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1本の口紅から広がる自問自答

私は勝手に心のなかで師事している方たちが何名かいる。

ファッション(あるいは人生そのものを考える)は、もちろん自問自答ファッションあきやあさみさん。

メンタルや人間関係の悩みは、精神科医の名越康文先生。

哲学や教養を深めるには、科学哲学がご専門の戸田山和久さん。

外国語の勉強には、言語学者の黒田龍之助さん。

人をまきこんでワクワクする何かを始めたいなら、敏腕プロデューサーであり現・㈱スタジオジブリ代表取締役の鈴木敏夫さん。

…などなど。

そして、スキンケアとメイクに関して師と仰いでいるのがメイクアップアーティストの吉川康雄さんなのです。

吉川さんは「CHICCA(キッカ)」のブランドクリエイターを務めていらっしゃった方で、2021年には「UNMIX」というブランドを立ち上げられています。

私はCHICCAのほうは惜しくも知った頃にはもうブランド終了の告知が出ていて、というかむしろTwitterのメイク界隈やイメコン界隈でブランド終了を受けてキッカファンの方たちの嘆きや「追いキッカ」と言われる小さなお祭りをされているのを見てキッカの存在を知った…というほうが正確かもしれません。

愛されているメイクブランドは数あれど、キッカファンの熱量はものすごいものに見えて興味を持ち始めました。

ファンの方たちはすごくて、チーク全色買いとかリップ全色買いとか、その頃の私はパーソナルカラーとかにハマりだしていたときだったので「自分の肌に合わない色だったらどうするんだ…!?」と仰天していたのですけど。

キッカの製品(というか吉川さんの提唱するメイク法)はパーソナルカラーを超越してるのですね。

そもそも、色が似合わないのは発色が強すぎるからです。とんとんと指で軽くのせるだけにしたり、ティッシュで軽くオフして色味を抑えたりするだけでも驚くほど肌になじみます。

たったそれだけのことで、もう「似合わない色」は「似合う色」に復活です。第2章で説明する「5分の2発色」を心がけるだけで、何だって似合ってしまいます。

コスメを選ぶときは、「自分の好きな色」「欲しいもの」を買いましょう。それを、何とかして似合わせようとする努力が老化を止める秘訣です。

コスメは自分の好きなパッケージのものを選べばOK。テンションが上がるパッケージを選んで、あとは使い方で似合わせればいいだけです。

少し塗っただけで「これは似合わない」と見切りをつけてしまうのはもったいない。

吉川康雄『生まれつき美人に見せる』

それを知ると、キッカの美しい色のチークたちが今からでも欲しくて涙が出ます。

MAQUIA ONLINE


とはいえ、2021年春から吉川さんが立ち上げられたブランド『unmix(アンミックス)』も大変素晴らしく、今からでも吉川さんが生み出したプロダクトに触れられるのは幸せだなーと思っています。

unmixのブランドコンセプトも好きです。

今回の新ブランドについて吉川氏は「生まれ持ったピュアな魅力を感じてほしい、そして自分を愛し、大切にする気持ちを持ってほしいというコンセプトのもと新ブランドをスタートした。傷つくことが多い世の中で、誰になんと言われようと自分を肯定し、自分を愛せる“絶対的愛情”を持って欲しい、そうした思いをブランド名の“UNMIX(混じりけのない)”に込めた」と語る。

引用元サイト

素敵だなぁと思いつつも(自分に対する)メイクへの関心が低くて、今までは吉川康雄さんの書籍を購入して読んだり、twitterをフォローしたり、「yoi」というサイトで連載されているコラムを読んだりしてました。

unmixは現在、口紅・アイシャドー・アイライナーが登場していて、今後はマスカラも世に出る予定だそう。

ベースメイクやスキンケアまで作られるかは不明なのですが、「どうせなら全体が揃うまで待つか〜」という十八番のオール・オア・ナッシング思考と「スキンケアだったりメイク品はひとつのブランドでライン使いしたい!」という欲求がある人間(パッケージの見た目がバラバラなのが耐えられない派)なので、今まではunmixを買ってこなかった…。

しかし!昨日の仕事終わりになんとなくunmixの実店舗を調べてみると、帰り途中の駅ビルにunmix取り扱い店がある…!

