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マダムインニューヨークを観た 疑問と号泣案件

先日、初一人海外としてベトナムに行き、もっと生きた英語を勉強したいなと思った。
ベトナムでならお互い母語じゃないから発話がゆっくりだが、欧米で英語を聞き取ろうと思ったらこうはいかないだろうと思ったからだ。
それに、ベトナム語はGoogle翻訳に任せっきりだったが、やはり自分の言葉が通じたり、相手の言葉をそのまま理解できたほうが嬉しいし楽しい。

テストのための勉強ではなく、英会話とか、映画鑑賞とかで英語を身につけたいと思ったのだ。



それで、手始めに「英語 勉強 映画」で検索して気になった映画を観てみた。

それが、『マダム・イン・ニューヨーク』

インド人主婦が単身NYへ行くことになり、後から家族が来るまでの3週間の間に、英会話の教室へ通って英語を勉強する…という話で、
シークバーが2時間くらいだったから最初気づかなかったが、歌と踊りが控えめなボリウッド映画だった。

古風な主婦であるシャシと自分の母を重ねたり、一人の海外で言葉が通じない焦りに自分の経験が重なったり、、清々しいほどに号泣し、「ひょっとして、今まで観た映画の中で一番好きかもしれん…」と思っていた。

そう、途中までは。

何事も無かったかのように家族とともにインドに帰っていく結末に、まあそうだよな…と思いつつも、「ほんまにそれでええん…?」と無責任な悪魔が囁く。「彼女は母として、妻としての責任を全うするのよ。最初に誓った愛を貫く、真にかっこいい女性なのよ!」と、天使の方もなかなか説得力がある。


YouTubeでベストシーンを見返すついでに、コメント欄を読んでみた。

(4:32〜特に、とても好きなシーン…。
"sometimes better"の大正解加減……。)


「私が監督なら、フランス人男性とくっつけた」
「リスペクトのない愛などあり得ない。彼女はフランス人コックと一緒になるべきだった」

などなど…。

英会話教室でシャシに惚れ込んだフランス人男性がいたのだ。コックで、名はローラン。
彼との会話は楽しく、リスペクトに溢れたものだった。

渡米前から、夫や子どもたちに馬鹿にされる苦しみを持ちながら、ローランになびかなかったシャシ、、。

やはりローランと一緒になる未来を望んだ視聴者は多かったようだ。
これらに対する返信として、
「だからこそあなたは監督じゃない」とか
「これがインドの伝統的な価値観」とかコメントされていた。


クライマックスのスピーチで、シャシが言った「時として家族のことが分からなくなる。そんなときは、自分自身で自分を救わなければならない。自分以上に上手く自分を救える人はいない。」というのが、彼女の全てであったと思う。
それが彼女の美学であり、それを全うした。

しかし、直接的に彼女を救ったのは、やはり口説きに口説いてきたローランであったように私は思う。彼女をリスペクトし、自信を与え、尊厳をもたらした。


それと、帰りの飛行機でNYタイムズを頼もうとして、やっぱりヒンディー語の新聞はありますか?ないなら大丈夫、ありがとう。と言ったのも問題のひとつだ。

彼女はインドに帰って、また家族に馬鹿にされる生活に後戻りではないのか?
英語力など、鍛えなければ衰える。ましてや、3週間の付け焼き刃である。
堂々と、NYタイムズを頼み、夫と並んで読むべきだったのだ…と私は考えるが、母としての責任に彼女が何よりの喜びを感じていることもまた、事実であり、「英語を学ぶ勇気がある」ことを示せた以上は、新聞を買わないという選択は彼女にとっての正解であったのかもしれない。

また、クライマックスのスピーチで
「家族は決してあなたのことを見下さない。」と言い放ち、夫と娘が顔を伏せる描写がある。
これはある意味でカッコよく、ある意味で意地の悪い躾け方である。

自分を散々馬鹿にしてきた家族に、赦しを与えているのだ。キリスト的なやり方である。「私は気にしていませんし、反発もしませんから…」という、京都風な言い回しである。

以上数点、物語の核心に関わる部分について、疑問に思うことはあったのだが、
とにかく映像が秀逸!音楽が楽しい!国籍も年齢も超えた英会話クラスが刺激的!ニューヨークの街並みが超エキサイティング!と、かなり好きな映画になった。


最後にどうしても言いたいのが、

インド人の顔、マジで好き。

インド人男性は自国の女性を世界で最も美しいと褒め称えるとどこかで聞いたことがあるが、あながち間違っていないと思う。
(少しピリつく表現かもしれないが、、)
私の価値観にかぎって言えば、彫りの深さとまつ毛の濃密さ、肌と瞳の色の神秘性という点で、なんとも魅力的なご尊顔であると思う。

ベトナム旅行でインド人ツアー客の一人(男性)と目が合い、ハァアッ好き!顔が!!と思ったのは記憶に新しい。
そういえば、前から薄々思っていたのだが、ヨーロッパ系やインド系の方は目が合うと必ずニコッとしてくれるようだ。
あまりにも毎回ニコッとされるのでそういう'文化'なのかと気づいたのだが、数年前までは思ったことがなかったのは何故なんだろう…。こどもにはニコってしないとか、そういうことかな。

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