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いつも余白を持つ理由

勉強をし終え、ふと窓を見ると、もうすっかり黄緑色の新緑になった樹木たちが気持ちよさそうに陽を浴びている。
本当に毎日使っている牛革製のショルダーバッグは、経年変化で艶が出て、道具としての表情を一層濃くしており、鞄をひとつにして良かったと感じる。
テーブルランプに括り付けられてる流木は山で拾ったもので、日によって走るウサギに見えたり、龍に見えたりする。

こういった、日々の気づきはだいたい余白の時間に生まれている。
この時にこそ、今に集中している時だから、この時間はとても好きだ。

余白が自分の中でなぜ大切かというと、さっきの「小さい幸せ」の他に、平易に言えば、力を温存して重要なイベントに抜かりなく対応するためだ。
しかるべき議論、課題を目の前に迎えた時、柔軟に考えることができ、オールオアナッシングな白黒思考ではない第3の着地点を見つけやすくなる。


先日、相方と重要な、将来にわたって一生触れていき、厳粛な判断が自分たちに委ねられるような議題が突如持ち上がった。
お互いの意見によっては、そのまま破局もありえたものだった。
こんな言い方をすれば楽観的に見えるだろうが、その大きな課題に、なぜか喜んでしまった。
なぜならば、その壁を乗り越えられると確信していたし、乗り越える道も既に見えていると思えたからだ。
実際果たして、乗り越えることはでき、結束力が段違いに強くなった。

きっと日々忙しくしていれば、自分のすべてを向けることなど難しかっただろうし、ましてや考えも表に出てこなかったと思う。


これからも努めて、明朗な考えでいられるように、余白はやはり持っておこうと強く思った。


話したのは自然の中でだった。
もしかしたら、余白生活以上に、
自然が何か導いてくれたのかも知れない。

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