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妄想日記⑤もしも私がおじさまだったら。

シャンパン1本分の酔いが抜けるのに約1日半かかってしまった。
抜けたら抜けたでつまらなくて、普通にコーヒーを飲むつもりがついアイリッシュコーヒーを作ってしまう。
浅い夢を見続けていたいのだ、本能的に。
夕暮れの街を窓から眺めつつアイリッシュコーヒーを一口飲み、じんわりと体に満ちていく感触に浸っていると、由梨が部屋にやってきた。
「ねえ、今から行かない?」
「どこへ」
「昨日、私が見た今の世界のこと訊いてきたじゃない」
「ああ」
「昨日も言ったけど話すより見た方が早いっていうか、わかりやすいと思うんだよね」
「そんな話したっけ」
常に自分の過去に自信が持てない。
「ねえ、それ飲み終わったら出かけようよ。見せてあげるよ」
楽しそうに話すのに、なぜか語尾に戸惑いが感じられた。
何かわからないけど、心をほぐす必要があると察知した。
「君も飲むかい。体が温まるよ」
カップを持ちあげて微笑んでみる。
「そうだね、もらおうかな」
由梨にアイリッシュコーヒーを作るべく、俺はキッチンへと戻った。

由梨に引っ張られながら回転ドアを抜けて、俺たちは夜の街に出た。
たどり着いたのは、マンションが立ち並ぶ住宅街だった。
大きなバスがやってくる。
企業の名前が書かれていた。
バスはタワーマンション近くに止まった。
バスからは仕事を終えた外国人たちが降りてくる。
最後に日本人の中年女性が降りてきた。
頬はこけ、疲れ切っているようだった。
「見ててよ」
由梨は意気揚々と厚底のヒールを鳴らして進んでいった。
女性はその足音にびくっと肩をすくめた。
「綾子、お疲れ様」
綾子と呼ばれた女性は、由梨の横を小走りに進んだ。
「ちょっと待ってよ。朝早く出たり、遅く帰ってきたり、大変だね」
「ついてこないでよ」
振り向きもせず、綾子は進んでいく。
由梨は綾子の横にはりつく。
俺は由梨についていった。
「私を仲間外れにして、いじめて、彼氏まで取ったのに何だか幸薄そうね。これ何?メッシュ?あ、白髪か。すごいパサついてんじゃん。綾子らしくない」
綾子は足を止めた。大きく息を吐く。
「私、相当疲れているのかな。ねえ、あんた死んだはずだよね」
由梨は押し黙った。
「幽霊なの?私に何の用?私、忙しいの。あんたから取った博信なら、浮気して出ていったし、あいつとの間に子ども4人作っちゃって育てなきゃなんないし、親の介護も重なって…」
綾子は今にも泣きだしそうだった。
「由梨、もうやめようよ」
俺は由梨の肩を抱いた。
「失礼するよ」
綾子に一礼すると、俺は由梨と歩き出した。
「ごめ、ごめん。由梨。本当にごめん。私、何にも考えていなかった。あんたがあんなに追い詰められてたなんて全然わからなかった」
後ろから綾子の泣き声が聞こえる。
由梨は振り向かなかった。
その肩は小刻みに揺れ、頬には黒い涙が伝っていた。

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