今野良介|編集者

書籍編集者。aikoを聴きます。写真を撮ります。 【全編集担当作一覧】 booklo…

今野良介|編集者

書籍編集者。aikoを聴きます。写真を撮ります。 【全編集担当作一覧】 booklog.jp/users/aikonnor

マガジン

  • 日常の編集

    書籍編集者が、生活者として考えたことを書きます。月2回は更新します。

  • aiko雑記

    aikoについて。不定期。

  • 会計の地図

    • 27本

    2021年3月16日発売『会計の地図』(ダイヤモンド社・刊)を、全文無料公開するマガジンです。全200ページを22の記事に分割して、順次公開していきます。 本のお買い求めはこちらから↓ https://www.amazon.co.jp/dp/447810557X

最近の記事

  • 固定された記事

拝啓2018年9月13日のaiko様

久しぶりです。今日は1人で来ました。たまたま連れが来れなくなって。高校生の時に、陸上競技の大会前に初めて来たのも1人でした。あなたに会いにNHKホールに来るの何度目になるかな。最近たまたま近くの会社で働くことになって。今日は会社から歩いて来ました。 薄闇にそびえる丹下健三の遺物を横目にウキウキステップ気味で歩いて、会場着きました。入口、500人くらいワイワイしてます。春日部あたりに住んでそうな、50代の夫婦がいます。ロックが好きそうな寡黙そうな1人で来てる男性がグッズのタオ

    • 待つことのコスパ

      わたしは速読ができない。というよりも速読が嫌いです。 「本を読む」というのは、言葉に圧縮された何かを自分の中に眠る体験でゆっくり解凍していくような趣があります。小説を読んでいるときに一度も思い出すことのなかった同級生の顔が浮かんだり、エッセイの一節が旅行先で心に焼きついた風景をバレンで擦るように浮かび上がらせたり、ビジネス書を読んでいていつかの限りなくパワハラじみた役員の言動と表情がフラッシュバックしたり。 目の前の言葉と体験の記憶がゆっくり結びつくところに自分にとっての

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      400
      • 本と子ども

        「日常の編集」というマガジンを始めます。 書かないと考えられません。でも最近書いているものと言えば仕事に直結するメールばかりで、ちょっと窮屈になりました。40過ぎてあと半分も生きられない直感があるので、自由に書きたいことを書く場所にします。 わたしにとっての編集のおもしろさというか生きてることのおもしろさは「異質なもののあいだに接点を発見する」ところにあります。本の企画がそうですし、人との出会いもそうですし、ダジャレもそうです。なので、そういう視点で書いていきます。 ま

        有料
        300
        • 書く習慣が、「聞く力」を支える。

          「人の話を聞けるようになるにはどうすればいいか」と質問されることがある。 人の話を、最後まで聞ききることができない。 人の話を、純粋におもしろがることができない。 途中で自分の話を挟んでしまう。 正直、自分の話を聞いてほしい。 聞けなくて自己嫌悪。 そういう悩みからくる質問である。 わたしはいわゆる「聞き上手」でもなければ、カウンセラーでも弁護士でもレンタル何もしない人でもないが、人の話を聞けないとやっていけない職業に就いているから、経験的に確信に近い考えはある。 人

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        拝啓2018年9月13日のaiko様

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          27本

        記事

          匿名の言葉が人を殺す

          Twitterにおける匿名の悪意について。 Twitterは俺にとってひとりごとを流す場で、自分の考えを整理したり、物事を自分なりに捉え直したり、自分を元気づけるために使っている。しかしTwitterは「ひとりごと」のためだけに作られていない。「つぶやき」という表現もほとんど使われなくなった。 そもそものTwitterのアルゴリズムは、大まかに「ニュースの発見」と「ポジティブな会話」を促すように設計されていると感じている。結果として自分のタイムラインは「自分自身の広告」に

          匿名の言葉が人を殺す

          Everybody finds love, In the end.

          友人の母が亡くなった。 2年半前、こういう文章を書いた。読んでいただかなくていい。 人生で最初に友達になった、幼稚園の同級生5人と今も関係が続いていて、その中のひとりの母が、また去った。それだけの話である。 別の1人の母親は、彼女が40歳付近の時に亡くなっている。俺たちはもう40だから、「もう誰が死んだっておかしくないよな」という話をした。人の死に触れることは、自分の死を思うことだ。自分が、死の連鎖としての人類史の砂粒の一つであることを教えてくれる。 一方で、3歳で出

          Everybody finds love, In the end.

          撮った理由を考える

          引き続き撮っています。 「なぜそれを撮ったのか」はあまり語られない。語る必要もないし、それを言っちゃあおしめぇよ的な向きもある。ただ、自分でも理由がよくわからないまま撮って逃れようのない具象になるのが趣味としての写真の楽しさで、正解のない理由を探しにいく時には抽象としての言葉の出番だ。 ちょっとアホみたいに、キャプションに撮影の意図を添えて32枚載せます。 見ての通り横浜周辺です。 近所や通勤路付近や知り合いを撮るのは、見慣れたはずの景色に異なる見方を発見する訓練にな

