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内からの制約くらいは取っ払いたい #ピータードイグ展

ねえ、君は知ってた?
爪先からかかとまでを水平にして、波を立てないように静かに着水させれば湖の上でも歩くことができるんだって。

ぼくはこれを習得するのに2週間かかったよ。

陽が昇りきっていない1月の薄ピンクの空気。
厚ぼったい雪が降る以外に動くものの無い白樺の森を歩く。
神聖で、どこか愉快で、世界にはぼくしかいないみたい。

周りの温度が少し下がってきたら、湖はすぐそこだ。

ひとつ深呼吸をして透明な湖に足を着ける。
いいかい?焦っちゃいけないよ。
1月の湖に落っこちたら、ママにうんと叱られちゃう。

一歩、一歩、そう、水平に。
うん、その辺りまで行けばだいじょうぶ。

まずは左足で3回するりと円を描くんだ。
朝焼けの空気とコートの色が湖に混ざり合ったかい?

そうしたら次は右足で3回するりと円を描くんだ。

すると、ほら、
会えるんだ、ぼくに。


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『ブロッター』



東京国立近代美術館へピーター・ドイグ展を観に行きました。

数ヶ月ぶりの美術館だったことも相まって非常に興奮したのですが、わたしの興奮は展示のチケットをもぎられる前から始まっていました。

それが「ピーター・ドイグ作品で物語をつくろう!」という企画。
小・中・高校生を対象に、ピーター・ドイグの指定の絵画から400字以内の物語を生み出してみましょう、というもの。

印刷された絵画の横に「研究員のイチオシ!」作品が数枚貼られているのですが、絵画から連想される物語の面白さにすっかり魅了されました。
高校生の表現力の巧みさ、中学生の視点の広さ、そして小学生の想像力の豊かさ。たった400字なのに、こんなにも面白いなんて!夢中になって展示室の入口を何往復もしてしまいました。

そんな訳で、わたしも挑戦。
冒頭356字です。

書いてみて分かったことは、書くことに対する制約は自分の内側から作られているものが多いということ。

noteにタイトルを付けて投稿するならある程度の文字数が必要なんじゃないかとか、このテーマで書いても読んでくれる人はいないんじゃないかとか、自分の中で無意識に決めている「やらないでいること」ってある気がします。
もっと自由に、というよりそうやって自分で作っている制約くらいは取っ払っていっても良いんじゃないかな、なんて。


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絵画だってそうだ。
別に1枚のパネルに収める必要なんて無い。

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表現の世界では雪山以外でスキーをしていたって良いんだ。

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不自然なほどくっきりと分割された表現だって、面白い。

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この『スピアフィッシング』という作品はピーター・ドイグ作品の中では珍しく、彼が実際に目にした出来事を絵画にしたもの。だけど、描いたのは観た直後ではなくて1年後だったんだとか。

実際に光景を目の当たりにしながら描くのと、観た直後に描くのと、1年前の記憶を手繰り寄せながら描いたものとでは、同じものを描いたとしても表現が変わってくる。どれが良くてどれが悪いという話ではなく、どれだって面白い。

記憶を手繰り寄せながら描いたからこそ、現実か空想か分からない、どこか不気味で、どこか愉しげで、疲れた日に見る夢のような絵画になったんじゃないかしら。


美術館をふらりと歩きながら、自分の内側から生まれている制約くらいは吹っ飛ばして、ピーター・ドイグのように面白く書いていきたいなあ、なんて思いました。

そもそも文章は長ければ良いなんてそんなことは無いですし。
短く文章をまとめる練習、してみようかな。

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