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どっちもとるという選択

人生において選択って、数え切れないくらいしますよね。

大きいところで言えば、どんな職種につくか、誰と結婚するか、どこに住むか。
小さいところで言えば、マックでポテトを食べようか、ナゲットを食べようか、はたまたマック自体をやめようか。

生きていれば選択をしなければいけないことはたくさんあります。なにを妥協してなにを得るかについて悩むことなんて日常茶飯事ですよね。

私は優柔不断なので、さっき言った小さなことでさえ悩みまくります。

今まで何度優柔不断をやめようと頑張って来たことか、、そう。私は優柔不断を良いものとして捉えてくることはなかったです。だってパッと決めて時間短縮できた方が絶対良いと思ってたから。

だけど今回はそのネガティブに捉えていた優柔不断にも良い面がある!と思いついたことがあるので書いていこうと思います。

優柔不断の良い面。結論から言ってしまえば、それは思考できることだと私は思います。それはただ単にどっちが得かの利益を考えることができるっていう意味ではありません。

私たちは選択をする時、一方を選んでもう一方を諦めます。確かにこれは一般に言われる”選択”です。ただ私が思ったのは、パッと決めて取捨選択することは、思考停止と同義なんじゃないかなということです。

つまり、思考停止というのは、何も考えられなくなるという意味もありますが、新しいことに対し経験やその場のノリだけでパッと決めてしまうことも思考停止だと考えています。

そこで今までの選択はどうだっただろうかと見直してみると、案外思考停止状態で物事を判断していることが多いと反省しました。その方が楽だからです。でも選択肢に迷う上で大切なことは、可能性をいろんな角度から考えることだと気づきました。

例えば、英語を勉強したい時と映画を見たい時が同時にあったとしたら、どちらに取りかかろうか一旦考えますよね。

しかし選択肢ははたして英語か映画の2つでしょうか?
ピンと来た人もいるかもしれませんが、洋画をみるという第3の選択肢も考えられますよね。これなら英語表現を学びながら映画も見ることができます。

そうです。どっちもとるんです。とれるんです。
いや何事もそんなうまくいかないよと思うかもしれませんが、その第3の選択肢をどのように生み出すかこそが重要なことのように思います。選択肢が2つ、じゃあ損益を考えたらこっちを取ろうかな、と決めてしまうのではなく、2つとも得られる方法は何かないだろうかと思考する。そうすることで今まで見えてこなかった新しい選択肢が出てくることがあります。

そして考えるのがめんどくさいからもうこっちでいいやとなってしまったらそれはもう思考停止状態です。考えてもやはり2つ取れる方法はなさそうだなって結論出たらどちらかを選べば良い。

こうして自分を納得させる優柔不断の良いところが出来上がりました😌優柔不断は第3の選択肢を見つけることができる能力だと捉えていきます。

読んでくれてありがとうございます。
おやすみなさ〜い

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