遠い目

出身はブラジル、そして日系人と伝えてくれたとき、なるほどと思った。
彼はバックグラウンドがどこかさっぱりわからないミステリアスな見た目をしていた。
アジア人と言うには欧米人にも見えるが、欧米人と言うにはアジア人にも見えた。はたまた中東の人か?とも思った。

父親は日系で、母親はポルトガル系、そして自分はブラジル人だと説明してくれたとき、妙に納得した。

彼は物静かだった。俺たちの会話も初対面であったにも関わらず多くの沈黙が流れていたた。しかしそれは彼のペースであって、特に気まずいとか興味がないとかいうわけではないようだった。

コーヒーショップで軽く話したあと、彼が家に呼んでくれた。
彼はその頃料理に凝っていたようで料理を振る舞ってくれるということだった。

彼はミートソースのスパゲティを作ってくれた。スパゲティはとても美味しく、俺は社交辞令でもなく何回もおかわりをしてしまった。

食事を終えると俺たちは見つめ合っていた。彼はやはり物静かだった。何を考えているかあまりはっきりとしない不思議な目をしていた。彼はどこか遠いところを見つめているようだった。

気がつくと俺たちは唇を重ねていた。物静かな彼は先程とは打って変わって極めて情熱的なキスをしてきた。
ブラジル人にの情熱はこういうところに出るのかもしれない、キスをしている途中なのに何故か冷静な分析をしている自分がいた。

俺たちはキスをしたあと、互いの身体を弄り合い絶頂させあった。

ひとたび情熱の時間が終わると彼はまた先ほどまでの彼に戻った。相変わらず声もあまり大きくないし、沈黙も多い。

彼は自分がHighly Sensitive Person である、と伝えてくれた。
当時はまだこのワードは日本ではあまり知られていなかったように思う。俺も彼に言われるまではそのような人々の存在を知らなかった。

彼は周りの環境に影響されやすいこと、物事を考えすぎてしまうこと、そんなことを教えてくれた。

物静かな彼がぽつぽつと教えてくれる彼自身のストーリー、彼の考えていること、彼の人生観、彼は見た目だけでなく内面もミステリアスな男だった。

何回会っても彼は掴みどころがあるようなないような不思議な男だった。

彼はNHKの紀行番組 世界ふれあい街歩きが好きだった。自分が世界の街を旅したかのような気分になるから、だそうだ。

彼は放送があるたびに、次は〇〇の街、次は✕✕の街、と連絡をくれた。俺も紀行番組は好きなのでよくLINEで一緒に"実況"しながら見ていた。

彼はクリスマスや地震があったときなど、折々に連絡をくれた。

ある夏、彼の母が倒れた。

彼はブラジルへと帰っていった。
そして彼の母はそのまま残念なことに亡くなってしまった。

彼はそのまま数ヶ月ブラジルで過ごした。

久々に会う彼は少しやつれていた。
でも、相変わらず彼は物静かで不思議だった。
彼は父も亡くしているので、兄弟以外ブラジルには特に親戚もいないという状態になったと言っていた。
仕事で来たという日本ではあったが、母亡き今は彼のホームは日本になったようだった。

彼はこれまでよりもっと遠い目をしていた。
俺ははっきり聞いたことはないが、彼は深いトラウマを抱えているのではないかと思う。彼の目の奥にはそんな悲しさがいつも隠れているようだった。

俺たちは未だに折々に連絡を取り合っている。
数ヶ月に一度だったり、何日間かにわたったり。
彼とは付き合うとかセックスをするとか、そういう下心なしに、人生とか精神とかそういったことを話し合える貴重な関係になっていった。

先日もLINEでチャットをした。

彼いわく、「時は存在しない」だそうだ。

相変わらず面白い人だ。
遠い目で彼はどこを見つめているのだろうか。


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