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数理・小説(0)

きっかけはツイッター

「推理小説」という言葉は木々高太郎の造語といわれてるらしいけど、『近代文学と恋愛』という大正13年に出た本で既に使われてた。

乾英治郎氏、23年1月23日のツイート

取り立てて推理小説史に興味があるわけではないが、ちょっと面白いなと思って、例によってNDLデジタルを検索してみると「推理小説」の用例は更に遡れると言うことが判った、と言う話から、またまた話題は拡散していく。

『近代文学と恋愛』

先に、『近代文学と恋愛』(NDL送信資料)について。
この本は、内外出版株式会社、大正13(1924)年刊。扉には
アルバート・モーデル原著 奥俊貞訳
近代文学と恋愛
原名(「文学に於ける性愛的動因」)
”The Erotic Motive in Literature”

とある。
本書中「推理小説」の語が出てくるのは、検索に依れば、巻頭の目次と第10章の目次(細目)に「推理小説、探偵小説」と在るのみで、本文中にはない。
原著 The Erotic Motive in Literature by Albert Mordell がProject Gutenbergで読めるので、確認すると、細かい目次のような物は存在せず、訳書と同じCHAPTER X (Ⅲ)本文にそれらしい記述が見える。
Indeed the interest in tales of mystery and detective stories shows the power of the masochistic instinct in human nature.
この部分を『近代文学と恋愛』でみてみると、
実に不可思議物語、探偵物語に対する世人の大なる興味は、如何に人間の性質中にマゾキステツクな本能が力を占めてゐるかを示すものでなければならぬ。
となっており、tales of mysteryを、目次では「推理小説」、本文では「不可思議物語」と訳したらしいことが判る。
なかなか微妙な使用例とはいえ、mysteryの訳語としての「推理小説」なる用例が1924年時点で確かに存在していたことは確認出来た。この本は、基本的にフロイトっぽい恋愛文学論らしいが、小泉八雲の無意識や輪廻観等にも触れていて興味深い。
しかし、私の本題はここでは無い。「推理小説」の用例は更に遡れると言う話。

『数学講義録』

その用例は、『数学講義録 算術部 第1−5回』(NDL公開資料)という、明治21(1889)年に刊行された数学の参考書にある。公開資料なので、当該ページを切り出してみよう。

数学講義録 算術部 第1回

公開資料であり、活字印刷なので翻刻しないが、右頁、後ろから3行目に「推理小説」ということばがある。ただし、文脈を見ると、これはmysteryではなく、「架空の情況を推量した小説」と言う意味で用いていることがわかる。「数理小説」なのだけれど、推量しているので、謂わば「推理小説」とでも言うべきか、という駄洒落のようにも受け取れる。偶然の産物か。というか、「数理小説」という言い方は一般的なのか。

「フラットランド」

さて、ここで、話は枝分かれする。その、「数理小説」であり「推理小説」でも在る作品は、「社員凹凸山人」が翻訳した「フラットランド」という、「厚みなきものどもが生活する情況」を書いた物で、幾何学のヒントにも、眠気覚ましのもなるかも知れないので紹介する、と言うのである。
で、画面にあるとおり、その「左」は第2回の1頁になってしまうので、小説は掲載されていない。掲載されていないのは、おそらく、国会図書館蔵本が、当該部分を抜き取ったかして後に合綴された物だからであろう。後に触れるように、後ろに当該小説が掲載されていたらしいことは確認出来る。そして、「線形人種平面世界奇談」は『数学雑誌』27号(明治20年 NDL送信資料)から連載されているのだが、詳細な確認をしていないので、これも別の機会に譲ろう。
「フラットランド」と言う小説は如何なる物か。映画化もされた風変わりな小説として、そこそこ有名らしい(私はタイトルだけ知っていた程度)。とりあえずWikipediaによると、
『フラットランド』(Flatland: A Romance of Many Dimensions)は、イギリスの教育者エドウィン・アボット・アボットによる小説である。1884年にロンドンのシーリー(英語版)社から刊行された。
とのこと。日本語訳リストには70年代以降の4点が挙がっているが明治の訳への言及は無い。Wikipediaの限界なのか、研究者にも知られていないのか、調べる必要がありそうだ。
なにはともあれ、本書もProject Gutenbergで原文が読めるので、これもリンクしておこう。
Flatland: A Romance of Many Dimensions by Edwin Abbott Abbott(Project Gutenberg)
新しい邦訳も入手したので、追々比較も試みたいが、英語で、しかも「数理小説」なので、詳しい人に検証していただきたい。

