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知りぬいたものが待っているだけ

昨年ID登録を済ませていたので今年の確定申告は家でe-Taxでやろうと思っていたが、国税庁のホームページを見てもそもそも確定申告書作成コーナーとe-Taxのページのどちらからアクセスすればいいのかよく分らず、また外国課税控除の書き方もネットで調べてもなにが正しいのかいまいち分からなかったため人に訊いたほうが早いと思いLINEで予約をして確定申告会場に向かった。

確定申告会場はバスで一本で30分くらいで着くが、予約した時間に遅れて職員に怒られたり予約が無効になり会場に入場できなくなると嫌だなと思い早めのバスに乗った。

確定申告の書類と読みかけだった文庫版の開高健「オーパ」をリュックに入れ、バスに乗っているあいだや会場の外で予約を待っているあいだずっと読んでいた。ちょうど予約の時間になる頃に読み終えた。

コロナであまり外出したり釣りに行けないいま読むには「オーパ」がちょうどいいと思い、以前から本棚に放置したままだったものを取り出して読み始めたが、冒頭の言葉に触れてああやはりいま読むことにしてよかった、と思った。

何かの事情があって
野外へ出られない人、
海外へいけない人、
鳥獣虫魚の話の好きな人、
人間や議論に絶望した人、
雨の日の釣師......
すべて
書斎にいるときの
私に似た人たちのために。

豪快な釣りや食い物の話はなかなか面白かったが、特に本の終わり頃の文章がよかった。ブラジルで夢のような豪奢な釣り三昧の日々を過ごして幾日か経ち、帰国の日が迫った頃。空港を釣竿を持って歩いていると、ふと、もうすぐ東京へと、元の生活へと戻ると、もうこのような釣りはできなくなるのだということを思い知り憂鬱に侵される。

帰国したら何が待っているか、私にはわかりすぎるくらいにわかっている。もう半身は帰国したようなものだ。クイヤバ空港を歩きつつ私は羽田空港を歩いているのだ。一瞬で私は滅形し、なじみ深い、荒涼とした、いいようのない憂鬱がたちこめてくる。これからはもう犯されるままに私は形を失い、澱んで腐った潮溜まりとなって日々をやりすごしていくのである。<略>これからさき、前途には、故国があるだけである。知りぬいたものが待っているだけである。口をひらこうとして思わず知らず閉じてしまいたくなる暮らしがあるだけである。膨張、展開、奇異、驚愕の、傷もなければ黴もない日々はすでに過ぎ去ってしまった。手錠つきの脱走は終わった。羊群声なく牧舎に帰る。

日常や普通の生活に対する期待などなく徹底した諦念を持っているところ、そのロマンティシズムぶりに少し惹かれた。本当に開高健はヘミングウェイのようなひとなんだなと思った。

本を読み終え、確定申告会場に向かい、所得税に関する数字を入力していった。外国課税控除の書き方が分からないため職員に訊いたが、若い職員2、3人に尋ねてもやはり分からないようで確認しますと言ったきりいなくなってしまった。年配の偉そうなひとに訊いたら正しい書き方を教えてくれ、無事入力が終わった。

思っていたより還付があるということで税を取り戻した気になりいい気持ちで書類の提出を済ませ、会場を出た。また最近まで忘れていたが、その日は自分の誕生日だったので会場の外で妻と待ち合わせ、近くのケーキ屋でショートケーキなどを買い、帰った。

家でケーキなどを食べながら、自分には開高健ほどの憂鬱や諦念はないが、何とか平衡を保ちながら日々をやりすごしていくことには変わりがないということと、そろそろコロナも収まって暖かくなったら釣りに行きたいなということを思った。

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