継続と猫の日スペシャル感謝【雑記】
2月22日。飼っている黒猫の画像から書き出している。
ペットは飼い主に似るとはよく言ったもので、こいつもなかなか厄介者だ。
なんかこう、かまってちゃんなのだ。
買って1年半くらい経っている超大盛ペヤング(期限切れ)は置いといて、こんな感じの猫だ。
猫じゃらしを揺らしてほしい(構ってほしい)がためにトランプだとかを自発的に散らばらせてしまった。普通怒っていい気もするんだけど、別に僕はそれに怒ってない。
というか怒る気が湧かない。
まあ、普通にあることだな~と思う。この猫の癖だから。たぶんこの子もやりたくてやってない。
僕も普段接する他人もそうだから、不思議と納得できてしまう。
意思に反してもコトは起こる。
しつけがなってないと言われればそれまでだけど、猫にもADHDがあるとしたらコイツもたぶんそれだ。
とにかくずっとうずうずソワソワとしている。寝る時と眠たい時以外。
たとえば僕がトイレのカギを閉めて、離れて5分間くらい腹痛と格闘している間この猫は呻き鳴く。寂しくてしょうがないのだろう。
親から聞くに、僕が帰ってくるまで呻き鳴いている日は多いらしい。
たぶん僕が怒らない(怒っても本当に無駄だと思っている)からこの猫に好かれている。
このトランプの散らばり方も、呻き鳴くのも「はいはい」と思う。ダメダメ猫ちゃんだ。可愛いねぇ。
それを𠮟りつけるのは、僕自身を叱りつけるのとなんら変わらないからだ。
どうしようもない部分を怒って変わったことがないし、双方の心がより痛むのでプラスマイナスで、打算的に考えて怒らないことになっている。
こういうのは「できればやらないように仕向ける」で関の山だ。
たとえば、そんなこんなでトイレの場所も台所横からリビングに直置きになった。たまにニオイが凄いことになる。
今は膝の上にいる。
そんな感じのことが人間でもよく起こる。
どうにも生きにくいヤツに好かれることは多いし、僕も生きにくさが露呈してるヤツの方が好き。
ということで、ADHD関連の話。
この前読んだ「キリンに雷が落ちてどうする 少し考える日々/品田遊」の中の話をまたする。
有料マガジンから抜き出した傑作短編集みたいな感じだから、やっぱどれかは引っかかる。
「キャラクター」という題で触れる、「利他的動機付け」の話だ。
品田さんが243日ずっと日記を書き続けられている時にふと見つけた、ちょっと雑学的な話。こういうウンチクが僕もかなり好きだ。
ザックリ言うと「(ADHD傾向の人は)他人のためなら何故か動ける」というものだ。
身に覚えがあるし、当事者として実感が湧く。
現時点の僕の日記も130日継続しているらしく、これもかなりたまたまなのだ。
僕はとにかく「続けられない人」だ。読む人がいる気がするから続いている。
というか自分の中で理由をつけてか、続けられるものと続かないものがハッキリとわかれる。
自分だけの手帳の中だけに日記を書くんだったら、きっとずっと前にやめている。
余程共感できることが書いてないと1万字の他人の記事も読むのはキツい。
それに5千字書いた自分の日記も推敲するのはダルい。
それでも当人(僕)としては、毎日書く日記はちょっとした生きがいになっている。それに他人の記事も好き。
何もかも、言いたいのに言えなかった。
言葉で上手く言えない自分が、発声ではなく訂正できる文面で、鉛筆ではなくタイピングでなら。本当にたまたま偶然言えたのだ。
書くことそれ自体も楽しいし、続けられるだけの理由もそこそこにある。
「誰かのためだと思い込める」と「書くことによるストレスの解消」が相互に支え合って、続けば続くほど気持ち良くなっている。
続いてること自体が多少の自信にもなる。
だからこれから別にお金が貰えなくても、絶対に毎日書ける気がしている(noteの更新継続に沿えるかは別として)。
楽しいままやればいい。
あと、もしチラ見でもしてくれてる人、本当にいつもありがとうございます。
そういう感謝の記事!
日記として書けないから一回別にしちゃうか!
日記として書こうとしたんだよね。
こなまるでした。
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