のため、なすべきをなします。

 通常期に関してはやる気がなくても、終わらせることを第一に省エネができるのであれば、ぜひそうした方がよい。

5.出る杭は打たれる、出すぎた杭は打たれない

 また、出すぎない杭も打たれない。私の持論です。

 会社っていろんな人がいます。
 出世欲・保身の塊のような腰巾着タイプ、会社が喫煙所だと思っている人、いつまでも同じことを同じようにしかしない人(ケースバイケースで評価は分かれると思う)、デスク周辺がおうちのようになっている人、おしゃべりをしに来ている人、友達作りの場所だと思っている人、嗚呼キリがない。

 そんな環境で心穏やかに過ごすためには、当事者である場合、責任が生じる場面ではしっかりと出るとこは出る。というか飛び出して回り振り落とすくらいの勢いで出てよい。
 しかし自分が完全に当事者でない場面では、まあ、関係はあるけど、今は違うかな~という風に控えめにふるまう。これ大事。無責任とかじゃなくて単純にキャパオーバーでぶっ潰れます。

■周囲の評価と自分の成長・変化は別次元である

 さて話は変わって、ここ数年で体重が1割ほどアップしたため、半年ほどまえから筋トレをしている。メリットとしては仕事のストレス発散にも役立っていることか。一口に筋トレと言ってもジムでマシンを使ってバキバキに鍛えている人や、自宅でちょっとずつ自重トレを行っている人など状況は千差万別であろう。ちなみに私は後者である。

 半年前の私は膝つき腕立てがやっと3回できる状態であった。スクワットは沈まないし、カーフレイズは20回もやればふくらはぎが悲鳴を上げた。
とはいえ、何もしてなかった人がこれだけできるのも”できる”といえるし、大会に出る人からすれば朝飯前なんだろう。

 そんなふうに思いながら筋トレをしているときに気がついたのが、できるかできないかは他人の評価であって、やるやらないは自分が決めればそれでいいじゃん、と。
 今までゼロの状態が、1回~10分としたって週の半分以上やってるわけで。それでも大きな1歩じゃないかと。
 ただ、その中でアドバイス(もちろん世の中にあるクソバイスはスルーでOK)や改善につながることをいただいた際は試すもよし、導入するもよし。

 今まで自分がもやもやしてることと考え方一緒なんじゃないか?
 仕事だってできるできないの基準は様々だし、決めるのは決めるべき人がするわけで、中には判断ミスもあるしそれはそれで対応していくだけだし。
おろされた仕事のできる・できないは自分じゃなく、おろした人間がその結果、あるいは進捗をみて評価するだけ、できなければほかのできる人がしてくださるはず。
 受けた段階でやるか、やらないかは自分で決められるけれども、やってみて学ぶ・得るべくして得るか、はたまたやらないで向き不向きも含めて学ぶ機会もろとも失うか。

 こう考えてみると、入社したての頃は物理的に自分にできることを増やしていけばそれでよかったけど、今はそれをいかに深く広くしてゆくかを求められているように思う。これが中堅社員の行き詰まり感というのかどうか。
自分で打開策やヒントが見つけられれば苦労はしないのだけど、行き詰ったときには思い切って乗り気じゃなくてもやってみることって必要なんだと感じる今日この頃でした。
 筋トレありがとう。これからもよろしく。


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