講義録の人々

さて、二つ目の道。先ほど見た「平面世界」紹介の前に見える第1回の文章は候文のように見える。一方、その左側、第2回緒言は戯文的で、まさに戯作の序文のようだ。実は、各回とも、このような文体で書かれている数学書なのである。
その事情は、この冊子巻頭の緒言に書かれているので追々紹介しよう。表紙も算術書には見えないデザインで興味深い。いま、「カバー」に使っている部分の漢字、直ぐにネタが判る現代人がどれくらいいるだろうか。何はともあれ、この緒言はとても興味深い。
こうした表現の背景に、当時数学界の重鎮でもあった神田孝平を想像するのは無理があるだろうか。
というわけで、『数学講義録』そのものだけでもかなり面白いのだが、メンバーがまた興味深い。
「数学講義録」は、共益商社書店から刊行されたシリーズで、今見ていた算術の部を田中矢徳が担当した。ほかに、代数の部竹貫登代多)、幾何の部馬込銀平)がある。
このうち、竹貫登代多は、「青年期」分ながら、
大竹茂雄「竹貫登代多--生い立ちと青年期の活躍」『数学史研究』128(日本数学史学会 編 199103)という伝記研究がある(続きが発表されたかどうか、確認出来ていない)。
他の二人も、NDLやCiNiiを検索すると、明治期の数学教科書が大量にヒットする、名のある数学者であることが判る。上記大竹氏の論考にもあるように、明治初期の数学界は和算から洋算への移行期で、訳語の統一を含め、とても大きな転換期であったらしい。
たとえば、吉野作造『主張と閑談』(文化生活研究会 1924年)所収「東京數學會社」など。このあたりはまたとても興味深いが、専門の研究がありそうなので、今は踏み込まない。
そのなかで、攻玉社関係の人々が活躍していることも見えてくる。この辺りは、たとえば
根生誠「明治期の攻玉社における数学教育と数学教師養成について」『数学教育史研究』 8(2008)が参考になる。ここに、上記3人の名前も出てくる。
表2「明治初期攻玉社出身の中等学校数学教師」に簡単な履歴が書かれているので抜き出しておこう。情報は、「氏名・生年・入社年・取得免許状・勤務校,著作など」。
田中矢徳・1853・1872・算術代数幾何(1885 年)・ 攻玉社(後,副社長),同尋常中,東京師範学校中学師範学科,東京英語学校.平三角教科書(1883),初等代数学練習問題(1893),他
竹貫登代多 ・1856・1876・ ・攻玉社,群馬県中学・師範,東京英語学校・日本中学校 ,荏原中学校.算術入門(1887),アッソシェーション平面幾何教科書(1891)他
馬込銀平・1861・1876・算術代数幾何(1893 年)・ 攻玉社,秋田中学・師範,静岡中学・師範・数学教授書問題解義(1880)

田中矢徳

田中矢徳は、翻訳・著作も非常に多く、攻玉社副社長まで務めているとても興味深く、実際に重要な人物のわりに、まとまった伝記研究が見当たらない。
この人が興味深いのには他にも理由がある。生年は1853年、嘉永6年。15歳で明治維新を迎え、19で攻玉社に入った。出身地ははっきりしないが、例えば、明治16(1883)年刊行と思われる『東京茗渓会雑誌』(2)(東京茗渓会事務所)に合綴された付録「東京茗溪會員宿所姓名一覽表」には「客員の部」(この年1月15日までに「客員」に認められた事が巻頭記事にある)に、「東京師範学校教員 神田五軒町二十番地 静岡県士族 田中矢徳」と見える。書籍をたどるとしばらくあとに東京府士族となり、住所も変わっていることがわかるが、静岡と縁のある人らしい。

見通し

というわけで、話はどんどん拡散していくのだけれど、とても興味深い水脈が在る事は判った。これは、案外、数学と国語、理系と文系といった現代の話題にも繋がる話題だと思う。

ひとまず、「序論」はこのくらいにして、今後は、
「フラットランド」を含む数理小説の受容
田中矢徳を中心として、数学教育業界の、特に文体を巡る動き

について調べてみようと思っている。それは他の教科科目に広がっていくかも知れないが、まあ、可能な範囲で、ぼちぼち。

現代に於ける先行研究を十分検索し得ていないので、専門の人たちにとっては分かりきった話であるかも知れないが、こういうかたちで作業を公開することには意味があるだろうと思っている。まあ、無くても自分は十分楽しいのだからよし。

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