見出し画像

炉開き。無学祖元の偈

今日は、お茶のお稽古。炉開きでした。
炉開きは、霜月に入ると間もなく行われるものですが、私の所属する社中は、種々の事情から今日になりました。

炉開きは、お正月に匹敵する大切な行事です。
そのため、お稽古といえども少しあらたまったかたちで行われます。
ふだんはお稽古着として紬の着物を好んで着るのですが、今日は作家ものの江戸小紋に西陣織の帯を締めていきました。

炉開きは、炭点前、濃茶点前、薄茶点前と進みます。
私は薄茶点前を担当しました。
今月に入ってから風炉から炉へ意識を切り替えるため、繰り返し教本を読んだり、DVDを観たり、仕事の合間を縫ってお点前をひととおりやってみたので、スムーズにお点前をすることができました。
実に実に、安堵した次第です。

まだ無学祖元が祖国を失っていない頃のお茶の風景

今日は見慣れない掛け軸がかかっていました。
伺ってみたところ、無学祖元の偈だということです。
無学祖元は北鎌倉・円覚寺の開基で、元寇において執権・北条時宗公の精神的支柱となった高僧です。
無学祖元の祖国は南宋ですが、やはり元に滅ぼされてしまったのでした。その際、無学祖元も元の兵士に危うく殺されそうになっています。
(その時に詠んだ歌が非常に有名)
そのような経験をした後で日本に招聘されたわけですが、またも元が襲ってくる・・・という目に遭っている。
ずいぶん劇的な人生を送った高僧のひとり、というわけなのです。

そんな無学祖元の「開炉」という偈がかかっていたのですが、その偈からは、こんな光景が想像されました。

「しんしんと静まりかえった林を行って仲間達と集まったのはいいけれど、炭は冷え切ってしまっている。思わず笑い出し、紅葉の落葉を掃いて火をつけ、炉開きのお茶として皆で楽しんだ」

・・・和気藹々とした雰囲気です。
炭が消えていて、まったく湯を沸かすどころではないという状況を前に、目くじらを立てるのではなく、笑い飛ばしてしまった、というところに、無学祖元の、人間の大きさとやさしさ、あたたかさを感じます。
禅の修行を極めた僧侶というと、何やら厳しくて、ともすれば冷たいようなイメージを抱くかも知れませんが、そんなことはないのです。
仏教の本質は慈悲ですから。

無学祖元が、このような偈を詠んでいたことを初めて知りました。
仲間とのワンシーンですから、まだ南宋が滅ぼされていない頃のこと、
ともすれば無学祖元が修行中の頃だったのかもしれません。
あるいは、その当時のことを懐かしみながら詠んだのか・・・

いずれにしても、元の兵士を泰然自若として追い払った姿と、元寇に時宗公を支えた姿くらいしか知らなかった私にとっては、無邪気といいたくなるような無学祖元のいきいきとして若々しい姿に触れることが出来たということになります。
そんなことから、今年の炉開きは、いつにも増して印象深いものとなりました。
明日から師走。
鎌倉の紅葉も本番を迎えます。

写真は、いずれも円覚寺です。

画像1

画像2

画像3

画像4

画像5


みなさまからいただくサポートは、主に史料や文献の購入、史跡や人物の取材の際に大切に使わせていただき、素晴らしい日本の歴史と伝統の継承に尽力いたします。