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コロシアムはSNSのよう|グラディエーター

最後まで観られるんだろうかとドキドキしながら2001年アカデミー賞作品賞を受賞した『グラディエーター』を観ました。ドキドキというか、もはや動悸。
作品賞以外に音響賞(録音賞)、視覚効果賞、衣装デザイン賞、主演男優賞(ラッセル・クロウ)も受賞しています。

「最後まで観られるんだろうか」というのは内容があまり得意なタイプのものではなかったから。奴隷として人がお金で買われ、命を賭けた戦いの場に出され、それを娯楽として人々が楽しんでいる、というのは観ていてキツいものがあります。分かっていても歴史から目を背けたくなる。ONE PIECEだって天竜人のシーンは調子を悪くしながら読んだもの。

とはいえ中盤からは惹き込まれるように観ていました。もうね、主人公のマキシマス(ラッセル・クロウ)があまりにも格好良くって。どの物語でもキャラクターって良いところもあれば悪いところもあるように描かれると思うんですが、マキシマスは嫌だなと思う部分が一切ない。あれだけ人を殺していてもそう思ってしまう魅力がある。(そもそもやらなきゃやられる世界だしね。)決して台詞数も多いわけではないのに。この映画を観て少しでもマキシマスのここが嫌だったわ、と思う人がいれば理由を教えて欲しいくらいです。

物語は西暦180年、大ローマ帝国時代。
どんな戦にも勝利してきた将軍マキシマスは皇帝から信頼され、次期皇帝になって欲しいと言われます。ちょっと考えさせて欲しいと言っている間に(こんな大事な話を日没までに決めてくれ、って短すぎない?)、皇帝の息子コモドゥス(ホアキン・フェニックス)が「なんで俺じゃないんだ!」と父親を殺害。コモドゥスによって反逆罪をなすりつけられたマキシマスは処刑の手からなんとか逃れますが、奴隷商人に買われて剣闘士(グラディエーター)としてコロシアムに出場することになる…と、そんなお話です。辛い、辛すぎる。家族の揉め事にマキシマスを巻き込まないで。

観終わったあと夫が「コロシアムってSNSみたいだった」と言っていて、なるほどなあと思いました。それはわたしが最も印象に残ったシーンのこと。

少しネタバレになりますが、ローマのコロシアムでマキシマスは皇帝になったコモドゥスと再会します。
グラディエーターは相手を殺してこそ盛り上がる。民衆からの大きな歓声は誰かの命が尽きた時。どちらかが死んでこそ成り立つエンターテインメントなんですよね。ああ、恐ろしい。
グラディエーターとして民衆の歓声を集め人気になっていたマキシマスは、ある決闘でトドメを刺すのをやめます。シーンとするコロシアム。そして次の瞬間、民衆の一人が叫ぶのです。「慈悲深い!」と。相手を殺してこそ盛り上がるはずのコロシアムで、相手を生かして「慈悲深い」と称えられる。これはマキシマスが民衆に愛され、民衆を味方につけた証です。
一方コモドゥスは余計に追い詰められていきます。いま俺がマキシマスを殺してしまえば、民衆は俺を恨むだろう。でも俺がマキシマスを生かしたところで誰も俺のことを慈悲深いなんて思っちゃくれないんだ、と。

大きなひとりの叫びが、円状の観客席にワッと拡がり、あっという間に同じ意見に染まっていく。確かにコロシアムのこの光景はSNSのようでした。
これがもし最初の決闘だったらマキシマスは大ブーイングだったと思います。何やってんだ、早くトドメを刺せ、って。だからこそ、怖い。観客次第なんだなあというのが、事実よりも周りの意見で物事の見え方が変わってしまうのが、とても怖い。もちろん先ほど書いたようにマキシマスが人々から愛されてきた経緯あってのことだとしても。そうですね、SNSを形で例えるなら円形だと思います。

こういう作品を観るとどうしたら悪役は救われたのかを考えてしまうのですが、コモドゥスは「権力」と「支配」で統一しようとしていたのがやっぱり良くなかったよね。上に立つものは「人望」が大事なんでしょう。

次回は2002年の作品賞『ビューティフル・マインド』を観ます。
なんと2年連続で主演はラッセル・クロウ!楽しみです。


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