見出し画像

全自動と愛情と|老人Z

アニメ『ウォレスとグルミット』で描かれる朝の支度シーンが好きだ。
犬のグルミットがレバーを引き、寝ているウォレスのベッドが立ち上がる。ベッドは上から吊り下げられた紐で支えられ、床がパカっと開き、ウォレスだけがその穴に滑り落ちていく。と同時に用意されていたサスペンダー付きのパンツが履かされて、そのまま食卓の椅子にストンと到着。両腕を上げればどこからかシャツの袖(アームカバー?)が装着され、後ろからやってきた機械がニットベストを着せる。目が覚めてから食卓の椅子に着くまでの間、ウォレスがやったことと言えば両腕を上げたことくらい。発明家であるウォレスの朝の一連の流れは何度観ても面白い。

良いなあ、と思う。準備は大抵めんどくさくて、楽にできるものなら楽にしてほしい。ただ、どちらかといえば眠るまでの準備の方がめんどうだ。お風呂もクレンジングもドライヤーも歯磨きも全自動で行われたらどんなに楽だろう。
同じように健康診断も全自動で終わらないだろうか、と考えたことがある。たとえば空港の手荷物検査のようなゲートを通るだけで身体の内部まで細かくチェックされるとか。モニターにいくつもの数値が映し出されて、ふむふむと。そうなればバリウムを飲んでグルングルン回されることも無くなるだろう。

では、全自動介護ロボットはどうだろう。
介護が全自動になると相当便利だ。おじいちゃんが寝ているベッド、それ自体が高性能ロボットになっていて、いつだって健康状態を管理できる。体調の変化を感じ取れば、その状態に合わせた適切な処置も施せるし、それでは間に合わない危険な状態であれば近くの医療機関に状態のレポートともに信号を発信することもできる。ベッドと言いつつ形が変形し、季節や気温に合わせた温度でお風呂にも早変わりするし、1週間分の食事を貯めておく機能もあって適切なタイミングで食べさせることもできる。寝たきりだと良くないので身体を起こし、座った状態で歩行運動をさせることもできる。排尿の対応もロボットが適切に行うので問題はない。寂しいときのビデオチャットやゲーム、囲碁、株価の確認ができるモニターだって備わっている。

家族の許可も得て、この老人介護全自動ベッドの被験者になったおじいちゃんがいた。厚生省の発表、そして実演を見てマスコミたちは深く感心する。なるほど、これはとても便利だぞ、と。
そこに「待った」と止めに入ったのが晴子ちゃんだった。晴子ちゃんは被験者のおじいちゃんの孫ではない。おじいちゃんの看護ボランティアをしている看護学生であり、映画『老人Z』の登場人物だ。

介護問題 × エンタメの作品といえばテレビドラマ『俺の家の話』が思い浮かぶ。
どの家にも訪れるであろう介護問題を、重たくてネガティブなものではなく、あくまでもコメディとして、けれどファンタジーではなく現実として描いていたドラマ。エンタメを通して社会問題を伝える作品をわたしは好んでいて、その中でも介護問題に焦点を当てた『俺の家の話』は特に好きな作品のひとつだ。

いまから30年以上前、1991年にも介護問題に焦点を当てたエンタメ作品が存在する。それがアニメーション映画『老人Z』だ。タイトルで観客が減っているような気がしないでもないが、大変面白かったので紹介させて欲しい。ちなみに原作・脚本は『AKIRA』でお馴染みの大友克洋さん。

看護学生の晴子は、おじいちゃん(高沢老人)の介護ボランティアを担当している。その高沢老人が前述した老人介護全自動ベッドの被験者に選ばれるところから物語は始まる。
「家族の許可は取っている」と説明する厚生省の寺田に連れられ、高沢老人の身体はたくさんの機械と接続されてしまう。おじいちゃん本人の意思は、と気になっていた晴子だが、大学のパソコンにいくつもの「HARUKO」「助けてくれ」の文字が表示されるのを目撃。おじいちゃんのSOSだ、と気づいた晴子は友人たちと共におじいちゃん奪還を目指す、というストーリー。

『俺の家の話』は「現実として描いていた」と書いたが『老人Z』はジャンルとしては「SF」だ。高齢化社会や介護問題を題材にしたSFアニメーションなんて観たことがない、と思いきや、なんとそれだけには留まらない。

まず、かわいい女の子が登場する。キャラクターデザインを手掛けるのは江口寿史さん。90年代ファッションも合わせてとにかくかわいい。
さらに格好良いメカも登場する。高沢老人の老人介護全自動ベッドは後に「介護用」だけではない目的が潜んでいたことが明らかになるのだが、要介護のおじいちゃんを搭載したメカの戦闘シーン(アニメーションならではですね)なんて初めて観た。
短い中でも登場人物たちそれぞれにしっかり特徴があるのも好きなポイントだった。厚生省の寺田さんなんて物語後半からは急に応援したくなってしまう。「厚生省をナメるなよ!」はこの映画の中で最も印象的な台詞だ。おじいちゃんを助ける方法を考えていた晴子ちゃんが最終的に協力を仰ぐのが入院中のおじいちゃんたち、というのも面白い。入院ベッドの上にパソコンを設置し、せっせとハッカーとして活躍するのだ。ハッキングに成功して「やったぞ!」と言いながら飲むのはお酒ではなく、錠剤だったりする。イケてるじいちゃんたちが活躍するのは大抵良い映画なのだ。
てんやわんや、あっという間の80分だった。

映画の中で「愛情の無い看護は看護と言えますか」という台詞が出てくる。
晴子ちゃんたち看護学生たちの間でも様々な意見があった。若者に面倒を見てもらうのが嫌な老人だっているんじゃないの、とか。この映画の中では実際の介護の辛い部分はあまり描かれていない。ただ、許可を取っていると言っていた高沢老人の実際の家族が一度も出てこなかった点でそれを描いているのでは、とも思う。(もしくは許可書がハッタリの可能性もあるけれど。)

「愛情」を失わずに介護できるよう、映画に出てくる全自動ベッドとまではいかないまでも便利なものが開発されていく未来だと良い。便利な全自動機械も愛情も、どちらかではなく、どちらもあると良いものだと思うから。ただ、30年前の当時よりももっと機械に頼っても良いんじゃないか、という風潮はある気がする。

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

映画感想文

読んで下さってありがとうございます◎ 戴いたサポートは多くの愛すべきコンテンツに投資します!