#008 父という名の人

祖母、母、そしてわたし。女性3人時々実弟が登場する物語だが、当然わたしには父がいる。だが、彼は父らしからぬ父だった。ちなみに存命している。過去形なのは、彼は生物学上わたしの父だが、人としては父親ではなり得なかったからだ。

幼少期のわたしは父によく叩かれた。今で言うDVに当たるのかもしれない。だが、「しつけ」の一環で、グーで殴られるのではなくパーで叩かれていたので、わたし自身はDVだと思ったことはない。ただ、弟が投げ飛ばされたときはDVだと思った。そのせいで弟は鎖骨を折り、しばらくコルセットが必要な生活を余儀なくされた。末弟の鼻血が止まらないときも眺めているだけだったように記憶している。

とにかく子どもに無頓着な人だった。母は教育熱心で子どものための環境を常に考えるような人だったから、よく衝突していた。働いて稼いだお金を遣われるのが嫌だったのか、母の考え方を理解できなかったのか、今でも正直分からない。

わたし達は成長するにつれ、この奇妙な父親と一定の距離を置くようになった。我ながらどうかと思うが姉弟とも学業優秀だったので、父と母のもめごとに巻き込まれるのはまっぴらごめんだった。(結局いつも巻き込まれることにはなるのだけれど)。

わたしはわたしの中に流れる血の半分が父と同じだと思うと心底ぞっとした。血を入れ替えたいと思ったこともある。「あんたはあの人そっくりよ!」と母に言われると何も言い返すことができなかった。遺伝子は何よりの根拠だ。

その後、父は家を出て一人で暮らすようになり、わたしは図らずも父の代役を務めることになった。早く家を出て自立したくて仕方がなかった。とにかく家から離れたかった。ただそれだけの理由で地元の企業にはまったく応募しなかった。わたしは職を転々とし、最終的には地元に戻ってくることになったけれど、その頃には父の居場所も連絡先も知らず、また興味もなかった。

わたしの年が彼が家庭を持った年を過ぎ、ふとしたきっかけで彼と再会することがあった。わたしには何の感情もわかず、目の前にいる人はただ人であるというだけで、憎しみや悲しみといった負の感情も一切抱くことはなかった。一方、少し哀れみの気持ちを覚えた。

わたしの友人の大多数は、娘を持つ父親は娘を溺愛するという。子どもの頃から可愛がり、嫁に出すことなど想像しようものならいても立ってもいられないとか、そういった父親が多かったように思う。わたしの友人も見事にそんな父親になっている。

不思議なことにそんな父親であってほしかった、と彼に願ったことはない。思春期にはそう期待したこともあったかもしれないが、無駄であることも重々理解していた。

この人は娘にそう思われることに何も感じなかったのだろうか。哀しいことだとは思ったが、彼にとってそれが不幸でなければいいのだろう。

そんな風に冷静に父と言う名の人を眺める私はやはりどこか父に似ていると思った。

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