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はじめまして、光成です。

初めて書くnoteの記事、少し緊張しながらのスタートです。まずは、私自身のことを書かせていただきたいと思います、


仏教との出会い

私が仏教と出会ったのは19歳の時、キリスト教系の大学に在学中のことでした。それまでは宗教とは縁遠く、接する機会といえば、葬儀やお墓参りくらいで、何の知識も持ち合わせておりませんでした。

そのような私が、とある偶然から、一人の僧侶と知り合い、仏教のことを教えていただく機会を得たのでありました。無知な私のために、専門用語を使わず、平易な言葉でわかりやすく・・・心理学を勉強していた私に合わせてその方が説いてくださった〈仏教〉は、大学で学んでいた「学問」が霞んで見えるほど衝撃的なものでした。

当時の私は宗教に関して「神仏に祈る」ことくらいのイメージしか持ち合わせておりませんでしたが、その僧侶の語る〈仏教〉は、全世界を俯瞰するような高い視点から人間の心の奥底まで見通した広くて深い思想でありました。お釈迦様の遺されたお言葉は、頭ではなく心の一番深い部分に響き渡り、それまで経験したことのない感覚に言葉を失う程でした。

ライフワークはこれだ!

将来の進路は定まらないまま、なんとなく「人が幸せになるお手伝いができたらよいなあ」という想いを抱いて心理学を学んでいた私でしたが、この僧侶との出会いにより、すっかり仏教の虜になってしまいました。

仏教は他のどの宗教よりも膨大な数の経典が存在しておりますが、聞けば、法華経に集約されているとのこと。「ならば、その法華経を中心に仏教を学んでみよう!」と一念発起したのが始まり。やがてそれは私のライフワークとなったのでした。

人生というのは不思議なもので、そのような私に、法華経の解説書を出版させていただけるチャンスが舞い込みました。まだまだ若く経験不足の状態でしたので満足のゆくものは書けそうにありませんでしたが、何かの巡り合わせと思い挑戦することに。稚拙ながら自分なりの解釈に基づく骨子はある程度記せたような気がします。

しかし、まだまだ理解が浅い段階での出版でしたから、表現しきれなかったところも多々ございます。ですので、このnoteにおいては、その表現しきれなかったところを、できるだけ平易な言葉で、しかも日常生活で誰もが経験することに結びつけながら表すことにチャレンジしてみたいと思っております。それにより、かつての私のように宗教を遠く感じている方々にも仏教で説かれていることが「ご自身の人生に関わりあること」と理解していただけて、心の奥底が震えるような感覚を得られたり、人生がより豊かにお感じになっていただけたりしたら、私の人生は意味のあるものとなり、安らかに天に帰れるかもしれない・・・そのような希望を抱いております。

宗教とは

私が仏教と出会ってから早くも30年以上の年月が流れました。まだまだ未熟者ではございますが、今、確信しておりますのは、宗教は

「人間はどこから来てどこへ行くのか」

という根源的な問いに答え得るものである、ということです。(逆にいえば、この問いに答えられない教えは宗教とはいえないということでもあります。)

この人間の存在についての疑問は、はるか昔から知的迷いとして多くの人々を悩ませ、心ある人々はその答えの追究に人生を捧げてきました。先人の例に学べば、その答えは学問のように知的に得られるものではなく、自分の心内で体験的に得られるもののようです。体験的に「ハッ」と「解」を得られる瞬間がいわゆる「さとり」を開いた時で、その悟りを開いた人間の先駆者が「釈迦」という人物なのでありましょう。

人間は必ず死にゆくものです。人生の終焉を深い納得感をもって迎えられますよう、noteというプラットホーム上で皆様と共に学び合い、共に歩んでいければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

経典の内容をベースにした物語を創作して書籍化することを目標にしております。よろしければサポートをお願い申し上げます。