マガジンのカバー画像

金剛大乗(金剛荘厳)

27
瞑想する人noteの主軸、根本である『金剛大乗(金剛荘厳)』に関係する記事
運営しているクリエイター

記事一覧

固定された記事

マガジン:金剛大乗(金剛荘厳)

マガジン:金剛大乗(金剛荘厳) 金剛大乗(金剛荘厳) この瞑想する人noteでスピリチュアルな思想、実践とするのは、ただ一つ、金剛大乗(金剛荘厳)のみです。 瞑想であれ、ヨガであれ、呼吸法、生命エネルギー、リトリート、断食、明晰夢、夢見、占星学、、、、であれ、何を探究するにことにおいても、その主軸、根本、基盤には金剛大乗があるべきとします。

道次第の考察 ―― 顕教と密教、生命エネルギー、生起次第、究竟次第

金剛大乗(金剛荘厳)の実践(道次第)についての考察。 マガジン:金剛大乗 顕教の実践を通しての内的な理解の把捉――功徳 顕教(の実践)とは、慈悲、非利己的なエゴのない愛を実践することとしている。 この慈悲の実践自体は、個人的にも社会的にも評価されるものであり、大乗の精神に沿ったものである。  この顕教の目標の一つとしては、とくに顕教と密教の両方を重視する視点から密教との関係で思索すると、それは「内的な理解」、歓喜、生命欲動を見いだすことであると考えることもできる。  

生命エネルギーと生命欲動?チャクラ、ヨガ、瞑想、クンダリニー症候群、、、

クンダリニーなど生命エネルギーについて、つれづれなるままにそこはかとなく、結論もなくまとまりのない思索。 BGMはとくに意味ないけど金剛薩埵 ヴァジュラサットヴァ(Vajrasattva)のマントラ そもそも人体の神経生理システムに基礎がなければならないはず 人間にはクンダリニーなど生命エネルギーの活動、体験があるのなら、それを可能にする人体の神経生理システムがなければならないはず。  たとえ人間の本質は物質を超えた超越的霊的な実体であろうとも、この物理的な世界で物質的

密教の資格。密教との関係で顕教について

この瞑想する人noteの中では唯一のスピリチュアルな実践である金剛大乗における顕教について、密教実践の資格について、思索をメモしておきます。 マガジン:金剛大乗(金剛荘厳) 関連note: 顕教の本質 ―― 顕教から密教へ この瞑想する人noteでは、顕教を「霊性(智慧・慈悲)、四無量心、慈悲、非利己的なエゴのない愛・愛他を、自分自身、自分自身の態度、行動、人生に適用し実践すること」としています。 またこのことに役立つもの、それが宗教であれスピリチュアルであれ、哲学や

とあるバクタ(バクティヨガの人)のつぶやき 神は愛であるということ、神への信仰と礼拝、神への愛、愛・慈悲の実践においてエゴを失うこと、そして神の愛 ―― これらは一つのものであるという意識の体験があるのではないだろうか。  画像引用元:チベット仏教普及協会(ポタラ・カレッジ)

霊性と密教(生命エネルギーの実践)についての説明。ヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)、精神性、智慧

BGM:バッハ Cantata BWV 147 「Herz und Mund und Tat und Leben」 前回に続き、またまたスピリチュアルにかぶれた気まぐれの思いつきの文章です。 前回note: 密教、生命エネルギーの実践に関するヤマ・ニヤマ、精神性について 生命エネルギーの実践について、体系的な説明を願っている。 これは、今現在、このような特殊な実践を探究している者たちだけではなくて、後世に続く実践者達にも必要なものだろう。 また類似する実践にたずさ

【スピ系雑話】もし神を体験することがあるのなら

BGM:バッハ 「われらが神は堅き砦」BWV80 これは詩篇91番ではなくて、詩篇46番によるマルティン・ルターのコラールからのもの。  最近バクティヨガや、シルバーバーチ、エドガー・ケイシー、ニューソートなどの米欧スピリチュアルについて触れることがありました。 この影響で「エドガー・ケイシーの占星学」のnoteを投稿しました。 関連note:【運命論vs.意志 編】エドガー・ケイシーの占星学④ 占星学と意志 今回もスピ系雑話をnoteに。 あくまでスピ系にかぶれた気

