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コーヒーのために木製マグカップを買った

木製のマグカップを買った。
質感にこだわりがあったからだ。
良いものに感じたから、レポを書いてみる。

美食家ではない


美味しいものを沢山知っているわけでもなく、自分が美食家とは全く思っていない。自分が極端なコーヒー好きとは思っていないし、おそらく超高級と高級の違いはわからない。

大なり小なり食べ物に対して選り好みがあるだけの大衆の一人だ。「好き嫌いが少ない」と周りに言われて育ったし、美食がウリのテレビ番組の審査を見て「やりすぎじゃない?」と思うような人間。

ご飯は無洗米だし、毎日のコーヒーは好みのインスタント粉を選んでいるだけ。
いいもの以外を認めない、振りかざすような美食は見ていてイヤな気持ちになる。

美味しいものに対して、「美味しいけどそれなりに時間かお金がかかるなぁ」という面倒さが勝ってしまう。自分の尺度では「美食<面倒さ」だ。

評価基準は人によって違うし、オススメにおいて「押し付けない」というのはかなり重要なポイントだと思う。
価値観の違いって、オススメ観の違いでもある。だからこそ、書き残して置いておくだけのオススメ方法はかなり都合がいいと思っている。

「おれ、味にはうるさいからね笑」は本当にうるさいだけ。「人生半分損してる」で損するのはそれを得られなかった世界線のお前の話であって、こっちの人生は半分も損してない。
そっちの尺度で話すな。

話が逸れた。

食器の重要性

食器にはこだわりたかった。
毎日使うものだからだ。

もっと言えば、コップにこだわりたい。
思い返すと毎日必ず白ご飯を食べているわけではないし、食器の使用頻度はコップがナンバーワンだった。
お水やコーヒーは、無意識と言っていいくらい毎日口にしている。

食生活というより、飲生活。
飲み物におけるコップって、睡眠におけるベッドや枕みたいなものなのだ。生活の一部。

旅館に枕を持っていく人がいるように、マイ箸やマイカップを持っていく人だって当然いるはずだ。

毎日使うものの質を上げることは、生活の質そのものが上がることを意味する。
消費する飲みものそのものの質を上げるより、相対的に見てコストパフォーマンスが高い。

「コスパ」や「QOL」って文面はかなり胡散臭いけど、それらが「買ってよかった」に直結するのは紛れもない事実だ。

いい食器を買ってからいいお茶を覚えればいいよね、みたいな意識がどこかにある。

とりあえずいつものインスタントコーヒーを美味しく飲むのが第一目的で、いろんなマグカップを買ってみていた。

こだわりを具体的にした

どこにこだわっていたのか。

具体的には「暖かみ」「飲み口の広さ」「容量」「重み」だろうか。

ざっくりまとめると「質感」だ。

それに気づいたのは、USJが2016年にモンスターハンターとコラボした時のマグカップを使ってからだった。その当時のお土産を今も大事に使っている。

色んなコップを使ってみるものの、結局このカップを選んで飲み物を飲んでしまう。他のマグカップでは口に当たる質感が少し気に入らない。

その違いに気づいた時は、自分にもそういうこだわりがあったことに驚いた。

USJのマグが良いのか!?と思ってUSJに誰かが遊びに行くたびマグカップをお土産に頼んでみたが、それも違う。似たような陶器マグを買ってみるが、それも違った。

カップ底にあるMADE IN THAILANDの表示を見たり、選ばないマグカップとの違いを分析したりしていくうちに、段々と理想が浮かび上がっていた。

タイ製で似た形の陶器マグカップを買ってみるか、他に理想にあったマグカップを目利きして買うしかないようだった。

飲みものの容器にこだわる時、「ステンレス製タンブラー」を真っ先に挙げる人は多い。
僕のオススメ観で言うとタンブラーは苦手だ。入れる飲み物にもよるけれど。

別に熱々やキンキンがキープされ続けてほしいとも思っていないし、唇と歯に触れる金属はヒヤリとしていて、キンと音がするように感じて少し寒気がする。
ただ好みの問題で、否定する気は全くない。とはいえタンブラーだけがこだわった容器ってわけじゃない。

こだわりなんて言うが、要は作り手と受け手で稀に一致することがある、漠然とした好みの集合体だ。

別に誰かがこだわっている部分が全く自分に刺さらないことなんてよくあることだし、より複数の要素でこだわるほど伝わってくれやすい。

こだわりは細かいヘキの一致。
モノづくり全般に言えることかな。

世間の求めるコーヒー像とは違うかも

お店でコーヒーをテイクアウトする時について来る、紙コップにつけるプラ製の蓋もかなり苦手だ。

絶対に火傷してしまうし、コーヒーの香りが全体にガッと来るわけでもなければ、温度が下がらず中々飲むのに踏み切れない。それが目的の蓋だからだ。

わざわざ設計されたコーヒーのための蓋があるのも、一般的には熱々のコーヒーを楽しむのが流儀だからだろう。
温度と香りと水分が外に漏れないための重要なつくりではある。

