謝り方と誠実さ
「誠実さ」とはビリー・ジョエルが測れない曖昧なものだが、「謝り方」にそれは滲み出る。
たとえば、
という言い方がある。
これは誤解させる言い方をした自分を謝っていない。
「誤解したあなたが悪い」と、受け取る人もいるだろう。
最初から誤解させようとしていたのか否か、すら不明だ。
「誤解させてしまって申し訳ありません」という言い方そのものに、誤解の余地がありすぎるのだ。
自分が、自分に対して何をどのようにどこまで反省したかが、謝意として相手に伝わる。
最愛の子どもを殺された遺族が報道陣に向けて「二度と同じことを起こしてほしくない」と願い、「犯人に反省の色が見えない」と嘆く。あれはきっと、形だけの謝罪など何の意味もなく不誠実そのものであることを、絶対に味わいたくなかった状況下で痛感しているからだ。
誠実さとは何よりもまず、自分に対する誠実さである。
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