死に際の写真は必要か.

高齢者施設や療養型病院へいくと、死のカウントダウンをひたすら待っていうような人たちが大人数、波のない毎日を過ごす姿がそこにある。地域においてソーシャルワークをする私がよく目の当たりにするのは、支援者たちが当たり前に「死亡」にむけたテンプレートのような過程を手際よくこなす姿だ。私も含め、死は「一件落着」の、仕事の区切りにすぎない。

最後の一枚のために

死期が近づくと、周囲は意識的に当事者の写真を撮る。「思い出にね」「いざというときにね」と、要は遺影に困らないためだ。

時折、在宅生活で寿命を全うして亡くなるクライアントが、写真を一切撮られておらず、ようやく若かりし頃の写真を見つけ出して遺影になることもあるが、まあそれはそれで、悪くない。また、本当に死に際の写真は、葬儀の参列者にとって良いものではないのは当然で、できるだけ最近の、でも本人に生きる活力のある写真が求められるのも事実だ。

最後に破棄される、大量の写真

遺影の写真は特別だが、その他については誰が見るかといえば、結局は家族が見ることになる。近しい人のために写真を残すというのが一番だ。当事者が亡くなったのち、残された者は写真で記憶を補完・保管する。

しかし、親族と疎遠な人間にとっては写真を見せる相手などいない。あっという間に処分だ。親族がいないクライアントの場合は、たいてい遺品の写真は遺体とともに、棺に入れる。もしくはゴミ出し、あっけない。良い写真だなと思うようなものも、一支援者として厳重に捨てなければならない。

つまり、残される親類がいない限り、死に際の写真は不要というわけだ。それに、仮に写真をのこしてそれを懐かしむ者が直後にいたとしても…2世、3世と時が経てば、名を馳せた人でなければその個に対する感情は消えていく。

とはいえ、写真は時が経ってこそ効力が高まる。その時点で当たり前の光景写真が、長い長い年月を置いて、大変貴重なものと化す。そうすると、個人写真だろうと、残したほうが良いのではないか…これまで大量に死人の写真を処分してきた私が思うのも、変な話だが。

個人の写真をもらうバンクでもあれば

「写真バンク」のような場所があったら、と思う。写真は歴史、記録の一部だが、個人写真はどうしても消えていってしまう。それらをつなぎとめる場所があってもいいのでは。特にまだ今の70代オーバーの方々はフィルム写真だ。デジタルデータがない時代、だからこそ実体を保存することに越したことはないのでは…と思う。

そのような仕組みがあれば、人は死に際でも記録を残すことにある種誇りを感じ、過去の個人写真も大切に扱い、ながめ、楽しむのではと。写真の墓場へもっていくような気持ちで、ぎりぎりまでとらえるのだ。人類のデスマスクが、アンダーグラウンドでないものとして収集されていく…悪趣味とは言わせない。それも人類という生命の記録だ。

何かいいアクションがあれば

今この世にある多くの写真たちを、できるだけ多く残してみることにロマンを感じる。断捨離も大事だが、個々の写真を歴史の集合体としてまとめ上げ、後世に伝えるのだ。そのためには、世代を超えたアクションが必要だ。

既になにか、そういった働きかけがあるのかもしれない(あれば教えていただきたい)。私もなにか、それに関わりたいな、と考える今日この頃である。


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KOMIYA MIYAKO

コミヤミヤコです.写真作家になりたい社会福祉士です.
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