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帚木蓬生さん『ネガティブ・ケイパビリティ』

宮地尚子さん『傷を愛せるか』



10月に入って、職場の、僕がふたつ兼務している部署のうち片方のリーダーと副リーダーが変わった。その部署は利用者にとっては住居なんだけど、自分にとっても落ち着けてわりと自然体でいられる場所で、職場でありながら、半分は家庭(入居者だけで10人以上だから大家族だ)のような感覚もあった。だから上の人たちの異動は雑に喩えれば家族の長(父と母?)がふたり入れ替わったようなもので、それに伴って気分はずいぶんざわついていた。プライベートでも大きな変化があったから、それも含めて気持ちを落ち着けようとして毎朝瞑想をしたり、何かに夢中になれる時間を持とうとして楽器の練習をしたりもしてたんだけど、その分、書きながら自分の気持ちを振り返る時間を持てていなかった。自分にとって、こうやって考えを書くことは、人に話すことと同じくらい大事なのに。

先日の仕事が、慣れた利用者のケアだったのにずいぶん心が疲れてしまい、職場にそういうことを話せる人がいないなと感じていた(実際のところは、話して見れば聞いてくれると思うけど、たまたま事務所にいたほかのスタッフがそれぞれイベントや翌日の準備などで慌ただしくしているのを見ると話そうともそうも思えなかった)

その気分の疲れを引きずって家に帰ったあと、無性に海に行きたくなり翌日、午後からの仕事の前に神戸の海に行って、海を眺めながら、もやもやする気持ちを整理していた。

その日は今年の3月に亡くなったばあちゃんの誕生日で、生きていたら85歳になる日だった。家族を思いやる部分がある半面、時々気性が荒くなると傍若無人にふるまう人だった。その人に幼少期から育ててもらった僕は、その人との密な関係のなかで成長していくことで、人との関係の築き方や向き合い方に関しての、悪い影響もよい影響もたくさん受けた。

しんどい状況にあるときに少し大胆な行動に出て好転させることができるのは、ばあちゃんから受け継いだ良さのひとつだと思っている。普段は僕は気持ちがしんどいときほど、自意識過剰に周りにどう思われるかを気にして自由でいられなくなってしまう傾向にあるけれど、ばあちゃんの血を受け継いでいることを思い出して、開き直って行動することができる。「外で人の目がある場でも大声で家族に怒鳴るような、無茶苦茶なことをして何も気にしないような人の血を引いてるんだから、自分がこれくらいのことをしても仕方がないだろう」と。

そうしてたいていその行動を見た、まだ付き合いの浅い周りの人たちからは、変わった人だと思われる。


読んだ本について書くつもりだ。

前置きがかなり長くなってしまったし、もはや前置きでもなんでもなくて、完全に書きたいことを書いているだけだ。この文章を読んで楽しいと思える人がいるとは思えないし、もっぱら、自分の気持ちを楽にするためにキーボードを叩いている。

読んだ本のこと、本を読んで感じた些細なことを書き残しておくためにこのnoteを使おうと思った。noteを開いて、誰かに読んでもらうことで、それをするモチベーションになる。

好きな人に、「誰かに見守ってもらうだけで、苦しんでいる人や悩んでいる人が救われることがある」と書かれている本の話を聞いた。ヒトは誰も見守っていないところでは苦しみに耐えられないけれど、見守っているところでは耐えられる。その見守る目のことを、「目薬」というらしい。

(帚木蓬生『ネガティブ・ケイパビリティ』)

こうやってnoteに書くことで、僕はもしかしたら、不特定多数(たぶん多数ではないけれど)の人から目薬をもらおうとしているのかもしれないなと思う。

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精神科医であり、小説家でもある帚木さんのいう「目薬」に近いことが、同じく精神科医で、かつ医療人類学や文化精神医学の研究者で、海外で暴力被害者支援の活動などもしている宮地尚子さんの『傷を愛せるか』という本の冒頭にも書かれている。

娘がまだ小さいころに外出先で階段から転げ落ちたのを見た著者は、パニックになったり、すぐに駆けつけたりすることなく、少し離れたところからただ黙って、目を凝らして見つめるだけだった。そんな自分を、医師という自分の職業や、幼いころ、家族の諍いをただ見ていることしかできなかった経験と結び付ける。「なにもできなくても、見ていなければいけない。目を凝らして、一部始終を見届けなければならない」という命題が、ずっと前から自分に課されている気がしていたという。誰に与えられたわけえでもないけれど自分の心にずっとあったというそのメッセージが、ある葬式での体験をきっかけに、「なにもできなくても、見ているだけでいい。なにもできなくても、そこにいるだけでいい」というメッセージに、著者自身の心のなかで、変わっていく。


『傷を愛せるか』を読むのはこれが二回目だった。最初にこの文章を読んだときに、自分がまだ子どものころ、兄が家で受けていたひどい仕打ちであったり、家庭内での暴力や暴言を見て、「このことを忘れてはいけない。」と強く感じたのを思い出した。いずれほかの家族がそれを忘れたり、何もなかったかのようにふるまったとしても、自分だけは、この理不尽な状況や、兄の受けた苦しみ(本当は「自分が兄の立場なら感じただろう苦しみ」だ)を、をずっと心に留めておかないといけないと思っていた。

同時に、ある日、目の前にいる人が少し大きなケガをして、血を流していたときのことも思い出した。真夏の暑い日で、僕自身が疲れていて、少しぼおっとしていた。すぐに対応する必要があるのに、心の一部ではどこか醒めていた。行動では大声で助けを呼んだけれど、パニックになったのではなく、パニックになった自分を演じているという感覚がどこかにあった。すべきふるまいをする自分を演じている感覚。


仕事の人間関係(福祉の仕事だから、支援の仕事そのものも職場の人との関係もすべて人間関係だ)に悩んだ僕は図書館でたらたらとこの本を読み返していた。エッセー集のこの本は、前に借りたときにはすべて読めていなかったから、今日初めて読むページもあった。

感情労働について書かれた文章のなかで著者は、感情労働の概念をつくった社会学者アーリー・ホックシールドの著書が1983年に出た当時に比べて、アメリカの客室乗務員が過剰な感情労働をしなくなったことについて言及している。

僕は知らなかったのだけれど、アーリー・ホックシールドは、感情労働を表面的に役割を演じる「浅い演技」と、心からその役割になりきろうとする「深い演技」に分け、「深い演技」を続けることで自分の本来の感情がわからなくなっていくなどの弊害があると言ったらしい。

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(『傷を愛せるか』92ページ)

宮地さんは、感情労働の弊害についても指摘したうえで、あまりにもひどい接客や、傲慢な対応をする医師に対して「浅い演技」は要求されてもよいと言っている。


昨日年上のパートさんに、別のパートさんへの不満をたくさん聞いてから、職場の人間関係とか教育とか、いいチームワークを作るにはどうしたらいいかとか、敷衍してあれこれと考えていたけど、職場のほかのスタッフには話すときや挨拶で笑顔を作るといった「浅い演技」を当たり前にできてる人がうちの職場には多くて、たぶんその安心感に僕は無意識に支えられている。

一方で自分は調子に波があって、その浅い演技ができてないことも多い気もして、「パートスタッフも含めて皆で協力していい仕事ができるにはどうしたらいいのだろう」と考える前段階として、まず自分がそういうところから変わっていったほうがいいのかなと気づかされた。

浅い演技が普段から自然とできていたら、もう少しさわやかな印象を与えられる人になれるかもしれないなという、目的のわからない下心も持ってしまったけれど。


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たまには遠くを眺めてぼーっとしようね。