なんだか気になってしまい、購入するためというよりは吉川さんが作ったプロダクトの実際の色味というのを肉眼で見てみたくて、そのまま足を運んでしまいました。

置いてあるのは口紅(リップベースも含む)とアイシャドーとアイライナーたち。
アイシャドーの端っこの一枠には「8/1 RELEASE」の文字が!

明日、シャンパンベージュのアイシャドーが発売されるみたいです🎉

話が少し逸れましたが、どうせなら実物があるのだから色々テスターつけてみたい!と思い、口紅を試すことに。

使い捨てのミニ筆を使って、サンプルを試させてもらいました。

unmixのサイトで気になっていたのは、「フィグ」という色みの口紅。

unmix公式サイト

シックで大人っぽい…!

今までだったら絶対に選ばない重厚感のある色みの口紅なのですが、最近の私はクラシカルな雰囲気やノーブルな感じに惹かれつつあり、オトナの女っぽさを目指したい気持ちがあったので、「発色にさえ気をつければいいから、似合わないと思うような色でもどんどんつけていこうよ!」という頼もしいメッセージを発信してくださっている吉川さんへの信頼感(「目力で似合わせていきましょう!」というあきやさんへの信頼感とも近いですね)があってこその挑戦でした。

つけるとやはり素敵!
見た目の色ほどは重々しい色みではなく、でも瑞々しい赤いフルーツを食べたあとのようなツヤっとした血色感。

「これはどの色試しても絶対良い感じになるやつだぞ…!」と確信し、ほかの色にも手を出してみる。

その中でひときわハートに刺さったのがサンセットオレンジ。

サンセットオレンジ

本当は一番ないなと思っていた。
なぜなら、多分一番似合うから。

似合うから脱却したかったし(反抗期)、かつての自分だったら真っ先に選んでいたから(イエローベースなので)、そういう自分とは違う新しい自分になりたいなと思ってた。

自己嫌悪の権化なので、常に新しい自分を求めているし、「変わりたい」と思った数だけ手帳やノート、ペンを買い替える人間なのです。

この癇癪とも言えるような突発的な自己嫌悪グセは子どもの頃からあって。

手芸屋さんで「あ!コレとコレとコレを組み合わせて素敵なものを作ろう!ルンルン〜♪」という感じなのですけど、家に帰ると「なんでこんなもの買ってしまったのか…」と自己嫌悪になってレジ袋からも出さず、手を付けずに終わる…みたいなことが何度も。

だから、自分で描いた絵や撮った写真を部屋に飾っている人たちというのが昔は全然理解できなくて。

自分が生み出したものがこの世で一番気持ち悪いというか、そういう価値観だったのです。

注・「自分の作品を飾ったり愛でること」が理解できなかったのであって、当時からその誰かが作り出した作品自体は傍から見ていて「素敵だな」とは思ってました。

自分の字も好きじゃなかった。

「字が綺麗だね」というのは私の人生の中で一番言われたことのある褒め言葉で、そして最もヒヤッとする褒め言葉だった。

私から見たら私の字は「遠目に見たらバランスが整ってて綺麗風だけど、近づいてよく見たらいろんなところが崩れて不格好。ハッタリで誤魔化しているだけの文字」という感じで、それはまさに自分自身をそのまま表しているなと思ってた。

誰かに字を褒められるたびに、「こんなグロテスクなものはないのに」と不思議に思っていた。

今はだいぶ平気になってきた。
なんだかんだで制服案を考えるときにはiPad上で自分の字をひとつの素材としてイメージ画をつくるし、それもこれも自問自答と出会ったおかげでそこのところの自己受容が進んだのかなと思う。

私は自分じゃない自分になりたいのだ。
「自分じゃない誰かになりたい」ではないところがミソ。

私はよりよい自分になりたい。

だからこそ、過去は憎み恥ずかしがるべきもので汚点であり、そして未来で出会う素晴らしい自分はしょせん暫定一位でしかなく、時が経てばそれもまた侮蔑の対象になる。

そういった、口紅ひとつを選ぶのにはあまりに壮大(というかおおげさ)すぎるバックボーンを抱えながら、私はサンセットオレンジには手を出すまいぞと思っていたのでした。やっと口紅の話に帰ってきた。

でもまぁ信頼する吉川さんの口紅だし?試すだけ試しとく?

