見出し画像

航空機事故から学ぶ:夜着陸したら眼前に!

1991年2月1日の晩、US Air 1493便B737型機は89名の乗客を乗せて、WashingtonD.C.のNational空港からLos Angeles空港の4つある平行滑走路の北側2つ目、RWY24LへVisual approachしていた。全米でも屈指の混雑する空港で、当時も離陸、着陸、滑走路の横断で、RWY24R/Lを担当していたTower管制官は多忙を極めていた。彼女はTowerとGroundを言い間違えることもあり、バタバタの状況でSky West 5569便Palm Dale行きMetro III型機に”Taxi into position RWY24L”を指示した。
US Air 1493便はRWY24Lへの着陸承認を問い合わせたが、Tower管制官からなかなか指示が得られず、着陸まであと1分の高度1,000AGLでやっと”Cleared to land Runway 24 Left”を承認された。18:03に同機はそのまま正常に滑走路へ接地したが、機長は目前にMetro IIIを発見したものの避けきれず、US Air 1493便の胴体下部にSky West 5569便が挟まる形で、火を噴きながらRWY24L上を引きずって、最後は滑走路わきの空の建物(消防庁舎)へ衝突して停止した。US Air 1493便は左右両側から火の手が上がり、客室内には有毒ガスが充満して、ドアも変形して脱出は容易でなかった。何人かは機体から飛び降りて助けを求めた。
管制塔からの指示で駆け付けた救助隊はUS Air 1493便の下にプロペラが見つかったので、同機がMetro IIIと衝突していることに気づいた。懸命な救助活動に拘わらず、US機の22名とSW機の12名全員の合計34名が死亡した。US機の副操縦士は操縦室の窓から救出されて生存したが、機長は助からなかった。
NTSBから調査官らが派遣され、両機はRWY24Lのintersectionで衝突したことが確認された。US Air 1493便には6,000Lbほどのジェット燃料が残っており、それを抜き取ってから実地調査が開始された。機外への脱出が容易でなかった理由として、火災による有毒ガスで窒息したことが挙げられた。
US Air 1493便のBlackboxも回収できた。Sky WestのMetro IIIにはCVRが搭載されていなかった。まず管制塔でのATC記録が分析され、事故直前にTower管制官がWings West 5006便にCross RWY24Lを指示したものの返答がなく、その対応に手間取っていたことや、Wings West 5072便のProgress Stripが手元になく、その手配でもたついていたことが確認された。これらの不手際で、彼女はSky West 5569便を”Taxi into position RWY24L”と指示したことを失念してしまい、着陸目前に迫ったUS Air 1493便へ”Cleared to land RWY24L”を発出してしまったことが事故の主原因と分かった。
LAXでは事故の7年前にもAirbus機が同様なヒヤリハット事例に遭遇しており、管制官不足が指摘されていた。また管制塔からRWY24R/Lが見にくく、特に夜間はGlareで滑走路上の機体が殆ど見えないことが改めて問題視された。実際、RWY Center Lightと飛行機のNaviation Lightは同じような色で分かりずらく、滑走路上では区別できなかった。LAXのGround Radarは旧式モデルで機種や便名が画面上で分からなかった。
NTSBの事故報告書を受けて、LAXでは新型のGround Radarへ入れ替えられ、事故から5年後には16階建てに相当する、以前より3倍の大きさの、落下傘が開いたようなデザインの新管制塔が完成した。
地上にいる航空機は垂直尾翼ほか全ての照明を点灯するようになった。それでも全米で年間10件を超える衝突事故が起こっており、2000年には21件を数えた。そのためFAAではRunway Status Lightと呼ばれる、近隣に航空機が接近してきた際に赤色灯火が連動して点灯する警告灯を開発し、同空港の他、Dallas空港、San Diego空港へ設置して、その後全米の主要な空港へも設置が進められた。

事故主原因は言わずと知れず管制ミスなのですが、事故原因を全てTower管制官に負わせるのは酷だと思います。Wings West機とのATCで不手際があり、Sky West機が滑走路上にいることを失念したのですが、彼女へすぐ返答しなかったWings West5026便の操縦士や、Wings West5072便のProgress Stripを渡していなかったDelivery担当者にも間接的な責任があったからです。そして何より、Sky West5569便のCrewがUS Air 1493便が1mile finalで着陸支障なしと送信された時点で、自機が滑走路上にいることを一言管制塔へ伝えれば、この悲劇的な事故は防げたかも知れません。慌ただしい離発着陸の中では、関係者全員が状況を慎重に判断ながら管制交信をすべきことが重要な教訓となりました。彼女は事故当時38歳で、その後管制官の仕事から離れて余生を送っているとの事です。

さて本事故の概要を聞けば、2024年1月2日に羽田空港C滑走路で発生した日本航空516便と海上保安庁のボンバルディア機衝突事故と多くの共通点があることに気づくでしょう。事故の一義的な責任は、Tower管制から許可なくRwy34Rへ進入した海保機の行動にあったのかも知れませんが、管制官は地上レーダーでその動きを察知することが出来た筈です。516便のパイロットも出発機が1便あることを知らされていた様ですから、目を皿にしてC滑走路とその西側誘導路を見渡して、海保機の停止を確認すべきだったとも云えます。
前の記事でも述べましたが、事故当日は年始の旅行客でごった返していたところ、その前日に起きた能登半島地震で機材のやり繰りがイレギュラーになっていました。
海上保安庁機は震災救援用物資を新潟空港へ急遽届ける用務中であったとのこと。皆が気忙しく離発着していたところ、一瞬の心の間隙が生じて油断したことで、ヒヤリハットでは済まない事故に発展してしまったのです。
日航機の乗員乗客379名全員が脱出して生存したことは、不幸中の幸いでした。海保機に搭乗していて機長以外に亡くなった5名の隊員と御家族には、心よりお悔やみ申し上げます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?