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#11 始まりも終わりもない世界

映画「メッセージ」が後を引いている。

始まりも終わりもない、時間という概念のない世界で生きるとは、どんな感覚なのだろう。

そこには、老いも、死も、運命も、ないのだろうか。

ぼくは気付かなったのだが、あるブログで「メッセージ」にこんな指摘をされていた方がいて、とても興味深った。

地球にコンタクトしに来た異星人、通称アボットとコステロは、非連続性の時間の世界で生きている。

これは連続性の時間世界の中で生きているぼく達にはイメージしづらいが、過去、現在、未来が同時に存在している、ということなのだそうだ。

だから、現在では解決困難な問題の答えを未来から得たりすることができる。

映画の中で、アボットとコステロの内の一体が、地球人の反逆の影響で死にかける。
しかし、時間の概念のない彼らは既に自分の運命を知った上で、地球に来ている。
それが種族を助けることに繋がるからと。

つまり、彼らは自分がいつ、どこで、どのように死ぬのかを既に知っているのだ。
どうやら、時間の概念がないというのは、そういうことでもあるらしい。

これは恐ろしいことだと思いませんか?

生まれた時から、自分にどんな可能性があるのか、逆に、どんな可能性がないのか、全てを既に知った状態で生きていくことになる。

自分がどんな育ち方をして、誰と結婚して、どんな家庭を築いて、どう親と死別し、終いには自分がどう死ぬのかも既に分かっている。

手塚治虫の「ブッダ」の中で、我が子に殺められるという運命を予言をされた王が発狂する、というエピソードがあったかと思うが、ぼく達も、もし未来の全てを知っていたら、同じように発狂してしまうのではないか。

しかし、こう書いていて、一つ気になったことがある。

それは、選択がどう未来に影響するのか、だ。

例えば、右に曲がると交通事故にあって死ぬ、という未来があり、自分はそれを知っているとする。
その運命を拒む為に、左に曲がると、新たな世界線があるのではないか?

そうすることで未知のパラレルワールドが生まれるのか、それとも結局は運命というものは、何か強烈な力で軌道修正されるのか?

ぼく達は、始まりと終わりのある世界で生きている。

無邪気にはしゃぐ若者達を見て、自分にもああいう時期があったのかなあと少し悲しい気分になった。あの時の自分達を恨めしそうに見ていたおじさんに、今は自分がなっている。

一方で、不思議なもので、若い時は早く大人になりたいと思っていたし、いざ年齢だけはいっちょ前に大人になってみると、若いって羨ましいなんて思うのだから、ぼくの心はいつも今にいない。困ったものだ。

存在できるのは、今だけなのだ。

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