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カフェめぐり番外編コーヒーとの出会い

僕は1日4杯以上コーヒーを飲む。
仕事中に美味しいコーヒーが飲みたくなったら、地下鉄に乗ってでも美味しいカフェやコーヒースタンドへ行く。
長期休暇には飛行機で10000km離れたカフェまでコーヒーを飲みに行く。

なぜそんなにコーヒーにハマってしまったか?
原因は幼少期からの偶然の重なりにありました。

ある日牛乳が嫌いになった

僕は小さい頃は毎日牛乳ばかり飲んでいました。お茶より飲んでいたくらいです。ある寒い日に母がホットミルクを作ってくれました。まずかった牛乳がトラウマになりました。
それ以来、僕は牛乳が大嫌いです。
小学校に入学して初めての給食で牛乳が飲めずに放課後まで居残りさせられたくらいです。

コーヒー牛乳からコーヒー+牛乳へ

そして僕は毎朝コーヒー牛乳を飲むようになりました。雪印とかが発売している茶色いパックのアレです。
ある日、母がコーヒー牛乳をわざわざ僕のためだけに買うのはもったいないと思ったのか、両親が飲むペットボトルのコーヒーを牛乳で割って、それをコーヒー牛乳だと主張し僕に与えました。苦かった。でも毎朝飲んでいるうちになんとなくコーヒーの味が分かるようになってきました。
こうして僕はコーヒーデビューをしました。

ブラックコーヒーという衝撃

そして僕は自販機やコンビニで飲料を買うなら缶コーヒーという中学、高校生になりました。
当時はスターバックスとかまだ無くて、缶コーヒー全盛期でした。ボスとかジョージアとかファイアとか。ボス電が当たる懸賞とかも応募していました。その頃の缶コーヒーは砂糖とミルクが入っているのは当たり前で、なんとなく甘く、後味が強い感じでした。
僕が高校生くらいの頃、ブラックという缶コーヒーが出始めました。ビックリしました。それまでお好み焼きにソースとマヨネーズがのっているのが当たり前のように、コーヒーには砂糖とミルクが入っているものと思っていたからです。でブラックを飲んでみて後味がスッキリしているところにハマりました。当時はブラックを飲んでいる=男らしい、みたいな風潮もあり、それに後足を押されたところもあります。

深煎りのマンデリン

実家の近所で脱サラしたおっちゃんが自家焙煎のコーヒー豆屋を始めました。実家でコーヒーを飲むのはもっぱら母と僕なので、2人でその店を訪れ、定期的に通うようになりました。
当時はシングルオリジンとか浅煎りって概念は無かったです。豆と言えばモカとかキリマンジャロとか品種で売り分けられていて、ハワイコナが最高級でした。また焙煎もシティローストとかイタリアンローストとかフレンチローストとか深煎りが当たり前でした。
そんな中、僕はマンデリンという豆に出会いました。インドネシアあたりで栽培されているやつです。いろんな豆の中で一番コーヒーの味がしっかりしている点が気に入りました。焙煎はやっぱり深煎りでした。

京都にスターバックスがやって来た

高校2年の時だったと思います。京都の三条大橋のところにスターバックスがオープンしました。友達たちを引き連れて行ってみました。
それまでコーヒーはドリップするものだと思っていましたが、エスプレッソマシンという未知の機械から生まれる飲み物に魅了されました。
300円以上するコーヒーは高校生の僕には痛い出費でしたが、僕は通いました。特にカプチーノを飲んでいました。
今でこそブルーボトルとかの後塵を拝する感のあるスターバックスですが、当時はエスプレッソマシンもすべてマルゾッコ、バリスタが一杯ずつ手で入れてました。まさに日本にサードウェイブが来た瞬間でした。

初めてのバイト代でエスプレッソケトル

高校の頃、サッカー部を辞めてぶらぶらしていましたが、2年生の冬に郵便局で初めてのアルバイトをしました。そして年明けに約8万円のバイト代を手にしました。バイト代の使い途は決めていました。ある日雑貨屋さんで売られていた、エスプレッソを作るケトルです。家でエスプレッソを作れるというのは衝撃でした。だってスターバックスで何百円も払わなくてもあの味を愉しめるのだから。当時のコーヒー豆屋はエスプレッソ用の豆を挽けなかったので、スターバックスで豆を買っていました。スラウェシをよく買っていました。まだエスプレッソストレートの味は分からず、苦いけれど無理して飲んでいました。

エチオピア・イルガチェフェとの邂逅

話はだいぶ進みます。20代の後半、仕事にもだいぶ慣れてきた僕は、ある試みに没頭します。それは仕事をサボってどこまでお茶に行けるか?ということです。僕の会社は大阪の本町にあるのですが、最初はうつぼ公園とか行き始め、次第に淀屋橋や北浜へ地下鉄に乗って行くようになりました。ある日、悪魔が僕に囁きました。「京阪電車に乗ってみようよ」そして僕は淀屋橋から京阪電車に乗りました。どうせなら遠い方が楽しい。終点の出町柳に到着。もっと北へ。叡電に乗りました。そして元田中。
そこでWEEKENDERSというカフェに出会いました。平日の昼間に会社をサボってきたのが週末という名のカフェ。ハマりました。
いまでこそ富小路六角に店を構える人気のカフェ。でも当時は元田中駅前のボロいビルの2階に店を構え、大きなロースターが鎮座し、店主は寿司職人のような風貌で、平日の昼間なんか誰も客は居ない。そんなユルイ雰囲気の中、僕はコーヒー1杯で何時間もサルトルの嘔吐などを読んで過ごしていました。
話は戻りますが、このWEEKENDERSが僕のコーヒーの知見を地球の裏側まで広げてくれたのです。コーヒーの淹れ方ってペーパードリップとエスプレッソしか知らなかったのに、ネルドリップ、フレンチプレス、果てはエアロプレスという方法でここは淹れてくれました。また自家焙煎なので豆も豊富で、たまたま初めて訪れた時の本日のコーヒーだったエチオピアイルガチェフェ、それもフレンチプレスで淹れてくれた一杯に僕は開眼しました。ものすごい花や果物のようなフレーバーに「コーヒー豆って果実なんだ」という当たり前のことに気づかされました。
それ以来、我が家のハウスコーヒーはエチオピアイルガチェフェになりました。財布の事情もあるのでいろんな店で買い求め、この5年くらいはうつぼ本町のタカムラで買っています。
良い豆ってベリーとかチョコレート系のニュアンスが多いのですが、イルガチェフェはレモンなど柑橘系の香りがスッキリしているので、朝の目覚めの一杯に本当に合うのです。

長々と書きましたが、コーヒーを探求する旅に終わりはありません。僕が生きている間にフォースウェイブ、フィフスウェイブもやって来るかもしれません。楽しみです。
コーヒーは僕の人生の履歴書です。

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