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ドラマと本と【感想文】

「初恋ざらり」の1話をTVで見た。
途中まではいつだったか、アプリで読んだ記憶がある。
途中で止めたのは、電車の中で読むにはちょっと辛過ぎたから。

先日、「アルジャーノンに花束を」を読了した。
どちらも主人公は軽重あるが、知的障害者である。
自分はきちんとIQを測った事がないが、自分では相当問題があると思いながら生きている。
それが故に、二人の孤独感や周りに対する申し訳なさが良く分かる。

”こんな事が分からなくてごめんなさい。”
”すぐに理解出来なくてごめんなさい。”
”自分が必要とされる事に嬉しさを感じる。”

周りに分かるように表現出来てなくても、頭の中ではずっと色々考えているし、感じている。
だけども、それが一般の人の様に上手く出てこなかったり、伝えられなかったりしてる。

自分は何がきっかけで、そんな風に感じるようになったのか、きっかけが思い出せない。多分、周りからは良い人生を歩んできたと思われていると思う。でも、いつも何かを無理しているのかも知れない。
人によっては、「そんなのみんな当たり前で、甘えるんじゃない」って
感じるのかも知れないが、ドラマを見てモヤモヤしてた物が、久しぶりに形になって目の前に見せられた感じだ。

ある意味、形の分からない黒い物に形が与えられて安心している。
自分の問題に気づき、どうしようかと考えられるから。

今まで人以上に仕事をしたのも、これが原因。
決して楽をしようとしていないけど、適当にやっていると思われたくない。だから人以上に努力しないと、努力しないと・・・
って。
それでも器用に出来なくて、落ち込んだりする。
心配で、必要以上に準備して、それでも心配になって心が壊れる。

何とかしないと、自分が必要とされない人に分類されてしまう。
おかしな人って思われない様に、武装しないと。
自分がおかしな人のせいで、迷惑かけてしまうのが怖い。

これが自分の原動力と言うか、生き方と言うか。
認めて貰ったら嬉しいのだけど、100%では喜べなくてどこか申し訳なさを引き摺っている。

チャーリィの様に、人に小突き回されても外から見えなくても、その中にはれっきとした「人間」が入ってて、生きようとしている。
「初恋ざらり」の主人公も同じ。周りから性を搾取されても、自分が出来る事(それがしたい事でなくても)として応じる。
それって、誰しも自分の役割であると思っている「仕事」では同じことのはずなのに、障害の有無でどうしてこうも意味が変わるのか。

自分が可哀想な人って思われたいんじゃない。
あなた程自分は賢くないのかもしれないけれど、人として生まれてきた以上は、人として扱って欲しい。
そんなに色々求めないから、ちょっと仲間に入れてくれさえすればいいのだけど。
意地悪しないで、そこに居させて欲しいと願っているのです。

自分は先天性なのか、後天性なのか分からないけど、こう感じて生きています。
ただ、やっぱり結局は「~して欲しい」と思っているのだろうか。
だとすれば、やっぱりそれは違うのだろうし、いけない事。

少なくとも、自分の感情くらいもうちょっとコントロールできないと、世間に戻れる気がしない。

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