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#4 自分の後悔は、自分の人生にしか活かせない

これを読んで下さっているあなたは、後悔していることがありますか?

きっとそんなものは微塵もないと言い切れる方は、ほとんどいないのではないのでしょうか?

私自身も振り返ってみると、後悔していることがいくつもあります。

ただ、過去のその時点で行ってきた選択をもう一度行える機会があったとして楽天、私はやはり今の人生を作り上げている選択を再び選んでしまうのではないかと思うのです。

その選択が導く人生は、経済的な効率性で考えれば恐らくは正しくないだろうし、SNS上でキラキラする類のものでもないでしょう。

でも、恐らくそれらの選択は、私の魂にとってはきっと必要なことだったのだろうと思うのです。

恐らく、そういう類をカルマ(業)と呼ぶのものかもしれません。

私はこれまで自分が行ってきた行為によって、自分はこんなことができたという自信を得ることができたこともあれば、逆に自分にばかり焦点を当ててしまい、他者の声に耳を傾けて、その思いに寄り添うことが出来なくて、その人を傷つけてしまったこともあります。

自分の行為ことから、ポジティブな面でもネガティブな面でも気付きを得てきました。
そして、後悔によって得た気付きは、本で読んだり、人から忠告されるより、何よりも強く自分を律してくれると感じています。

人生も中年期に差し掛かると、どうしても向こう見ずの理想を追い求めるよりも、現実的な経済性に意識が向くものです。

ですから、先述のこちらの記事のように、私達中年期の人間は経済合理性に反した青年期の後悔を若者にはして欲しくないと考えて、安定した職業や稼げる職業に就く重要性を若者に説こうとしてしまいます。


でも、若い時には若い時に向き合うべき自分の業があり、それを行うことで後悔をするというのも必要なことなのかもしれません。

そして、何より大切なのは、後悔を得たのなら、必ずその先の人生で活かすこと。

自分と他者の間には様々な違いがあります。

生まれた時代、持って生まれた能力、興味や関心、何をすることで喜びを得るのか、どのくらいの経済的豊かさを求めているのか、どのような人間関係を築きたいのか、どのような運命を宿しているのか…

些細なことは、両親や先輩からのアドバイスで行動が正されることもあるでしょうが、心の中の深い部分、魂に関係するような部分は、自分で行動して、自分で教訓を得ていくしかないのです。

後悔さえも、自分の財産として、これからを生きていくしか私達に出来ることはないような気がするのです。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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