金剛大乗についての整理。目的、顕教、密教

この瞑想する人noteで、唯一のスピリチュアルな実践としている金剛大乗(金剛荘厳)についての整理。 マガジン:金剛大乗(金剛荘厳) ちょっと弁解も、、、。 目的 金剛大乗は、しょせんはありふれたスピリチュアルです。 唯一の真理だとか人の歩むべき道だとか、解脱やモクシャといったことを主張しているわけではありません。 世の中には、精神世界(スピリチュアル、宗教、、、、)に関心をもつような頭のネジがどうにかなってしまっている人達がいます。 私もそのうちの一人なのでしょう。

歓喜の精神性

#思索の備忘・メモ。 いちおう「歓喜の精神性」について気にしておいた方がいいかもしれないという気まぐれの思いつき。 BGM:バッハ BWV1 Chorale Wie bin ich doch so herzlich froh 欲動・衝動の昇華 性的欲求など「低次のチャクラ」と関係が深いとされる欲望・衝動の昇華や転換というのが有り得るとするのなら、それには生物学的な、神経生理的な根拠がなければならないハズです。 このような生物学的・神経生理の体験や変化については、とくに

霊性での「意志」

“ 神は彼らを祝福して言われた。 「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。 海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」”   創世記 1:28  霊性の探究・実践の道における「意志」の役割についての #思索の備忘・メモ ようは、霊性、智慧・慈悲の実践において重要なのが意志の働きということです。 人間の意識、精神の活動、神経生理の活動を霊性に向かわせ、霊性の実践・適用に向かわせるのが意志であるということです。 「意志」の役割(信仰心、菩提心) 人間の意識・精

【バクティ】信仰・礼拝の対象について

“ 荒野に 主の道を備え、 砂漠に われらの神のために大路をまっすぐにせよ ”  イザヤ書40:3 “ イエスは言われた。 「あなた方が、この山でも、エルサレムでもないところで、父なる神を礼拝する時が来る。 まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。 神は霊であるから、礼拝する者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」”  ヨハネ福音書4:21-24 またエゴのない愛、ワンネスとかの欧米系スピリチュアルにかぶれた話。 ちょっと弁解も。 信

【自作】瞑想する人noteのマントラ?

半分冗談でも。自作マントラ オーン マハー マンジュシュリー イェー ナマハ (南無金剛大乗)  文殊霊徳を本尊とする金剛大乗に帰依する(地上世界から 苦しみが取り除かれ、歓喜と光明が もたらされるように)、という意味を込めて。  文法は全然知らないけど、他のマントラを見ると、「マンジュシュリー」と「ナマハ」をくっつける場合は、「マンジュシュリー イェー ナマハ」となるのかなぁー思われ(間違っていたらどなたか教えてください)。  起床時の短時間の瞑想として、マントラ瞑

弁解

卑しい免罪の弁です。 「愛、愛他、慈悲、、」に触れることについて しばしばnoteにしてますが、エゴのない愛、愛他利他、慈悲、四無量心、隣人愛に関して述べるのは、本当に口が虚しくなりそうです。  自分が自己中で卑しい人間だというのは、自覚しているだけでなくて、人からも指摘されるものです。 自分の人間性とは縁遠いテーマについて投稿するのは、つらいことです。 しかしフッとした思いつき・衝動があって、やむにやまれずnoteにしています。この思いつき・衝動が全て悪いです。私のせ

「智慧」と「慈悲」について

春の大三角(アークトゥルス、スピカ、デネボラ)  この瞑想する人noteでは仏教の『智慧』、『慈悲』という用語を剽窃して用いています。 この瞑想する人における「智慧」とはどう考えればいいのでしょうか? 今回のnoteは結果としては、「エゴのない愛」「自己超越」といった内容があるため、欧米キリスト教圏のよくあるスピリチュアルに寄った話になっているかもしれません。 「内なるものへ・超越」の欲求と「智慧」 「内なるものへ・超越」の衝動・欲求、その歓喜などが、この瞑想する人n