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Nサロンを終えて

ついに終わってしまったか

非常に残念です・・・道半ばにして転勤。    
(自分はもうタッチできない連絡網の何気無いやりとりが涙を誘う・・・)
いつもの当たり前から急に引き離された。そんな心持ちと場所からサロンの修了式を見ていました。恥ずかしながら、何度も笑  
確かに、寂しさや羨ましさに引きずられた部分も大きいのですが、
動画でも伝わるあの雰囲気が、不思議と飽きずに穏やかな気持ちにさせてくれるのです。

結局4月に入ってからはほとんど参加できず、マネージャーのお二人とお話をする機会も当然無くなってしまったため、
誠に失礼ながら、初心として取り組んだ以来置き去りにされてしまったnoteに今の想いを残したいと考えました。 

あらためて冷静に考えてみると、100人て大した人数だよなと思う。
30人を1クラスとするとおよそ3クラス。人数だけではない。なにせ多様性が大きなキーポイントなのだから、まさに多様な対応が求められるし。
加えて先生と生徒のような明確な上下・優劣のある関係での力技に持ち込むこともできそうにない。
しかもトドメとして、第1期という初ものづくしの試み。と、さらに追い討ちでまあまあな授業料ときたもので。


量的にも質的にも、2人で迎え撃つには、結構覚悟が必要だったのではないだろうか。
ただでさえ自分の経験から鑑みると、参加者はその何分の1しかいないのに、あまり上手くいってないコミュニティをいくつか知っている。
それこそ今回だって派手に転ぶ様を見た可能性だってあったはずだ。
動画には控えめにしかコメントがなかったが、この頃の心境などはぜひともじっくり聞かせて欲しいとみんなも思っているんじゃないでしょうか。

だったらなのだが、初期設定のタイミングで従来のよくあるオンラインサロンという型にはめ込んでしまうのも手ではあったと思うのです。実際、今後はそんな様子だし、できなかったわけではないんじゃないか。
ただ、それでも岐路に立った時に、そちらにベクトルを向けなかった事が、お二人の温和なキャラクターとは相容れないほど挑戦的で、それを自分は面白いと思った。

アマゾンが実店舗のスーパーを取り込む昨今。ひょっとすると、オンラインメディアに携わるお二人だからこそ、アナログに人が同じ時間と空間を同居することの必要性や可能性を大いに感じていたのではないかと推測してみることもできる。少なくとも自分は「アナログ」のささやかな復権を感じる機会となった。

そんなお二人のやりきった表情やコメントが混じった最後の動画が伝えてくれことは、この2ヶ月の取り組みが成功に終わり、そしていろいろな可能性を残してサロンは続いていくということであり、おそらくあのフロアにいた誰もがそれを希望しているということ。
そんな画面の向こうの世界を少しでも味わいたくて、ニヤニヤしながら何度も見ていました。

そして「ああそうか」と、ふと気が付いた。

自分にとっては、この壮大な実験こそが最大のゼミだったということ。
最近流行りのコミュニティ。その創作過程の一端を全身で学んでいたのではないか。
そう捉え直してみると、この「コミュニティ創作ゼミ(仮)」は幾つも学びをくれていた。
ただ自分が知りたい大命題は一点だけ。「息切れしたり、もはや屍と化したコミュニティが幾つも積み上がる中で、何が違ったのか?」ということ。

特に自分が焦点を当てたいのは、「モノを集めるわけではない、ヒトを集めるって相当な難易度。ただそれよりも、当初のエネルギーを維持しながら、それを担いで走りきることの難しさは次元が異なるほど難関。どうしてそれを実現できたのか?」ということ。
様々に力点を加えるヒトという因子をこれほど有しながら、なぜにサロンの慣性の法則は成立し続けられたのか。

新時代の大型連休を風邪と熱で消化しながらイロイロ考えてみた。
で、やっぱりコミュニティマネージャーのお二人に要因が帰結した。
それはお二人が摩擦係数を下げる「能力」と「努力」を存分にサロンに費やしたからだと思うのです。

「能力」とは、お二人のメディアのプロ、ディレクターとして。
は、当然のこととして、そうではなく1人のヒトとしてのである。
ともすれば、あの空間の中にいた誰よりもズバ抜けて秀でたものをお二人が持っていたからではないかと思う。

それは、水野さんの「誉める力」と永吉さんの「巻き込む力」

前者はnoteコンサルの時に強く感じた。失礼ながらnoteのシステムを知らず、文章音痴、テーマもあいまいと無い無いづくしの中で、投げるテーマや考えをどれも肯定し、共感して頂いた。自分の投げたボールを、「ああそれはいい」「面白い」と何とも言えないトーンで全部ミットに収めてくれる。「ここでは声に出して良さそうだ」と、自分も調子にのってあれやこれやと知らぬ間にアクセルを踏んでいく。心地よいスピードに乗ってくると、自分が当初持ちえていなかったアイデアも自然発生してきて。さらに魅力的な対案を水野さんが出してくれる。コミュニケーションの楽しさや編集者の意義みたいなことも併せて教えてもらえたし、自分が聞く側を担った時には参考にしたくなった。

