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今日は利休忌のお茶会へ

安土桃山時代の茶人・千利休の忌日天正19年2月28日を偲ぶお茶会を利休忌といいます。 千利休は「わび茶」(草庵の茶)を完成させたことで知られ、茶聖とも称せられる人物。 現在の大阪府堺市で生まれた利休は、織田信長、豊臣秀吉という2人の天下人に仕えながら茶の湯の道を追求しました。松山では今年は今日、県民文化会館で表千家中予教授者の利休忌が開催されます。私も娘と行く予定です。

昨日はその準備のお手伝い。戦国時代、茶の湯は男性が嗜むものとされていましたが、現在では女性が多く、男性は少なく設営などのお手伝いでは重いものも多いですから重宝されると思い、お手伝いできる時には伺うようにしています。お茶会の時には和室の間にある廊下に畳を敷いて草履を履かずにお茶をお持ちできるようしています。その畳を敷くのが主な仕事です。廊下の絨毯の上にスノコを敷き、ゴムマットを敷いてから畳を並べます。

今日のお茶会は朝一番に七事式の廻り花(まわりばな)をされるとのことで見せてもらい、お昼ご飯の後にお茶席には入る予定です。

廻り花とは、花の入れ方の修練で、主客以下順番に花を床の中釘に水を八分ほど入れた花入か、置花入などに花を入れていきます。お茶を点てることはありません。私もお稽古でさせていただいたことがありますが、利休のとく「花は野原にあるがように」自然に咲いているように生けるのは難しかったです。

娘には、昨夜、利休忌やこの前参加した初釜、秋季茶会などについて説明し、通っている小学校のお友達が知らないことを経験しているのは貴重なことだよと話しました。他のお友達が知らないことを知っていることで自身にもつながるし、自分が経験していいと思ったことはお友達にも話してあげないとね…と言ったら、娘は娘なりに夏休みの宿題の新聞や、学校の発表などでお茶会や着物などについて話してお茶を広めたいと思っているそうで、子どもなりに考えていい刺激にはなっているのだな…と思いました。

設営の後はアンドンの引き取りに。お茶事で夜咄の時に使用するそうです。蝋燭を灯すアンドンをLEDの照明に交換します。穴を開けて線を通すのでその位置を印…今回は4台に加工します。

大工さんに穴を開けてもらい、電気屋さんに配線してもらいます。


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