と何かに言い訳をしつつ、サンセットオレンジのテスターを唇につけてみる…。

すると!

なんというか、ビッッックリしちゃうほど純粋な唇がそこにあったのです。

赤ちゃんの唇のような、生まれたての「何も悪いこと知りません」というような、これまでの人生をすべて清算してくれるような唇が。

「すべてを清算してくれるような」ではなく「すべてを清算してくれるような」なのは、吉川さんの作る口紅はその主役が「唇に塗った口紅の色」ではなく「その口紅を塗った唇の醸しだす魅力」だからです。

計算が合ってないぞ!?と混乱するほどに、御年30歳を迎える人間の顔についてるとは思えないほどの一切の煩悩から解放されている唇がそこにはありました🙏

口紅本体を見ると、けっこう色とりどりのラメが散りばめられていて「ラメか〜…人工物っぽさがあるメイクは鬼門なんだよなぁ…」と最初は思ってました。
カラコンとか、つけまつ毛とか似合わないんですよね。

でもね!
唇につけてみて、鏡を顔の10cmくらい前に近づけて見たときは「ラメ」って感じなのに、30cm離れて見ると「ラメ」が「濡れ」になるんですよ!

「どっひゃ〜!トリックアートだぁ〜〜〜!!!」

と、たまげてしまいました。
本当にただの濡れてる唇にしか見えない。

しかも、その感じが乾いたりせずにずっと持続する。
塗りの強ささえ気をつければ、何も塗ってないようなすっぴん(に薬用リップを塗った)感を装える。

つけた唇を見たときの最初の感想が、変なハナシなのですけど「この口紅をつけた唇では、人の悪口や耳障りな言葉は発しちゃいけないな」でした。

いや、どんなときでも言っちゃいけないと思うのですけどね。
でもついムッとしたり、納得いかなかったりで険のある声色で喋っちゃったりすることがあるじゃないですか、人間って。
非言語的な部分での怒りのアピールね。

そういうことをして、自分のこの唇を穢しちゃいけないなと思いました。

そのとき思い出したのは、先日開催されていた幻冬舎さんでのあきやさんの書籍発売記念の講演イベント。

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惜しくも現地参加とリアルタイム配信は視聴できなかったのですが、8/8まで見れるアーカイブを購入したのでいくつものとてもタメになる&ワクワクしてくるお話を拝聴することができました✨

あきやさんのお話の中で、「運命のバッグに出会ったとき人はめちゃくちゃロマンチストになる」というものがありました。

「雨上がりの空の色みたいだネ…」「晴れた日の桜の色みたいじゃない…?」「卒業する日の空の色みたい…」と、まるで女優さんのように遠い目をしてロマンチックなことを思わず言ってしまったらそれは運命のバッグだから買いましょう!という素晴らしいお話。

そして、バッグは自己紹介であると同時に自己暗示もできるというお話。

私も、この口紅をつけているからこそ意識の面で良い方向に変わっていくものがありそうだな…とふと感じました。

ちなみに、この運命バッグの選び方の決め手のお話がとくに心に残っていて大好きなのですが、実は少し不安になったこともありました。

といいますのも、私は常に思考が現実世界からログアウトしているメルヘンタイプの人間。

自分で自分をロマンチスト呼びするのもアレなのですが、「まるで〇〇みたい…」とキラキラうっとりする癖は日常的にあって、なので本当に運命のものと出会ったときにそれがホントに特別なものなのかどうか差がわからなかったらどうしよう…!というメルヘンちゃんしか抱えない苦悩と不安に苛まれていたのでした。