後者はCOMEMOのイベントが雨のように降ってきたことに由来する。僕らはそもそも文章や図解など当初からアナウンスされていたゼミの内容と数に納得して参加した。それでも十分に魅力的な内容だと。それがどうだろう、オマケに一つじゃなく、これでもかというくらいの追加されたイベントの嵐。どれもが他ではなかなかお目にかかれないような登壇者の方やボリュームで密度ギッチギチ。このお得感が狙われたものだとするならば、完全に自分のハートは撃ち抜かれた。正直、一番転勤して辛いのはせっかくのCOMEMOイベントの機会を全部捨てないといけないからだ。実は、新聞部としても、何か繋げられないかとお話をしてもらっていたり。そう、永吉さんは相当大変なはずなのに、サロンがより広く深くなるために、貪欲に外付けのプラグインを加えてくれた。学びの場としてこんなに贅沢なことはない。

以上のように、何というか言いようの無い母性的(水野さん)と父性的(永吉さん)な愛がメンバーを包んでいたからではないか。
そういえば、動画途中にあったケーキと二人がしっくりきたのも頷ける。
私で言えば、19:30への足取りと心持ちとしては、「行く」よりも「寄る」「帰る」 に近かった。秘密基地のような心地よい引力が働いていた。
大人になってしまった自分達が求めても、なかなか近くにはない独特のぬくもりを帯びてあの真っ白な部屋は待っていてくれた気がする。
そのことで、まるで学生のごとく学び、部活に励むことができた。

そんな想いにふけていると、あまり考えたくないが懸念も出てきてしまう。
「なんだろう…今後はオンラインかぁ。」ということ。
残念ながらこの愛に直接触れられない。
逆説的にはなるのだが。ぜひお二人には、だからこそ実験を続けてもらいたい。今後主流になるこの手のやり方に、どこまでNサロンの空気感を投影できるのかを。
なんかズレた例えだが、「カップ麺にどこまでお店の味を引き出させることができるのか」を。

では、一方の「努力」とはなんだろうか。それは先ほどの「能力」を発揮して醸し出された雰囲気と「実際」とのギャップを埋める「努力」
コミュニティ空間では、参加者の「自然」な振る舞いを期待した時、その空間を「自然」にほったらかしていても全然促されないというパラドックスがあるように思われるのだ。「自然」を誘発するために多分に「人工的」な制度設計が必要ではないだろうか。以前からコミュニティにおけるこの「自由」の捉え方のズレが、先ほど述べた「息切れしたり、もはや屍と化した」それらを生み出している側面がある気がしていた。
例えば今回だと、ゼミはどれをどれだけ選んでも良い自由がある一方で、行かなくても良い自由もあり、行けなくても歩止まりしないように動画配信が設置されている。このシステムが魅力だと思うのは、「サボったと思われないし、思わせない仕組み」として機能していること。これって大人が学びを続けていく上で意外と大事なことなんじゃないかと思うのは、気をぬくとサボりがちな自分だけなのだろうか。「サボったんじゃない、行か(け)なかったんだ」と堂々たる逃げ道が確保されている。そして動画を見て追いつく。

他にもおそらく私たちが気付いていない部分で緻密な設計とそのための多くの話し合いがあったんだと思う。そしてその舞台裏をお二人が手際よく消してくれてたから、参加者は伸び伸びと自分の事だけに集中して学びの舞台で自由演技ができたのではなかろうか。
(少し横道にそれるが、個人的にとてもイイなと思ったのが、ビジ研のメンター側がいつのまにか、学び手となっており部員になっているという敷居の低さだ。この寛容さはNサロン独特の雰囲気を作る一つになっていると思う。)

何よりこの「能力」や「努力」が横道逸れずにちゃんとメンバーに届いたのは、お二人が意識的かどうか別にして、自己満足ではなく参加者の目線に立って試行錯誤していたからこそかと思います。様々な立場や考えを持ったメンバーが肩肘張らずに参加していたのは、皆さんが暖かい表情を終始していたことが物語っているのではないでしょうか。サロンがここで終わらない、今後の可能性に説得力があるのも頷ける。

こんなにコミュニティが多発している中で、自分に「ちょうど良い」場所に出会えた事がとても嬉しい。
あらためて、水野さんと永吉さん、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。

