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一口小説 【キリン】

 キリンの朝は早い。
 いつも午前5時を回ったくらいで目が覚める。起きようと思っているわけではないが、自然と目が覚めてしまうのだ。
 ベッドから起き上がるとキリンは背伸びをする。天井に当たってしまわないよう慎重に。
 それからベッドの横に置いてあるスリッパを履く。トラ柄で、ヒズメを傷つけないようにゴムで出来ている。
 スリッパを履いたあとは着替えをする。ゼブラ柄のパジャマを脱ぎ、スーツに着替える。真っ黒のスーツだ。ネクタイは薄い青、水色と言えるかもしれない。
 そうして身支度を終えると今度は鏡の前で歯を磨く。口の中の菌は寝ている間に増えるそうだから、朝起きたときに磨くのが虫歯にならないコツだ。左の奥歯から前歯を経由して右の奥歯まで丁寧に磨いていく。

「よし」

 うがいを終えてネクタイを整え直す。この一連の流れをこなしてやっと仕事に入れるのだ。
 キリンは部屋のドアの前に立つ。

「さて、どうしたものか……」

 キリンの仕事は1つ。
 このドアをくぐり抜け向こう側に行く、たったこれだけのこと。
 キリンは考える。今日はどんな方法を試そうか、どうやれば抜けられるのか。
 
 このドアはみんなの想像より低く、そして狭い。たぶん、今みんなが想像している半分くらいだと思う。
 そんなドアをキリンが抜けられるのか?
 それはもちろん物理的には不可能である。そんなことは見れば分かるし、キリンも馬鹿じゃない。すでに分かっていることである。
 だがキリンの仕事はこのドアをくぐり抜け向こう側に行くこと。それに変わりはない。物理的に不可能だとか、そんなのは仕事をしない理由にはならないのだ。

 キリンは考える。試しにしゃがんんでみたり、寝っ転がってみたりしながら。
 休憩時間になればコーヒーを飲んだりもする。常に考えっぱなしではかえって効率が悪いのだ。気分を換える必要があるというわけだ。
 
 休憩が終わるとキリンはまた考える。椅子に座ってみたり、逆立ちしてみたりしながら。ただし逆立ちは首を横にして床に置く形になる。キリンは首が長いからだ。

 キリンは考える。お昼でも考えながら食事をする。食事は部屋の隅に生えている木から適量採って皿に盛る。確かアカシア属だったかシクンシ科だったかの木の葉、詳しくは覚えていない。

 キリンは考える。ドアの大きさを計ってみたり、自分の体の大きさを計ってみたりもした。昨日と大きさが変わっているかもしれないのだ。それらの記録はノートに正確に記しておく。それも仕事の1つ。


 そうこうしているうちに日は沈み、やがて睡魔が襲ってくる。そうなるとキリンは考えるのをやめる。眠気が出てくると思考力が落ちるからだ。それではとてもじゃないが仕事にならない。
 起きて着替えてから眠くなるまでがキリンの仕事時間である。

 あとは朝やった作業をなぞるだけだ。ネクタイを緩め、歯を磨き、パジャマに着替える。
 軽くストレッチをし、体をほぐしてやる。1日頑張った体には入念にケアをして癒してやるのだ。

 そしてキリンはベッドに潜る。明日も朝の5時に目が覚めるだろう。起きようと思っているわけではないが、おそらくそうなると思う。それが日常なのだ。
 普通のキリンの睡眠時間は20分~30分だという。だがそれは仕事をしていないからだとキリンは思った。しっかり知的労働をしているキリンは普通のキリンとは違うのだ。


 キリンは目をつむった。

 キリンには最近決まって見る夢がある。
 木がまばらに立っている乾燥地帯を散歩している夢だ。横には数頭のキリンが同じように歩いている。遠くにはゾウの姿も見える。近くの茂みにはライオンが潜んでいる。歩いていると目の前をバッファローの群れが通りすぎることもある。
 その夢が何を意味するのかはキリンには分からない。

 ただ少し、懐かしい気がする。ただそれだけなのだ。

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