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ついに、やっと

先日新型コロナウイルス感染症になった。自分がついにコロナに罹りなぜか不思議と安堵感のようなものを感じた。今まで目に見えなったものに自身が罹り、その感染症なるものが自身の身体に表れることでついに罹ってしまったなと嘆息すると共に、こんなものか、と思い安堵した。

思ったよりだいぶ軽症だからそんなことが言えるのかもしれないが。この3年の間ずっとコロナ禍において靄のような漠然とした不安があり、ぼんやりした不安感が真綿のようにじわじわと首を締めているような、頭に靄がかかっているような状態だった。

大袈裟だが、ついに罹って、やっと救われたように思った。何に救われなさを感じているのか? 分からないが、死を待っている状態はこのようなものだろうか。いつ訪れるか分からない死を待っているぼんやりとした不安と、死が訪れることによってやっと死ねた、という安堵感のような。なんだかこれで自分のなかで少し物事の区切りが一区切りつけられるような気がした。

最近、職場や身の回りでも歳を取って急に倒れたり入院するひとが多い。職場のパートの女性がその倒れてしまった友人に触れて、「やっぱり若いうちに楽しまなくては駄目よ」と言っていたこと、自分に対し助言のように諭すようにふっと言ってもらったことが印象に残っている。やっぱり若いうちにいまを楽しまなくては、お金も使わなくては、と最近思っている。

円安は際限なく進行し、米国株価も引き続き上がり下がりを繰り返しまだ株価復興の兆しは見えないが、まあもういいかと思っている。

ネットオフで前から手元に置いて置きたかった本を買い込み、京都のレコード屋Meditationsで聴いてとてもいい音だったyoshii9をヤフオクで買い、今日も家で本を読んで音楽を聴いている。

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