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【無料記事】春と負け犬

 また春が来る。
 
 未だ雪の気配はあるが、春は確かにこちらへ歩いてきている。

 春が来ることについて、昔は何も感じなかった。
 だんだん空気が温んで、心地好くなっていくのを喜ばしく思うことはあった。
 けれど、それに対して敏感であることはなかった。

 春が来ることについて、初めて意識したのは十三年前のことだ。
 ひび割れた壁にも岸の瓦礫にも、ひとしく春が来た。
 海を見つめる人にも、否応なく春が来た。

 その次は、五年前のことだ。
 等間隔な歩道の桜も、土手に貼り付くように伸びた桜も、見事に開いていた。
 人のいない真昼、マスクを着けた私は黙って見上げていた。

 また春が来る。
 なすすべない私は負け犬だ。

 これまで成し遂げてきたことはたくさんある。あるはずだ。
 それらのなにひとつ、今の私は信じることができない。
 胸に空いた大きく暗い穴ばかりを見つめて生きている。

 世を呪い、人を恨み、自分を嫌って、未だ立ち止まっている。
 暴れる感情の飼い馴らしかたも知らない。
 私はこのまま、失った痛みだけを道連れにみすぼらしく生きていく。

 のか?

 また春が来る。
 頼んでもいないのに春が来る。
 拒んでも桜は咲く。

 なんてすばらしいんだろう。
 なんてむごいんだろう。

 希望であり、そして絶望でもある。
 どちらもひとしく私を蝕み苛んで切り裂く。

 どうあっても傷つくのなら、私はここで泣き叫んでもいいはずだ。

 負け犬らしく、喉を枯らすほどの遠吠えを上げてもいいはずだ。
 みっともなく、目も当てられない姿で、満開の桜のしたを走ってもいいはずだ。
 花びらのようにぼとぼとと、きりもなく涙を落としながら、そうしていてもいいはずだ。

 痛い辛い怖い苦しいと泣き叫びながら、生きていってもいいはずだ。

 また春が来る。
 安寧の冬を抜けて春が来る。
 私の心を無視して桜が咲く。
 
 私などいないような素振りで世界が回る。

 誰もが忘れた負け犬に、また春が来る。


二〇二四年二月四日 立春の夜
此瀬 朔真

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