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30-3 梅すだれ 御船/木花薫

六尺はある大きな体と四角い大きな顔。そこに太太と生えた眉には貫禄がある。今までにも侍は食べに来たがこれまでの誰よりも堂々とした立ち姿であった。

侍は店に入ると入口の横に座った。侍たちはいつでもそこに座る。それは敵が来た時にすぐに店の外へ逃げられるからなのだとお滝はマサから聞いている。

(お偉い侍だろうか?)

お滝はごくりと生唾を飲んだ。強張る顔のまま「いらっしゃい」と白湯を出すと案の定「鎌倉の珍しい味噌をたのむ」と言われた。

金山寺味噌がすっかり「鎌倉の珍味」になってしまっている。西の果ての九州からしたら紀国きのくにも鎌倉も同じなのかもしれない。しかし御船みふねに来てからお滝は「雑賀」にこだわるようになった。

時に行き苦しさを感じた雑賀の自治組織であったが、そのきめ細やかな世話のおかげでどれほど住みやすかったかを実感している今では、思い出すのは浦賀ではなくて雑賀のことばかり。雑賀で教えてもらった味噌を鎌倉の美味しい味噌だと勘違いされることは心外で、浦賀ではなくて雑賀で教えてもらったものだと訂正せずにはいられない。なので「鎌倉ではなくて紀国の美味しい味噌」だといちいち説明することを面倒臭がらずに徹底している。

「紀国?おまんらは鎌倉から来たんと違うとか?」

そこでお滝は生まれは浦賀で雑賀へ引っ越したことを話した。引っ越した理由である村打ちにあった話をしていたら、戦をする侍を責める気持ちがこみあげてきた。そもそも侍たちが戦をするから、戦で敗けた残党が賊になり村打ちをするのだ。いかつい姿の侍を前に侍への恨み節を、まるで平八郎が乗り移ったようにお滝はまくしたてた。その声は厨房のお桐の耳にも届いた。一体何事かとお桐が座敷を覗くと、大きな侍に喧嘩を売るようにお滝が威勢よく責め立てている。侍が怒ってお滝を刀で切ってもおかしくない。慌てたお桐は座敷へ飛び込み「ねえちゃん」と止めたがもう遅い。お滝は存分に母と弟を殺された恨みを言い尽くした後だった。

息の止まる思いのお桐であったが、この侍は恰幅の良い見てくれには不似合いに情の深い男であった。

「それはかわいそうなことと」

と目尻と口角を下げてお滝たちを憐れんだのだ。まさかそんな言葉を言うなんて。お桐はその意外さに侍を凝視した。そして気づいた。この侍の目の奥には優しさが満ちていることに。きっとこの目だからお滝は言いたいことを言ったのだろう。それにしてもお滝らしくない振る舞いだ。不満を内にため込み黙り込むのがお滝だったのに。お桐はお滝が御船に来てから変わっていくのをひしひしと感じた。

一方、お滝は侍がお滝たちを不憫だとわかってくれたことで心がすっとした。そしてこの侍ともっと話したくなり、訊かれるがままに自分たちのことを包み隠さず話した。

「おやじさんはどうしたと?元気とか?」

「父ちゃんは雑賀にいる。雑賀が天国だって」

雑賀の村では寺の主導する自治組織がどれほど村の人たちの面倒を見ているかを語り、父ちゃんは雑賀を離れたくなかったと話した。ただし寺が戦に参加することでマサの住む阿波では五千人もの人が死んだことも付け加えた。すると侍はこれまた、

「三好のことは聞いとっと。むごかことと」

と気の毒なことだと悼む顔をした。

そんな侍を見ていたらお滝はもっと話したくなった。それで九州の大友のお殿様が理想の国を作っているという噂をマサが堺で聞きつけて、妹のお桐も連れて三人で御船へ移ってきたことを詳しく聞かせた。

すると侍の顔はパッと明るくなり、

「大友家は天下無敵と。おまんらはよき選択をした」

と声を張り上げた。

この侍は大友家の水軍家臣、上野鑑稔あきとしの家臣で名を小佐井観兵衛こざいかんべえという。上野家は古くからの水軍の家系で、豊後の沿岸守備に加えて明との貿易における航海も担っている大友家の水軍の要である。

土佐の一条家と伊予の河野家が争った時、土佐の一条家には大友家、河野家には毛利家が援軍を出した。その際、大友家の上野水軍と毛利家の村上水軍も戦っている。

村上水軍は頼まれれば大名のために戦うが、それ以外は海賊としてやりたい放題。海をあらす困り者、ただの賊である。それに比べて上野水軍は海賊行為を行わない。それどころか海賊を取り締まっている。そのことから大友家から「海の武士衆」と呼ばれて信頼が厚い。

マサの故郷である阿波の三好家と言えば、支配下の讃岐から瀬戸内海を渡り備前の毛利家を攻めたことがある。同じく毛利の敵として戦った三好の阿波から来たマサを小佐井が気に入ったのは言うまでもない。

そしてこの頃海外貿易が盛んであった港は二つあり、一つは堺、もう一つは大友家の支配する博多であった。博多に次ぐ商業都市、堺港で大友義鎮公の名君ぶりが流布されていることを知り、小佐井の機嫌がよくなったことはこれまた言うまでもない。

さらに大友家は元は相模の大名であった。鎌倉幕府から豊後の守に任じられ、相模を北条家に乗っ取られ、今では豊後の国に留まらず九州の半分を支配する大名となっている。相模の国から来た姉妹に奇妙な縁も感じた小佐井である。

金山寺味噌をのせたご飯を大盛で食べた小佐井は「三人で頑張ると」と励まし、三倍の銭を置いて帰っていったのだった。

つづく


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