しかし、今回unmixのサンセットオレンジをつけたときに「私この世の悪いこと何も知りません、って唇だわ…!」って思ったときに気づきました。

本当に自分がロマンチストになったときって、わかります。

(脳内で)言ったあとに「え?何いってんの自分?」とビックリし、赤面したからです。

つまり、理性より先に衝動でもって発した言葉がロマンチストの言葉なのです。

思えば、日常のメルヘンな私はイメージとしては頭の中に原稿用紙があって、そこに綺麗なガラスペンでサラサラと文章をしたためているような情景があって、なので「まるで〇〇みたい…」という発言にも文章の推敲があったりして、そういうプチ文豪ごっこみたいな感覚なんですよね。
メルヘンではあるんだけど、落ち着いていて客観的に自分を見ている感じ。

好きなアイテムをツイートするときも、文字数の中でいかにその作品の魅力を表現するかを何度も書いては消し、書いては消しで推敲したりとか。

普段のメルヘン思考の私は文豪気分で部屋で原稿用紙にむかってああでもないこうでもないとプツプツ独り言を言っているイメージ。

「文豪の逗留」をコンセプトにした一室がある伊豆の旅館


でも、ロマンチストになってるときの自分はまるで真っ暗になった劇場の中でスポットライトを浴びながら、片方の手を広げ、もう片方の手を胸に当てながら独りで語るような感じ。
「あぁ…!あたくし、もう悪い言葉は口にできませんわ…」
的な。

ト書きを作る側の人間ではなく、まさに自分自身が内側から溢れだすものを思わずといった感じでノータイムで外界に表現する。

私の自問自答において、ロマンチストとはそういう状態のことだなぁと感じ入りました。

プラハのエステート劇場

というわけで、期せずして私のロマンチック・メランコリー(自分はロマンチストになれるだろうか…という謎の憂鬱感)は解決。

口紅選びが、のちのバッグ選びの大切な助走になるとはね…!

そして、unmixのサンセットオレンジを購入いたしました。

一緒にベースとなる「モイスチャーリップベース」も購入。
あとに塗る口紅の邪魔をしない、硬めながら保湿感のあるリップです。

unmix公式サイト

私の「なりたい女性像」にはものすご〜く吉川さんの思想や哲学が影響しています。

吉川さんのこの著書は本当に10回以上読み返していて、読むたびにワクワクしてます。

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目指すべきは、朝会ったときに「この子寝起きかな!?」とその無防備さでドキドキさせる肌。まるでスッピンだと思わせることはもちろん、色気を感じさせるのがツヤ肌です。「無防備」というのは、大きな武器。

吉川康雄『生まれつき美人に見せる』

恥ずかしがる姿は、とても色っぽいもの。それは、顔でもそうです。自分のコンプレックスを「こんな女でごめんなさい」と思い、少しでもキレイに見せようと思う気持ちが、女性を美しく見せます。能天気な苦労を知らない人間には色気は生まれません。

僕自身、髪が薄くなってきたときは相当落ち込みました。帽子をかぶって隠したりしたし、逆に「ハゲて何が悪い!」と開き直ったりしました。けれどだんだん、「ハゲてるけど、かっこよく生きたい」というゆらぎが自分を豊かにしていることに気づきました。

吉川康雄『生まれつき美人に見せる』

吉川さんは提唱するテクニックやお話に中身があって参考になるだけではなく、その一種「言葉でハードルを上げちゃった」感を実際のメイクではちゃんと越えていかれてるところがすごいなと思います。

画像引用元
吉川さんがヒラリー・クリントンに気に入られるキッカケになったメイク


私は今まで「女性らしさ」とか「色気」というものを遠ざけてきました。

ナチュラル感やボーイッシュさが似合うタイプだし、女っぽい感じに苦手意識があったのです。

ただ「女っぽい」にも今思えばたくさん種類はあるわけで、私が苦手意識を持っているのは夜のお姉さんという雰囲気。

夜といっても、キャバ嬢という感じではなく、『東京カレンダー』の表紙のような雰囲気でしょうか。
港区って感じの。

綺麗だし、嫌いなわけじゃないんだけど、「女っぽい」といえばこういう雰囲気しか想像がつかなかったので、自分はここには適応できないなぁと思って距離を置いていたのでした。

