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未来だけを見ていたのは80年代までだったのかもしれない。

音楽でもファッションでも良いんですけど、僕の個人的な見解では80年代までは、我々は基本的には未来だけを見て進んできたと思うのです。それは何もポストモダンみたいなイデオロギーまで行ってしまう話ではなくて…。

例えば50年代には40年代のカルチャーや流行は古臭いものと定義されていたと思います。更に60年代には50年代を、70年代には60年代を、80年代には70年代を、それぞれ過去の遺物として葬り去ろうとしていたと思うのです。

つまりは…先に進もう!新しい事をやろう!革命を起こそう!と思ってやってきたと思うのです。

しかし90年代に突入すると、我々は途端に懐古主義になってしまうのです。まるで60年代や70年代に逆戻りしたかの様なスタイルが流行していました。

一体なぜなのでしょうか?

地球上のありとあらゆる生き物は、その環境に適応するために様々な進化を遂げて来ました。キリンの首が長いのも、象の鼻が長いのも、鰐の皮膚が硬いのも全ては生き残る為に進化した結果です。

それらの事と今回の内容は一見無関係の様に思えますが、実はそうではないのかも知れません。90年代に差し掛かる頃…それはどんな時代だったのか?それまでと比べて何か大きな変化が起きていたのか?ちょっと調べてみると…。

ドイツの東西統一がありました。
イラク軍のクウェート進行があり湾岸戦争が勃発しました。
ラトビア、リトアニア、エストニアが独立しました。
マイルス・デイヴィスとフレディー・マーキュリーが亡くなりました。
ユーゴスラビア紛争がありました。

他にも様々な出来事が起こっていますが、これらは人々にどんな影響を与えたのでしょうか?

僕は一言で言えば「疲れ」だと思います。
つまり進化する事に、前進することに、創造する事に人類は疲れたのだと思うのです。良かれと思って我々は進んで来たが、世の中も環境もちっとも良くなってやしないじゃないか!と感じ80年代も終焉を迎えた時に進化のリンクを閉じ、一旦小休止して過去を見つめ直す事にしたのではないかと。

我々は80年代が終わって30年以上経過した現代に何を感じているのか?
今までと同じような日常が今後も半永久的に続くと思えるのか?

ウクライナでは今も激しい戦闘が続いています。
シベリアの永久凍土は溶けだしてメタンが噴出しています。

様々な国が自国の利益のみを追求しイデオロギーの対立は解決どころか一層激しくなっています。

今こそ我々は新しい未来に向かっていかなくてはならないという時に。特に環境問題は一刻の猶予もないというのに。
そろそろ小休止は終わりにしないといけない。


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