・・・・と締めずに、蛇足を一つ。

自ら何かを出しても良い空気をまとった空間、Nサロン
自分もそれに感化された1人であり、その結果として生まれたのが「新聞部」です。

そもそも何をしているのか。今更だが、自分なりの考えも含めて書いてみたい。

取り組みとしては、「新聞をみんなで読む」
言ってしまえばただこれだけなのです。参加者が自分の気になる記事をピックアップし、その内容に加えて自身の経験や感想を発表する。
そこにどんな狙いや想いを乗せているのかを少しだけ。

ことの始まりは自分が新聞のネックを何とかしたいということからでした。
自分は金融に勤めています。新聞は非常に身近にあり、自分も毎日読んでいます。情報源として非常に魅力的な媒体だと信じています。
で、ネックというのが、主には「記憶が定着しない」や「関心がない記事は飛ばしてしまう」などです。

実は自分がもともとやってみたいことはみんなで本を読む「読書会」でした。ただ巷によくある読書会とは違うものをやってみたいとの想いもあり、悩んでいたあげくに「新聞×読書会」でみんなで新聞を読むコミュニティの発想に行き着きました。
実際に個人的にも2度だけですが、ワークショップをしています。

複数で読むことで、「読む」ことに加え「聞く」「考える」「話す」など能動的な要素が増え、記事が単なる情報にとどまらないものとなる。それが記憶の定着につながったり、自分以外の視点や関心以外の知見の獲得に繋がるということです。人を介することで単なる記事にパーソナルな生きた情報が加わり、より記事が立体化する。参加者に取っても自分ゴト化が可能となる。イノベーションは既知情報の掛け算とも言われているので、そんなところを刺激できたら面白いかもなんていうのもあります。そんなところが当初の狙いでしたし、それはある程度体現できているのかなと思っています。

(グーグルで情報が一瞬で引っ張り出す事は可能となり「物知り」にはなったが、何か活きていないような。そんな違和感がずっと自分にはあります。それは「雑学王」的な単体の知識の拡大にすぎないからではないかというのが一つの仮説です。そうではなく、情報や知識が有機的に結びついていくこと。集合知の獲得がそれに対しての有効な対策なのではないか。そして、その手段としての新聞部の活動。なんてふざけたくらい壮大な解釈も自分は持っています。)

ただ、もともとはそこまで考えてやっていなかったのですが、この一連の活動は別の側面も派生させてくれました。それはコミュニケーションを生み出すということです。
本来1人で読むための新聞紙がコミュニケーションツールに変換される場としての「新聞部」


その側面も含めて、今一度部活の意味合いを羅列してみると、活動はシンプルなのですが、

●記事とメンバーが毎日異なるため、全く同じ活動内容となることはほぼ無し。一定の熱量が継続できる。
●多様性があるほど、記事に息吹を与えられるため、活性化する可能性がある。さらに言えば、立場がフラットになる。主婦しか痛感しない記事、障害者の方しか実感できない記事、フリーターにしか理解できない記事など、記事に対しての当事者という一点において平等。
●新聞一つあれば、場所や時間などはかなり対応できる
などコミュニティの媒介として新聞は実は大きなクオリティを持ち合わせているという発見がありました。

そして、そうやって新聞部を一つのコミュニティとするならば、今度は設計側としてNサロンで学んだことを活かしてみたい。
どうすれば、皆さんが楽しんでくれるのか。知恵はないですが、水野さん永吉さんのやってきたことを盗むべくで、とりあえず自分視点に固執しないようにだけはしたいと思っています。

なるだけ自分の懐から部を解放する一方で、どうしても大事にしたいこともあります。新聞の情報源に加えコミュニケーションツールとしての価値をメンバーが「共有」できているということです。核となる価値観がブレなければ、いつでも戻ってくることができるからです。逆に言えば、だからこそ自由が確保できる。
新聞部は決して人数が多いとは言えませんが、みんなが同じ方向を見ていることがありがたく、嬉しい。本当に。

その上で、自分が転勤となり強制的に外れてしまうことは、今の実態が表面化する一つの試金石となりました。
正直当初は不安もちょっぴりあったのですが、杞憂でした。杞憂どころか、自分の必要性を自問自答してしまうくらいで(えっ、、あれ、、?笑)
想いを共有したメンバーが転勤後も積極的に運営を進めてくれたり、新たなアイデアを提案してくれたり、締めくくりとして修了式では短いながらも内容が濃い発表を行ってくれました。

何より自分の新聞部に対する想いや考えが底流に流れ続けた状態で自走してくれていることは本当に感慨深いです。
なぜなら、これって上記に書いた、まさに自分が知りたいと切望していた「当初のエネルギーを維持しながら、それを担いで走っている」状態だからです。

この場を借りてあらためて参加と運営を行って頂いていることに「ありがとう」を言いたいと思います。

ああ、参加したい。


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