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山田詠美「催涙雨」について(2) —物事の内奥を見る—

 今回は、山田詠美『タイニーストーリーズ』所収の小説、「催涙雨」について再び書く。以前に一度、この小説について書いたが、腑に落ちなかったのでもう一度分析してみることにした。
 さて、この小説の語り手、律子は少し変な人物である。具体的に、どのようなところが「変」なのかというと、

① 夫が入院する、精神病院のアルコール依存症病棟に、手料理を持って見舞に行っている点。他の見舞客は、誰もそんなことしないにも拘わらずである。

② 他の入院患者の里見という青年と、不倫めいた行為をした点。

③ 精神病院を「忌むべき場所」であると考えない点。また、そればかりか、嫁いだ家を「魔界」と考えているのに対し、精神病院を「唯一くつろげる場所」と考えている点。

 の三つが、該当する。このように、律子は一見、「変」な人物であるが、彼女の「変」なところには、実は彼女の優れた点が含まれているのである。
 では、彼女の変わった点が、なぜ「優れた点」であると言えるのか、①から③までについて、順番に解説していきたい。
 まず、①についてである。他の見舞客が、誰も手料理など持って来ないのに、律子だけは夫のために手料理を持参している。そればかりか、彼女は、その手料理を他の入院患者にお裾分けしている。この行為は、一見、いかにも場違いなように見える。だが、それでは律子が精神科という場所の雰囲気を理解していないのかと言えば、そうではない。彼女は逆に、そこがどういう場所なのか、理解しすぎているのである。
 一体どういうことか。それは、律子という、手料理を持ってきてくれる妻のいる夫(哲生という名)に、他の入院患者は、皆、憧れている。その姿を、律子は、自分が高校時代にマネージャーとして所属していた剣道部の主将に重ねている。当時、律子とその主将は付き合っていて、部員の誰もが恋人のいる主将を羨んだ。そして、この精神病院でも、手料理を持ってくる妻がいる哲生を、皆が羨んでいる。そのように、自分だけの「キャプテン」(主将)を作り上げることで、皆、自分を支えてくれる「ゆるぎない存在」を生み出しているのである。そして、それにすがりつくことで、恐ろしさから自分を守ろうとしているのだ。入院患者たちのこのような生き方を、律子はよく知っていた。だから、彼らが自分のすがりつく「幻想」を作り出すことに、一生懸命手を貸しているのである。
 このように、律子は、精神病院のアルコール依存症病棟が、どのような場所なのか、適切に把握していなかったのではない。むしろ、誰よりも、その場所がどういう場所なのか、理解していたと言える。つまり、彼女の行為は、極めて「合理的な行為」なのである。そして、彼女自身も、そのことを自覚している。
 このことは、言い換えると、次のようになる。すなわち、彼女は、「精神病院に手料理を持ってくる」という自分の行為について、「空気の読めない行為」というように一般的に理解するのではなくて、そこに込めた意味を考えて、むしろ「合理的な行為」として理解している。この、物事に対して、一般的な理解ではなく、より深い理解をしているという点が、律子の特性であると言える。
 さて、次に②の、律子が他の入院患者の里見という青年と、不倫のような行為をすることについてである。彼らのやっていることは、一見すると、ただの不倫だが、彼らにとっては実はそうではない。里見は、彼自身の妹に恋をしている青年である。その里見を性的に慰めることで、律子は、比喩的な意味で「雨宿り」できるのではないかと考えたのだ。
 どういうことなのか、より詳しく説明しよう。事の顛末は、こうである。律子は、里見の、彼自身がアルコール依存症の患者であることを嘆く言葉を聴いて、「雨の降りしきる向こう側に、私の手に入れられるものが何もないように」(山田詠美『タイニーストーリーズ』文春文庫、p,56)感じて不安に思う。常日頃から、精神的にすがりつく物を求めていた律子は、「ぼくにすがり付いて下さい」(同書、p,56)という里見の言葉を聞いて、彼にすがりつく。そして、彼女は、里見が自分の妹への想いを語るのを聞いて、ふと、自分たちは、比喩的な意味で「雨宿り」することができるのではないか、と思いつく。つまり、雨の向こう側に実質的に何もなくて、絶望的な状況でも、「雨の彼方を見なければ」(同書、p,57)、「雨宿り」をして楽しむことができるのではないかと。
 このように、「雨宿り」は、アルコール依存症という問題に関わってしまった人間の、心を保ちながら生きていくための一つの手段であると言える。彼らの不倫は、実は里見にとっての「雨宿り」の意味を持っていたのである。律子自身も、自分は里見に「雨宿り」をさせてあげているのだ、という認識しかしていなくて、自分のやっていることが不倫であるとは考えていない。律子の里見に対する性的な施しは、一見、ただの不倫に見える。しかし、律子はそこにある「意味」を込めている。したがって、この②においても、律子は、自分の行為を、「不倫」という一般的な枠組みの中で理解するのではなく、「雨宿り」という個別の意味を持たせている。ここにも、律子の特性が顕れている。
 そして、最後に③の、律子が嫁いだ家を「魔界」と考え、精神病院を「唯一くつろげる場所」であると考えていることについてだ。これも、精神病院と言えば、「忌むべき場所」という印象が一般的だが、律子は、そう考えるのではなく、実際、自分にとって苦しい場所かどうかで考えている。そう考えた結果、彼女にとって、そこにいると辛い場所は、実は嫁いだ家の方であり、精神病院は、そこから逃れるための場所であるのだ。このように、ここでも、律子は、「精神病院」の一般的な価値を考えるのではなく、個別な価値を見出している。
 以上より、律子は、物事について、一般的な理解とは異なる理解の仕方をする人物であると言える。一般的な理解というものが、本質から逸れているのに対し、律子はその物事の内奥を見極めようとしていて、物事の本質を突いていると言える。そのため、律子の考え方は優れていると言える。


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