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理由はないから不安にならないで 24/04/23

Webプログラミング職業訓練校編、幕開け!
(日記が)やすい!ながい!おもい!
余裕がある人だけ読もう!

まず、なんか疲れた。訓練校の雰囲気には全く軋轢がないのに変化が急激で疲れたという感じで、これはもう「春はメンタル」以外の何物でもないと思った。

父親や、あと接してて気分の揺れが似てるな~~~と思っている人もだいたい同じ時刻に体調を崩した。こういうシンクロは誰でもあり得るので、ストレスを分散分散で対処するしかない。好意がある人にある程度迷惑をかけられるのは、毒が適量なら良薬になるのと同じだろう。お酒でもカフェインでも同じ。

朝9時、日記を書けていない状態で10時に開く教室に向かった。スーツで(嬉しい)。
オフィスビルの一角にいわゆるパソコン教室を作って、そこそこ基礎の部分を5ヵ月間ミッチリ学ぶ。HTML/CSSから入り、WordPress、Javascript、PHP(とLaravel)までやるらしい。なんとなくやることはわかっているものの、そこそこ自学も必要そうな詰め込みの時間割だ。
暦通りに平日と休日が進み、毎日6時限分。でも暦通りなのは嬉しい。ようやく習慣付けの重要性がわかりそうなので、自分を知れば知るほど(知った気になるほど)シフトがズレて不確定な飲食店って向いてなかったんだね~と思った。事を急いては仕損じるぜ。

そもそも「迷惑をかけている」という気持ちの過剰さが抉れた自尊心が原因で、何が何でもお金を稼ぎたかったのだけど、どうやら割に合わなかったのが前職だ。
働いてみて一旦娯楽から適切に距離を置くと「迷惑は自動でかけ合うんじゃん」という苦しさに気づくし。記憶や言葉を忘れるのは、とにかくヒトに備わった防衛反応だ。

とにかく仕事は好きで決めるより、苦の少なさで決めようという魂胆だ。お料理は好きだけど、僕は観測上パソコンくんでしかない。「なんか続くな、が(合う合わないには)大事」って原宿さんが言ってたで。

朝から気分を上げるスイッチが行方不明になった。なぜ行方不明になったかで言えば「最初に気分を上げると他人との接し方を100%ミスるから」という理由で。
行き過ぎた謙虚と自信過剰の二択になっており、気候やタイミングに左右されているだけでどっちもありのままなので継続的に素を出して反省して修正して……という改善をするしかないっぽい。「ノーミスで生きようなんておこがましい」ってふっクラ案件の時に永田さんが言ってたで。

一旦の辞職を経てプログラミングを学ぼうって人の雰囲気から察されるものは「優しげ・上昇志向・反骨精神・打たれ弱い」という一見矛盾を孕んだ人達(偏見)で、コミュニケーションの難しさがある。

人との距離をミスってミスって今があるので、謙虚になろうとすると粛々とはにかむだけになってしまう。「ちょうどよさ」の再現がむずい。ざんちが「世界は茶番めいてるけど、茶番がなければ社会は成立しないし、やはり世界は茶番ではない」「茶番と世界の二重性を自然に見渡せるのは不幸(やりづらさ)が与えてくれるハンデ」って品田遊名義で言ってたで。

なんやかんや頭に残ったのは「新人社員の研修だと思って自己管理を」と「この時代に紙の資料なのは心苦しいのですが」という察した雰囲気に違わない説明の仕方だった。
あと「ケツにプロジェクションマッピングしてみた」ってARuFaさん言ってたで。加藤さんは電脳チャイナパトロールになってたで。まだデジタルの未来は明るいはずよ。

ふぅ。なんとなくオモチャンに思いを馳せちゃった。

ちなみに精神統一しようとしすぎて、説明聴きながら寝ていることになっていた。確かに瞼は重かったかも。

休憩中が中途覚醒扱いじゃん

昼に前の職場でランチをご馳走になって近況報告し、一度そのまま帰った。

走りたいけどスーツだし、教科書買って持ち帰ってるし。とりあえず日記を書くと午後4時になっててビビった。

そういや説明の時「みなさん働かれている間の忙しさ、時の早さを感じている方しかいませんが、学んでいる間の(時やストレスの)密度の濃さは計り知れません、今の志を保ってください」とも言っていた。
そうだなあと思いつつ、やはり疲れた。最初だし、環境の変化は無条件でメンタルに来るわな。

チャーハンを作っていたら、気持ちとお米がボロボロになっていて泣いた。
学習や競争における無力感が生きてて一番最初の挫折だったわけで、必要な予期不安が来たのだと思う。日も暮れかけ、ついでに父親の気も落ちていた。母が帰って来て安心する気持ちを思い出して「子供みたいになる日がある」自覚をした。疲れてるだけ。

ちなみにこういう時に父の気分が悪くなる理由はなんでもよく、日ごろ溜まってる鬱憤(というか予期不安と知覚の蓄積)が最後の一滴のストレスで発現する。基本は感情が増幅する疾患なので、ドラえもんのまぁまぁ棒みたいなイメージで爆発するのだ。

あの青年は、人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができる人だ。それが一番人間にとって大事なことだからね。

しずかパパ

たぶん年齢の経過でしずかパパみたいな名言にドンドン弱くなるんだと思う。今もちょっとだけ沁みるもんな。

限界が来ている父は「いまの季節は服が生乾きで乾かんからあ……(たくさんの洗濯物を出すのはやめてくれ)」「ハンガーの間を開けんと乾かんからあ……(こだわりがあるけどストレスに耐えられなくて動けない)」と言いながら母に代行して貰っていた。こうなると言葉が意味を成していない。それが本質的な理由ではなく、波がなぜか打ち寄せて他責が爆発しているだけだ。連鎖して悪くなる時も、誰かと話してて回復する時もある。

