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怒って墜ちた

侮辱されて怒った:1972年6月18日、英国London・Heathrow空港からベルギーのBrussel空港へ向かうBEA548便(Trident型機)は、乗員6名と乗客112名が搭乗して、Rwy 28Rから順調に離陸した。空港近隣への騒音軽減のため、離陸後90秒間はエンジン出力に制限があり、操縦は老練のS.Key機長が、経時計測とエンジン出力は若手の副操縦士と航空機関士が担当していた。
同機は6,000ftまで上昇し、空港北西のStainesで左旋回し、Brusselへ向かうところ、突然機速が抜けて失速。水平を維持したまま地面に叩きつけられるように畑へ墜落した。
AAIBの調査官らは赤い腕章を付けて現場に入り、事故機のFDRを回収した。当時Trident機にはCVRは搭載されていなかった。実地検分した調査官は現場近くの高圧線が切れていないことを見つけ、事故機は落下するように墜落したのだろうと推測した。当日の天候は3,000ftでOVC(全天曇り)であったが、乱気流が中程度あった。
事故機の残骸を調べると、droopレバーがretracted(up)の位置にあり、乗員の誰かが誤ってdroopを収納したため、失速して墜落したと想定された。同機ではflapとdroopのレバーがthruttleの両側にあって、handleの形状が同一のため、勘違いした可能性があった。
航空機関士席に"Key must go but where?"と揶揄するビラが落ちていた。BEA社は当時乗務員ストの最中にあったが、Key機長は管理職であり、運航を準備する段階からストへ同調する同僚から嫌がらせを受けていた。またKey機長はそういう同僚と乗務前に激しく口論しており、不快な気分で乗務に付いたことは明らかであった。実際ATCとのやり取りで、Key機長はきちんとread backしていなかった。ビラを書いた主は副操縦士の筆跡に似ていたが、専門家の鑑定では別人と判定された。
Key機長の法医学鑑定を行うと、冠動脈の狭窄が著しく、ATCの声が苦しそうに聞こえたため、乗務中に心臓発作を起こしたことも考えられた。副操縦士と航空機関士は同型機への乗務が30時間にも満たず、失速警報するstick shakerに対応できなかった。失速回復システムが故障していた可能性が考えられたが、残骸を検証すると異状なく、乗務員が作動しないようdisableにしていた。
AAIBは同型機のdroopとflapのhandleを異なるデザインにすることと、操縦室の音声を録音するCVRの搭載を勧告した。

1970年代のUKは英国病に苛まれ、航空業界の職場でも著しい停滞と労使双方の反目があったようです。CVRが搭載されていたら、どんな侮辱を受けて飛んでいたか明らかになった事でしょう。Cockpit Resource Managementの概念など存在しない時期でしたから、こういう陰鬱な雰囲気で運航していたら、いつ墜落事故が起こっても不思議でありません。

罵倒されて怒った:2018年3月12日、バングラデシュのDhaka空港からネパールのKathmandu・Tribuvan空港へのフライトで、US Bangla航空 211便(DHC-8-402型機)はベテラン機長とルーキー副操縦士ほか2名の客室乗務員と67名の乗客を乗せて飛行していた。Kathmandu空港へアプローチするため、FL160から13,500ftまで降下し、空港の南20NMでholdingして、予定より1時間早くVOR Rwy 02 approachを開始した。
地上の風速は8ktであったが、Tribuvan空港付近には雲が垂れ込めて、視界は7kmであった。機長は新人副操縦士に滑走路が見えるか尋ねたが、彼女は見えないと答えた。その時機体は滑走路の東側を通過し、何と空港の北側へ抜けていた。機長は右旋回して空港へ戻ろうとし、空港管制官は滑走路を視認しているか尋ねたところ、副操縦士は3時方向に滑走路が見えると答えた。地上の風向風速は270°から6ktであり、同機はRwy 20へ着陸する態勢になっていた。途中で誘導路へ着陸しそうになり、その後機体は管制塔のすぐ脇を掠めて戦闘機のように旋回した。同機は更に右旋回してRwy 02へ正対した形となったが、無理な着陸を試みたため滑走路から逸脱し、440m離れた荒れ地で停止できたが、機体が破断して炎上した。機長と副操縦士を含む57名が死亡した。
事故調査にはネパール、バングラデシュのほか、航空機製造国としてカナダが参加した。調査官らは回収したCVRとFDRをOttawaへ送付し、生存者への聞き取り調査と空港の監視カメラの解析を進めた。事故機は管制塔へ向かってきた際、45ftまで接近していたことが判明した。
FDRの分析では操縦が全般的に乱暴で、holding後にheading modeのままアプローチしたため、北風で機体が滑走路の東側へ流されていたことが分かった。滑走路が視認できない時には、Dhakaへ戻ると言っていたが、実際は無理な着陸を試みた。
CVRを解析すると、機長は操縦中に喫煙していて、タバコを床へ落としていた。更に同僚の女性パイロットから教官に値しないと罵倒されたことを悲嘆して、泣きながら操縦していたことが録音されていた。この機長は1か月前に同社へ辞表を提出しており、激昂しながら飛行していたことが無謀な事故につながったと結論された。

南西アジアや中近東の男性は、しばしば精神的に自壊して自暴自棄になることがあるのを、自分自身経験したことがあります。このような精神状態で操縦していては、CRMなど期待すべくもないでしょう。ましてバングラデシュというイスラム国の航空会社で、副操縦士が総飛行時間が400時間にも満たない新人の女性パイロットであったため、操縦を取って代わる等もっての外だった筈です。事故当時一番怖かったのは、他ならぬ彼女だったでしょう。

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