しかし、吉川さんのお話されている色気や女っぽさはむしろ真逆で、寝起きのすっぴんのような無防備さ。

朝起きてそのままドレスを着て来たのに勝手に似合っちゃった、というような雰囲気になり、とんでもない美人感を演出します。
「今日家に服がドレスしかなくて」という感じで、気負いすぎない感じがかえってオーラをつくります。

吉川康雄『生まれつき美人に見せる』

それでは、他にどこで差をつけるのでしょうか。それは、肌のツヤです。顔とつながるデコルテや、腕や足などの出ている部分を、すべて均等にツヤツヤにしましょう。
全身ツヤのある生き物が、ドレスに潜り込んだ、という雰囲気になれば、恐ろしいほどの美女オーラが出ます。

吉川康雄『生まれつき美人に見せる』

こういう雰囲気を目指していきたいし、制服案にも反映していきたいなぁと思います。

以下は吉川さんのメイクとは無関係の、個人的に目指したいなぁと思った雰囲気の写真をPinterestで集めたもの。

デコルテの輝き、大切にしていきたい。
せっかくデコルテが厚くて、大きく見せても嫌らしい感じにはならない体型なので生かしていきたいですな。

そして、先日のこのツイート。

ここで言っている、加味すべき「自分の好み」とは言語化するなら何なんだろう…とここ最近悩んでおりました。

画像の上の4アイテムから、下の4アイテムに変化させたとき、何がどう変わってるのか言葉で上手く説明できなくて。ちょっと崩れたアンニュイな感じ?アンティークっぽさ?…なんか違うぞ。。。

という感じだったのですけど、今思うとこれは吉川さんの言う「全身ツヤのある生き物が、ドレスに潜り込んだ、という雰囲気」というイメージを念頭においた上で、それに合った感じのファッションアイテムを選んでたんだな。

何が合ってるかどうかは私の主観なので、コレいまいち伝わりにくいかもですけど…。

吉川さんの影響を受けて、今の私が思う(目指す)「女っぽさ」はイコール「色気」で、その色気とはまさしく「生命力を感じさせる肉体」なんですな。

飾るというよりも、内側から出てきた体温で表面に膜をつくってる感じ?

関係ないけど、冬場にコタツで長時間寝るとお肌が乾燥するっていうけど、私的にはコタツでうたた寝したあとの肌が最も美しいけどな。
お肌のキメが細かくそろってて、目がポワっとしてて唇が赤々しい感じ。

とにかく「素肌の持つ色気」みたいなのを大切にしていきたいです。

ちなみに「ヌーディー」は良いけどヌーディーメイクとかはちょっと違うかも。
意図的に色を重ねて作り出す素肌感は目指しているものとは少しズレます。

あと、石田純一さんみたいに裸足にローファーを履きたいかというとそうでもない。(でも「素足に靴」が自分のアイコンになってる石田さんのその感じはちょっと憧れますな)

というわけで、口紅1本からここまで自問自答が広がるので、やはり興味を持ったものは(たとえ購入する予定はなくとも)実物を見に行ったり、身につけてみたりすることは大切なんだなぁと思った、そんな出来事でした。


そういえば、mimoさんのnoteを拝読していて(すごく面白かったです!♥)、私も気になった「サビアンシンボル」、自分のを調べてみました!


最初に出てきたシンボルは、「祭壇のそばの聖職者に吊り香炉を捧げる少年」で意味は心の可能性を探求して師匠から学ぶ人でした。

ちなみに冒頭の書き出しはこの伏線というわけではなく、サビアンシンボルを調べたのが後なのです。不思議ですねぇ。

あとは、「ヌーディズムに心理的解放を見出した
抑圧された女性
」というのもシンボルの中にあったのですが、これも不思議な繋がりですね。

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