気分の悪さで脳が身体を越えて抑えているだけで、自分もこういう時があるので何も言えなくなる。知覚を返してるだけって信じないと病んじゃう。

恒常性に従って、急に綺麗になったリビングや風呂にストレスや罪悪感を感じた可能性もゼロではない。
というか常識のアップデートが日々エグすぎるし、ストレス社会なのは情報化社会だからでもあるのだ。例えば愛煙家なのに世は禁煙がマストだし、映画好きでも映画マナーはうるさいから映画館には行けない。両側の理由がよくわかって引きこもる。どちらも理屈は正しいから引きちぎれる。人への許せなさが自分に返ってくるのは、いつの時代もきっと同じだ。
......これは推測過ぎるか。

母の返しはというと「はいはい笑 わかっとーよ笑」だったのだけど、まあ、”こういうこと”だよな……と思った。

基本的に父が面白い生態をしていて、そのどうしようもなさをそもそもわかってやれる、ある意味での優越感が父親と関わる旨味で、現実味のなさが父親の良い持ち味なのだ。
縁だとか世間は狭いだとか言ってしまっても良い。太宰治の話をして見るからに興奮している心理学通った文学少女に何を言っても無駄である。どうしようもないからこそ、愛がバカデカ重い。1on1で好きだからなんでもできるし、実際動いた方が自分の心身に良いことも理屈で知っている。ただ愛情だけは理屈じゃないっぽい。父親は一生かけていわゆる試し行為をしてしまうような感じなので、それがいいんだと推測している。

母親の方が信頼できがちで優しい行動を取るのは、哺乳類の身体的投資が(胎盤で育つから)重く、それでいて我が子である確信があるかららしい。種を残すために愛パワーだけでとにかく闘争的に強くなる、と。役割の分担もまた多様である。

そういや森三中の大島美幸が笑われを笑わせに発想転換して芸人になったエピソードも、流産した直後に何故かあんまんが食べたくなったエピソードも、優しさと弱さと甘みが似たものだからだと思っている。そしてそれらを何故か覚えてしまっている自分がいる。

勉強ができる人にとっては当たり前なのかもしれないけど、兄友が口に出していたこともある「なんで母の方が甘くて父がどうしようもないことが多いんかね~」という疑問は、だいたいからしてヒトがただの生態系のうちのいち生き物であることを飲みこんでからわかり始めた。

そんで性愛論には「己らの関係性に規範を課せ」みたいなことを書いてあったから、まあうん、うん。別件で”正しい”性癖って別にないしな……みたいな感情もあるし。まあそれを受容するのはもっと年齢が必要なのだろう。
アダルトチルドレンは、当事者サイドからすると世代の流れ的に必然的な産物だと思う。社会と男女と性のよくわかんなさが維持されていて、人としての成熟に時間がかかっていく(節度が保てる状態になるまで時間がかかる)晩婚化とさして理由が変わらない。

考えれば考えるほど、どんな主張も否定できないのだ。ジャンクなものでストレスを溶かすのもその人が選んだ道なら何も言えない。どちらが正しいとか間違いとかではなく、距離をミスるのが一番しんどくなる、伝え方を間違えると自分に返ってくる、というのが……こういうのもメモにはできるけどすぐに忘れてわからなくなるし。

散歩して気分を紛らわすことにした。まあ、こういう血縁が入っちゃってるんだもんな~という不安が連鎖した気持ちと、別にここまで来たらやりようあるしな~って気持ちと。歩いたらストレス減るの知ってるからサ。夜道で東京フラッシュごっこしてるだけでいい。

前に貼ったゆる言語学ラジオの感情が重い人の話がよくわかる。
「道にいる時に突然泣きたくなる(人がいるんだけど)」「(その人が云うに泣きたくなる時は)感情に支配される(らしい)」というが、僕が誰も見ていない道で泣く時も、全くもってその通りの言語化になる。

どうしても独自の理解になるけど、夜だし雨で腐っていく落ち葉の匂いや寒さに、不安の理由なんて紐解けばいくらでもこじつけられるし……と思いながら。泣く時に美味しくなる曲を聴いた。

君のタフさに全てを委ねないで。
自由を愛する事をやめないで。
人を疑い憎み諦める事こそ、
賢いだなんて決して言わないで。

眠れない夜は君のせいじゃない、それはたぶん外の風が少し強すぎるだけ。
喜びも悲しみも理由はないから、不安にならないで。

鯨の子/Tele

15分だけランニングしたら解決した。むしろ30分の時よりも、またやりたくなってよかったかも。楽しいレベルで運動習慣つけるだけでよかったんかい。

帰ったらお皿も洗えたし家族とも話せたし猫を見て笑えた。
そういや「子は夫婦のかすがいっていうけど、猫は家族のかすがいだよ」ってどこかで言っていた父親のセンスや言葉選びが普通に好きなのだ。

真空ジェシカのトレジャーハンターってネタが好きだ。「僕たちも、”こう”なっちゃうのかな~><」「逆に考えるのは初めて???」「話は通じなくても、親子の絆は生きていた~><」で笑っちゃうのは、身に覚えがあるからかもしれない。お笑いは広義であるあるだし、ドラマも小説も人間が考えている限り、ないないを内在したあるあるなんだと思う。

あとキタニタツヤの「天国への改札」を最近好きになった。森山直太朗の「生きてることが辛いなら」も好きだ。
こういうのを聴くたびに150歳くらいまで生きられるかも~!という気持ちになれる。感情ごと天邪鬼なのかも???

正直、今は何の因果かスキルポイントが感情に振られすぎているだけだと思う。だからなんか、なんとなく反省しながら、直感的に生きてて大丈夫。

こなまるでした。

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