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「使命や目標」に縛られると身動きが取りにくくなる

目標を立てることは、
とても良いことだと思います。
でも、その目標だけに必死に向かうと、
しんどくなることがありませんか。

目標と関係ないことをしてると、
「芯が弱い自分」だと
卑下してしまうかもしれない。

道を歩く途中に、
アイスクリーム屋を見つけたら入ってもいいし、
可愛いドレスがあったら試着してもいい。

道中を楽しみながら進んだほうが、
ラクに生きれないだろうか。


自分が想像していた場所と違うかもしれない

今日、息子をプリスクールに送った帰り、
「長い道」を一人で歩いていて、ふと思ったんです。

この道の先に、
本当に「私が目標とする場所」があるのか。

もしかしたら、ないかもしれない。
間違ってるかもしれない。
永遠と続く道をみつめて、
少し息が荒くなり、駆け足になってました。

自分が想像していた場所と違うかもしれない。
それなのに、必死で向かうのって、
ちょっと違うのではないのかと。


多動であってよい

私は、10年間食品業界で働いていました。

高校生の頃から、お菓子作りがすきで、
パティシエとして働くんだ!と思っていましたが、コロナをきっかけに方向転換しました。

「お菓子」の枠を飛び出しあれも、
好きなことに飛び付きました。

そして今、
また原点に戻ってきたような気がします。

そこで気づいたことは、
多動であってよいこと。

何かを究めることは必要かもしれないし、
この道のエキスパートになることは素晴らしい。
でも、そうじゃなくてもいい。
色んな好きなことをして、道草食って歩いてもいい。

いつ死んでしまうか分からないのに、
死ぬ前に「あのドレス着たかった」と思うのは
辛いです。

たのしい人達との繋がりができて、気づけば、
目標とは違う、もっと自分がわくわくする場所に
たどり着いているかもしれない。


色んな生き方がある

あの人はいいな、
あんな人みたいになりたい。
こういう自分の思いは大切にしてます。

自分の思いや感情を無視しない。
無かったことにしない。

その上で、自分がやりたいことや、
できることに枠をつくらず、歩いていきたいです。


最後まで読んで下さり、ありがとうございます。


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