冷めないうちにいれたてをどうぞ。
どうぶつの森のマスターもそう言ってました。

かく言う自分は、薄すぎと言われるほどの薄味のコーヒーも、ぬるくなったコーヒーもいい味として飲みこめる。段々と冷えていくコーヒーを、その時その時の温度と香りで楽しみたい。

そのうえ日頃はインスタントで済ませるから、どうぶつの森の世界からマスターがとびだせ!してきたら静かに怒られること間違いなしだ。

とはいえ僕も例えば常温のコーラはゴメンだし、これも好みの問題でしかない。

たまたま世間が飲みたいコーヒーと、自分が飲みたいコーヒーが違うみたいだ。

求めていたマグカップに遭遇した

辿り着いたのは、木製のマグカップという選択肢。
熱・質感・容量に沿うなら、木製カップを探せばなんとなくありそうな気がしていた。

たまに通る道沿いに木の雑貨屋さんがある。
散歩中、一度スルーした軒先にUターンして即購入した。
目に付いた木のマグは2種類あって、両方購入してみた。

エンジュ材にポリウレタン塗装をしたカップが気に入った。
サイズも大きく使いまわしやすいし、手入れもそこまで鬱陶しくない。

木製マグカップのメリット

木製マグカップのいいところ。

断熱性が高く、カップの表面を触れる程度では火傷しない。飲み物の熱がいい塩梅で保たれる。
ただ真空タンブラーのような、外側に全く熱を通さないものとも違う。

暖かいものを入れた時も、じんわりと色が染まるようなイメージで温度が上がって、それが長く続く。

冬場はコーヒーを入れた木製マグに両手を添えているだけで、小動物が手のうちから顔を出しているような錯覚さえする。ずっと触っても陶器ほど熱すぎない。
陶器よりも温度の上がり方が緩くぼやーっとしていて、冬の室温にさらして不意に触れてもヒンヤリしない

なにより見た目が好みだ。
これは木製の雑貨全てに言えることだけど、それぞれに違う木目や年季や色合いがあって楽しめると思う。

ちょこんと机にあるだけでも視界が少しファンシーになる。場合によっては話のタネにもなるんじゃないかな。

上に挙げたカップでは塗装の質でそこまで感じないけど、風味や香りが発生するものもある。同時に漆塗りのカップも買ったから、一応そういうことも書いておく。使いこんで風味が染みることもあるらしい。

紙コップや割り箸やプラストローを選り好みして使う人ならわかるだろうが、容器も料理の一部なのだ。

「カップ焼きそばを割り箸で食べないと気が乗らない」という身内が居て、マグカップへのこだわりはその延長線上にあると思う。

出てくるであろうデメリット

デメリットは多分もっと使い続けないことには出てこない。これは買って1週間も経ってないレポートだ。

カビの可能性は不安だし、モノによっては取っ手が安定しない。割れや欠けへの耐久性は見るからになさそうだ。全体的にメンテナンスが不便そうではある。
レンジは使わない前提だから、そこは気にしてないけれど。

年輪の中心から木が割れることもあるだろうし、できれば店頭で目利きして慎重に購入したほうがいい気もする。買った雑貨店でもいくつかを選択肢として並べてくれた。

デメリットが出てくる可能性をもってしても、割に合った買い物をしたと自信を持って言える。

Enjuについて

特にリンクを貼ったEnjuが凄い。お財布に余裕があればストックを買っておきたいくらいだ。
買ったのはLだから、サイズ違いも気になっている。

飲み口の縁は薄く反り立って飲みやすく、ウレタン塗装と頑丈なつくりには長く使えそうな安心感がある。丈夫なぶん感じられる重みもちょうどいい。

機能性を兼ね備えた寸胴のようなデザインは、ありきたりながらも木であることで可愛げに換わっている。

良さを書き残したい

食器ひとつにここまで感動することってあまりない。

古くから洗練されてきた贋作でないものには、相応に感動できるだけの良さがあるのかもしれない。
人生で初めて畳の感触を確かめた時と、高級なタワシを使った時と、良い砥石で包丁を研いだ時と同じような。

良いと思うものを書き残して、もっと良いものにドンドン出会えたら嬉しいな。

こなまるでした。

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