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わたしの知らないあなた

「こいつはコク派やん」
「でも親父さんは辛口派やからさ」

あの春の日から16年間、毎年恒例になった光景が目の前にある。

「集金、集金。一人500円なー」

一ミリもお酒が飲めないわたしも、集金係の彼に500円硬貨を渡す。

「ごめんね?」
「いや、謝るところじゃないし。全然気にしてない。てか疑問形?」

500円硬貨を受け取りながら彼が笑う。それにつられてわたしも笑う。

「俺らが知り合った頃は、未成年でお酒じゃなくて炭酸やったもんなぁ」

当時、高校生だったわたしたちは、学校行事が終わるたび、「打ち上げ」と称しては海に向かい、持ち寄ったジュースやお菓子を浜辺に広げ、夜遅くまではしゃいだものだった。中には真っ暗な闇の中、泳ぐ者もいた。

「それが、いまやこれですよ」

彼はそう言って、いわゆる”ビール腹”に手をやりぽんぽんとたたく。そういえば、高校生の頃の彼はとてもスレンダーだった。

「いいと思うよ。ちゃんと年を重ねている証拠やもん」

彼の隣に座り、そう言った。

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「では。誕生日を祝してかんぱーい!」

わたしたちは、あなたが突然この世界からいなくなったあの春の日から、こうして毎年あなたの命日と誕生日に集まって、祝杯をあげ続けている。

コク派というあなたと、辛口派というあなたのお父さんとで、ビールの銘柄が違う。気遣いの人であるあなたの親友は、毎年2つの銘柄を用意してあなたの家にやって来る。

わたしはあなたがお酒を飲むところを見たことがない。わたしたちは高校を卒業したあと、それぞれ違う大学に進学した。連絡を取り合うことはあっても会う機会はそう多くなかった。欠かさなかったのは「お誕生日おめでとう」というメールと年賀状。たまに会っても、あなたはお酒の飲めないわたしを気遣ってか、いつも同じようにウーロン茶を頼んでくれた。

だから、わたしはあなたがお酒を飲む姿を知らない。知らないままなのだ。

夏生まれのあなたにさぞやビールは似合っていたのだろう。

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あの頃、この気持ちに名前を付けられなかった。それは、友情よりも恋愛よりも深い感情な気がした。だから、何も告げなかった。

卒業して何年か経って、同窓会なんかで会って「あの頃、好きだったんだよね」「まじで? 俺も」とか言える日が来るのだと思っていた。当たり前のようにそんな未来がやってくることを、疑うこともなく信じていた。

「あいつ、”好きになって本当によかった”って」

告別式の日、あなたの親友がわたしにこう言った。

わたしはあなたにそんな風に思ってもらっていたことすら、知らなかったのだ。こんなことになるなら伝えておけばよかったと、泣き崩れてみても、あの困ったような笑顔が見られる日はもう二度と来ない。

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2019年夏。

16年前と変わらない、困ったようにはにかんだ笑顔がそこにある。わたしは、あなたがビールを飲む姿を知らない。それでも、あなたに供えられたビールに乾杯をする。ウーロン茶で。


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