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後悔はしても、その出来事は大切な経験でもある

今日は何を書こうかなって考えた矢先に、少し妻と話したことで感じたことを書いていきます。

もう私たちもかれこれ30年程生きてきているので、
それなりに色んなことを経験してきている。

人にもよるかもしれないですが、私の妻は、
ポジティブよりもネガティブな思考が強いほうです。
私は共感できることもありつつ、妻からするとポジティブな考えを持っているみたいで、時たま、共感できないことがあるみたいです。

先日話したのは、今の自分の嫌な部分が、過去の家庭環境によるものであり、少しばかりか親のことを否定的に感じているという話だった。

確かに、この類の話は、妻や私だけでなく、誰しもが一度は感じることではないだろうか。
人間、100%良い面、ばかりではないため、良いところもあれば、欠陥もあり。大人になってみれば、子どもの時よりかは、親の偉大さに気づくものだったりする。

そして、親との関係のみならず、これまでに経験した嫌な思い出も、妻の中では嫌な思い出のまま残っている。

思考を変えるのはとても難しいことなのかもしれないけど、嫌な思い出になるか、これから先を生きる良い糧になっているかは、その人の捉え方次第で変わってしまう。ポジティブな人も、良い経験ばかりしているわけではなく、同じく嫌な出来事もたくさんしているけど、自分の中での意味づけが前向きな方向になっているだけだったりする。

私も、noteを書きながら、これまで経験したことで、
「中学に上がる時、野球のリトルリーグに入って、頑張っておけば良かったな」
「もっと沢山、恋愛をしてから結婚すれば良かったな」
など、後悔しようと思えば、沢山の後悔ができる。

それに、振り返れば、その時は無理だと思って選択しなかったことも、日が経てば、そんなに大きな影響を後の自分に及ぼすことはなかったなと感じることが多いので、大抵何かを行ってみても、たいした影響はないから、人目を気にせず、直感でやろう、と思えるようになってきたりもする。

何が言いたいかというと、過ぎ去った日は戻ってこないし、自分の力で変えられない環境は変えられなかったけど、その出来事から感じたことを、これから先どのように生きるかにつなげていければ、よいのではないか。またそれしか方法はないんだろうな、って思うのです。

過去は、満足いかなかったとしても、
未来はいくらでも変えられる。希望の塊。
今度、妻とも、そんな話をしてみようかな。

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