          撮った理由を考える

          写真が撮りたい

          毎日撮ってる。首から提げてる。 カメラ買って写真を撮り始めて2ヶ月が経った。 そのまま狭い小料理屋に入ったら料理長に「写真家さんですか?」と聞かれて煮物を噴いた。見た目の態度がデカいとそういうことになる。それくらい中尾彬さんのネジネジストールみたいにして常にカメラを持ち歩いている。 常に持ち歩くのは撮りたいときに撮れるようにしておきたいのと、昨日撮っているのに今日最初にファインダーを覗いて昨日の感覚が戻ってくるまでにはかなりのタイムラグがあるからだ。 陸上競技をやって

          写真が撮りたい

          シャッターとリロード

          今野良介です。38歳。写真を撮り始めました。カメラを買ったんです。新宿で。2週間前に。Nikonの軽いミラーレス。 たぶん1年後には目を覆いたくなる内容になるのですが、2週間で感じたことは今しか書けないので記録しておきます。 なぜカメラを買ったiPhoneを持ってから、ずっとスマホで写真を撮っていました。カメラを買う前にスマホに残っていた写真は61,000枚ありました。作った本とか食べたものとか、動物とか友達とか酒とか徐々にハゲていく頭部の変遷とか、家族とかが写っています

          シャッターとリロード

          読んでから書こう。

          知識は呼吸だ。 吸って、吐く。 入れて、出す。 吸う前に吐こうとするから苦しくなる。 自分の中には何もない。 「心に残った大切なことを書こう」 そうではない。 たっぷり吸って、要らなくなったものを吐く。 とどめておけなくなったものが出てくる。 心に残ったものは、もう残っている。 ほんとうに大切なものは、書けないものだ。 あなたに知られることなく、身体が勝手に吸収している。 読む前に書かなくていい。

          読んでから書こう。

          3人で本をつくる

          『子どもが「学びたくなる」育て方』という本をつくった。 「教育」の本。幼児期から思春期までの「子育て」の本。おもに小中学生のお母さんお父さんそのほか保護者のみなさんに読んでほしい本だ。ということは小学生前の子の親であるあなたにも読んでほしい。 「親が望む進路に導く方法」ではなく、「子ども自身が望む道」を見つけるために「親ができるいちばん大切なこと」を伝えていく。 誰が。 横浜に「知窓学舎」という小さな学習塾がある。いま教育界で注目されている「探究型学習」を27年前から

          3人で本をつくる

          最後の返事

          手持ち無沙汰でなにげなくiPhoneの連絡先をスクロールして流し見ていた。以前はよく連絡をとっていた人の名前が表示される。関係の終わりをなんとなく覚えている人もいれば、おぼろげな人もいる。なぜ連絡をとらなくなったのだろうか。よく思い出せない。 関係の終わりはいつも「返事がない」から始まる。たとえ怒りや反論や異議であっても、「返事をすること」そのものが関係を継続する意思の表れである。一方、普段は仲の良いふたりの間で、しかし特定の話題については返事がなかった場合、「その話につい

          謝り方と誠実さ

          「誠実さ」とはビリー・ジョエルが測れない曖昧なものだが、「謝り方」にそれは滲み出る。 たとえば、 という言い方がある。 これは誤解させる言い方をした自分を謝っていない。 「誤解したあなたが悪い」と、受け取る人もいるだろう。 最初から誤解させようとしていたのか否か、すら不明だ。 「誤解させてしまって申し訳ありません」という言い方そのものに、誤解の余地がありすぎるのだ。 自分が、自分に対して何をどのようにどこまで反省したかが、謝意として相手に伝わる。 最愛の子ども

          謝り方と誠実さ

          大人のなかにいる子ども

          大人になって会った人がいて、彼女に子どもができてから子育ての話になることが増えて、絵本の話になった。自分の子どもには自分が好きだった絵本を読ませたくなる。自分がボロボロになるまで読んだ絵本を子どもが目の前で読んでいると不思議な気分になる。 子どもがいるというのは多分に自分の人生を生き直すことであり、子育てというのは「子どもを育てる」ことではなく「子どもが育つ様をかぶりつきの特等席で観られる」ということであり「自分がどのように育ったか」を思い出すことであり、ダイレクトにそれを

          大人のなかにいる子ども

          「ぜんぶ嘘だ」という真実

          『ぼくらは嘘でつながっている。』という本を出す。 著者は、浅生鴨。 浅生鴨さんは、よくわからない人だ。 書籍の略歴欄にはこんな文字を並べた。 読まなくてだいじょうぶです。スクロールの長さだけ体感してください。 とにかく、いろんなことをやってきたらしい。よく知らない。わたしが間違いなく知っていると言えるのは、彼がTwitterをよく使うことだ。 Twitterで浅生鴨さんは、時折こんなツイートをする。 意味はよくわからないが、なんだか厭世的にもニヒリズムにも思える

          「ぜんぶ嘘だ」という真実

          見ないフリの嗜虐性

          動物の捕食動画には格闘技のKOシーン以上に異常な再生数のものが多いが、人はそれを語らない。捕食動画をよく観ていると言えば、「実はあいつ残虐だったんだな」とか「頭おかしいから近寄んのやめようぜ」とか「キミは心理学的に危ういぞ」とか、もはや犯罪予備軍だとすら思われやすいからだろう。 ただ、この類の動画を観るときの感覚は独特である。無視できない。看過してはならぬ気がする。 例えばある鳥類の巣でかわいい雛が口を開け、親の嘴から与えられた幼虫を飲み込んでいる。しばらくして親鳥が去り

          見ないフリの嗜虐性